人生の振り返りをしてみたいと思う②

ただいま、人生振り返り特集をしています。
自分の整理のために描いてしまっているので、こんな人生もあるのだなぁとエンタメ的に見ていただけると幸いです(笑)

このシリーズでは、この問いをもとに人生を振り返り、人生の出来事からいったいどんなことを學ぶことができたのか?を再認識することをしていきます。

《振り返りの問い》
①自分は何を繰り返しているか?(どういう自分でい続けようとしているか?本当の課題)
②その出来事から何の教訓を得たか?學んだことは?
③自分はどう在りたいか?

《人生振り返り特集》
第一話(中学高校~大学編)はこちら

第三期:大学卒業後

大学を卒業後、わたしは「認識技術」というものをガッツリ學びにいった。
それこそ、数カ月の研修にも行ったし、結構なお金もつぎ込んだ。

「認識技術」というのは、人間の認識がどのように生まれているのかを、物理学や量子力学ともつなげて、宇宙の構造ともつなげて理解していくもので、すっごく面白かったのだ。

人間の心理と社会構造と物理がつながるのがすごく斬新で、「これさえ學んでおけば、どこにでも応用できるやん!」という、汎用性が好きだった。
(ここにもぐうたらの性質が出ております(笑))

未知で恐怖な世界を、なるべく知った世界にして、安心して進みたかったのだ。

この時期は、結構、無茶なことをしていた。
いきなり家出をしたり、選挙活動を手伝ったり、突然結婚をしたり。
まだ何者でもなかった自分に、耐えられなかったのかもしれない。

“ 何か新しい場所に行けば、新しい自分になれるかもしれない。”

そう思って、動いていた。
確かに新しい場所へ動き、新しい出会いをし、新しい刺激を受け、新しい仕事をすることで、生活は変わった。

漫画家になれたのも、この動きがあったことがきっかけだ。

ただ、自分の人生をどうしていきたいのか?
どのように在りたいのか?
その目的はあまりなかったようにも思う。

強いて言えば「すごい人になって世界を見返す」が強烈にあったくらいで、それ以外は、あまり見えていなかった、見ようとしていなかったかもしれない。

それほどまでに、「いつかすごい人になって見返す」というストーリーに固執していたのだ。

でも、未知に対して極度の怖がりだったので、未知に漕ぎ出す挑戦はずっと後回し。やりたい、やらないと、と思いつつね、日常のいろんなことでその記憶をさばーっと紛らわせる。砂を混ぜるかのように。

そうして、動かなくても何とかなる現実を維持する(笑)

《振り返りの問い》
①自分は何を繰り返しているか?(どういう自分でい続けようとしているか?本当の課題)
環境やご縁にはとても恵まれていたと思う。だけど、周りの人にしっかり相談ができず、急な行動変更で周囲の人たちを振り回してしまったようにも思う。
相手の反応が怖くて表現できない、ということがここにも表れていた。
「いつかすごい人になって見返すストーリー」を楽しみたかったから、それ以外の世界が聞こえなくなっていたし、小さな喜び、些細な喜びや楽しみがキャッチできていなかったかも。

というか「すごい人」になったら、合法的にぐうたらできると思い込んでいたのかもしれない(笑)(合法的にってなんだw)

本当はあんまり無理して頑張りたくないけど、すごい人になるために、合わない環境で無理して合わせて頑張って、そんで嫌になって辞める、っていうのをやっていたのかもなぁ。
合わせないと生きていけない、という思い込み?
合わせることでしか調和できない、という思い込み?


私たちの身体には、過去の遺伝子的が受け継がれていて、違う意見を言ったら命を奪われた時代もあったから、その感覚が根強く残っている、というのもあるのかもしれない。

ただ、今の社会では、インターネットも広がっていて、村八分に遭ったりとかもないし、自分の意見を持ちやすい時代になったのかなという感じはする。(裏の世界的にはたぶん色々あると思うけど💦)
社会的には、ある程度合わせることも大事だけど、それと同時に、自分の境界線を守ることも大切だ。


②その出来事から何の教訓を得たか?學んだことは?
この時期は、いわゆる「本質」的なことを學びに行った時代だった。この時に學んだことは、すごく今も血肉になっているし、ベースとなっている氣がする。この時つながった仲間たちとは今もつながっているし、おかげさまで日本のあちこちに知り合いがいる、という状態になった。これは非常にありがたいことだ。(親しさのレベルはマチマチだけど;)

この時も、人間関係とか人間そのものについてたくさん學んだ。自分から何かを誘ったり、何かを提供したりというのをはじめだしたのも、この時からだったのかもしれない。自分の考えをブログなんかに書き始めたのもこのころ。

ただ、學びの内容を自分の血肉にできていたか?というと、もしかすると表面をなぞっていた、知識を追っていただけになっていた可能性もある。
なぜそうなっていたかといえば、やっぱり自分の根っからの意見とこの知識をぶつけあって、その結果から考察するということができていなかったから、かなぁ。

実践に勝る學びはない…(これも人によるけど、私はたぶんそっちタイプ)
頭でっかちになりがちだから、そのバランスを取るためにも行動が必要だったのかもしれない。それも、「やったことのない」未知の行動だ。

この時期の學びは本当に楽しかった。
本質を知れる喜び、世界がどうなっていたのかを知る喜び。だからか!と納得する爽快感。
ただ、それを全部統合しようとして、出力が超遅くなってしまったことが良くなかったかな。完璧主義はよくありませんね。


③自分はどう在りたいか?
本当は、もっと學んだことをアウトプットして出したかった。(アウトプットして出すって同じ意味やんw)
こんなことに氣づいたよ!とか、こんなこと學んじゃったよ!とか、完成度が低くても、出していけばよかった。

妙に「立派であらねば」とか、「深くあらねば」とか、「理念と哲学を持たねば!」と思っていたので←
出すときにも力が入りすぎて、出す前に忘れるっていうループを一体どれくらい繰り返したでしょうか(笑)あほです。

でも、当時はそれを許可できなかったのです。怖すぎて。
だから、いろんなオブラートにくるみまくって、オブラートを整えすぎて、ついには出すタイミングを見失って流れていってしまったのです。

もっと軽々しく、今感じたことを出す、それを許可できていたら、きっともっと自分を楽しませてあげられたのになぁ。
だから、これからは、それをやってあげたいと思う。


第四期:漫画家になり、フリーランスへ

「認識技術」を通じて出会った方と結婚して、そのあとすぐに私は漫画家になった。その方が、わたしが軽い氣持ちで描いた漫画をいろんなところに宣伝してくれたのだ。

詳しくはこちらにも書いているので、よかったら見てみてください♪

「じゃあ漫画を描いてよ!」と会長さんに言われ、漫画の描き方のイロハも知らない状態だったので、ネットで検索して漫画の描き方を調べるところから開始(笑)
さらに、道具も何もなかったので、とりあえず、紙とインクとペンを買いそろえ、ペンにインクをつけて線を引こうとしたら…

線が引けない(笑)

なぜかインクが紙につかない(笑)

おいおいおい、世の中の漫画家さんたちはいったいどうやってあの線を引いているんだい?私は、一本も線を引けずに終わるのかい?と絶望したことを覚えていますw

ありがたいことに、その時にはすでに、クリップスタジオなどのデジタル描画ツールが出ていた時だったので、アナログもそこそこに、デジタルで漫画を描くようになったのでした。

この時も、楽しかったなー
自分がこれまで思い描いてきたもの、本当は伝えたかったもの、これまで収集してきた知識とかを総動員して、一つの作品に込める、ということが、漫画というツールならできた。

そしてそれを楽しんで読んでもらえる。発表の場がある。

これはまさしく漫画ならではだと思う。私にとっては。

これまでの氣づきとか學びを総動員できるっていうのも楽しかったし、伝えるツールであることも嬉しかったし、絵としての美しさとか明るさとか色の表現というのも、私にとって「快」で

やっぱり絵や漫画を描くことは、すごく楽しいことだった。

ただ、フリーランスの漫画家を11年やっていたのだけれど、たぶん楽しかったのは、最初の5年くらいで、後半戦になってくると、本当は描きたいものとか表現があるのに、後回しにしたまんま外の仕事だけをしていたから、なにかこう、、、充足しない感じが付きまとっていたようにも思う。

ちょっと問いを通して振り返ってみよう。

《振り返りの問い》
①自分は何を繰り返しているか?(どういう自分でい続けようとしているか?本当の課題)
相手の要望に応えて動く、ということを繰り返している。それはなぜかというと、自分には世界を創造する力や自信がないと思っているから。

だから、人の熱量や夢に乗っかる。人の夢が自分のやりたいこととか表現したいことに一致しているときはいいのだけれど、そうでないときに苦痛が生まれる。
自分ではできないけど、相手にも共感できない、みたいな。でもやらざるを得ない、というジレンマ、葛藤。

そもそも、人間ってみんなが違って、みんなが特別であるから、全部に共感できる人なんていないんだけど、やっぱり、「ここすごい!ここ伝えたい!」と思える共鳴する何かがないと、ちょっとキツイ感じがする。


どういう自分でい続けようとしているか?というと…

自分で切り開かなくていい、自分でやらなくていい、自分で決めなくていい、自分で責任を取らなくていい、自分でなんとかしなくていい、危ないことしたくねぇ、とりあえず安心、

…(笑)

すごい出てくるやん(笑)

なんかこう、みぞおちのあたりで鎮座している怠惰なヤツ(笑)

ぐうたらの権化(笑)
ぐでたまみたいなやつw


これが「自我」ってやつらしい(笑)
変わりたくない「自我」(笑)

ただいま、「自我」の感覚をキャッチしております。。
なんだろうね、この感覚…

なんかこう、、、重いわけじゃないんだけど
ぶー垂れてるやつで、そこから動こうとしないやつ(笑)

こんなやつw

「えー、そっちの道、危ないらしいよ?」
「ほらぁ、あの人も失敗してたやん?苦労してるよ?」
「それよりはさ、今までの成功パターンで行こうよ~」
「生きてこれたんだからさー」
「だって新しいこと考えるの、だるいもん。」

Byぐーたらエゴさん

こいつっすねw
こいつがですね、私が自由な表現をしたい、本当はこういうことしてみたい!というのを、「いやーやめとこ、やめとこ」「怖いから!」と止めている感じ…ですね。


②その出来事から何の教訓を得たか?學んだことは?
この「ぐーたら」と「自分の表現をしてみたい」という私の願望が葛藤を繰り広げ続けていたわけなんだけれども、ずっと「ぐーたら」が勝利し続けてきたのが、ここ5年だったのかもしれない。

何か物足りない、何か釈然としない、何か結果が出ない、、、
確かに新しい挑戦らしきものはしたし、學びもした。
「何かのせい」にできてきたことが、ある意味、次々とはがされてきたのがこの5年だったのかもしれない。

問題らしきものは全部はぎ取ってきた。
學びが足りないせいでもなく、メンタルブロックがあるせいでもなく、パートナーのせいでもなく、環境のせいでもなく。

これまで本質的に、変えてないところ。


あぁ、そうだ、【勇氣】

未知の世界に飛び込む勇氣

未知の世界に飛び込み、漕ぎ出す勇氣


未知の世界に飛び込むことはしてきたけれど、飛び込んだ先の行動ができていなかった。これまでやったことある行動ならできたけど、やったことない行動ができなかった。
これまでと同じ、「その環境でなんとなく生き残るための頑張り方」ならできたけど、「創り出す動き」ができていなかった。

創り出す動き、外に出す動き、嫌われる勇氣がいる動きは、できていなかった。

ぬるりぬるりと避けて、ぼやかして、時間が過ぎて、忘れて…まぁいいか…と。
豊かな生活に向かうためのひらめきを実行するのを、面倒くさがって、やらない。感覚を信じることをしない。
「感覚」なんていう、よくわからないものに人生をかけられない。
そんな勇氣はない。

そうして、後回しにしてきた。


③自分はどう在りたいか?
本当はどうしたかったか?
本当は、自分の人生を切り開きたかった。
こんなもんじゃない、とまではいかなくとも、もっと豊かで幸せな人生の流れがあることを感じている。

それを体現している人たちも周りにいる。

どんどん、「ぐうたら」さんが提案する「現状維持コース」の住み心地が悪くなっているのは感じる(笑)
マジで住み心地が悪い(笑)ぐうたらが通用しなくなっている

どうせ、どっちも「不快」があるならば
自分が行きたい道に進んで不快を味わうほうがいいのではないか?

今はもう、高尚な未来設定はない。
でも、どうせなら、自分も周りも、より豊かで楽しく、幸せな人が増えるような方向へ行きたい。

ぐうたらリミットが近づいている感じがする(笑)


長くなってきたので③に続きます✨
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