透明であろうとするクリエイティブさ
フリーランスの翻訳者になりたてのころ、「自分らしさを出したい」という気持ちが強かった。
あたらしく知った言葉や、自分が賢くみえそうな表現を使ってみたり。
でも、次の日にあらためて読んでみると、その部分だけがどうしても浮いてしまっていた。
いま思いかえすととんでもなく恥ずかしい……(悶絶)
翻訳って、音楽をより多くのひとに届けるためのアンプやスピーカーみたいなものだ。
スピーカーそのものの存在感はないほうがいい。
ロックはロックとして、静寂は静寂として、もとの激しさも重厚さもそのままに。
そのほうがその音楽の世界観や、語られている内容に集中できる。
「自分らしさを出したい」というのは、そのスピーカーにクセがあるという状態に近い。
もとの音を楽しみたいひとにとってはただのノイズだ。
そう考えるようになってからは、相変わらず、つたないのだけれど、翻訳者としての存在感はできるだけ消して透明になるように心がけている。
自分らしさをなくしてそこに溶けこむためには、原文を尊重して深く理解する必要があるし、想像力も、適切な技術も不可欠だ。
自分自身の存在感をどれだけ消せるか、という部分にクリエイティブな要素を感じるようになった。
「自分らしさを出したい」という気持ちはいつのまにか消えていた。
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