【思考が現実を創っていた】と気づいた日
【思考が現実を創っていたと気づいた日】
──上司も、父も、そして自分自身も、鏡だった。
↓この記事↓を先に読んでいただくと
今回の記事の理解がより深まります。
ふと、これまでの人生を振り返ると
これまでの人生で
出会ってきた上司は、
なぜか“怖い人”ばかりでした。
大きな声で叱る人
理不尽なことで責める人…。
そのたびに、
「またか」と心がざわついていた。
でもあるとき、気づいたのです。
──あの人たちは、みんな“私の鏡”だったのかもしれない…と。
潜在意識の奥には、
いつも父の姿がありました。
厳しくて、少し怖くて、感情を出さない父。
「認めてもらいたい」
「褒めてもらいたい」
と願いながらも、
その想いを言葉にできずに
飲み込んでいた幼い頃の自分。
そんな心の奥に刻まれた
“父への恐れ”や“不足感”が、
上司という形で
何度も目の前に現れていたのかもしれません。
「上司=父の投影」だと気づいたとき、
自分の思考がどれほど
現実を動かしてきたのかを理解しました。
思考が現実を創るというのは、
単に「ポジティブに考えればうまくいく」
という話ではないと思います。
私たちはみな、
自分でも気づかないうちに
“内側の設定”に沿って現実を選んでいます。
たとえば、
「私は怒られる存在」
「私は認めてもらえない存在」
という思考を
深層心理に持っていると、
その“設定”を証明するような出来事
ばかりが起きてしまう。
それが、
怖い上司を引き寄せ、
理不尽な扱いを現実にしていたのだと思います。
そしてもうひとつ。
私の中に長く根を張っていたのが、
“被害者意識”でした。
「親のせいでこうなった」
「貧しい家庭で育ったから仕方ない」
「〇〇(他の人)のせいで」
そうやって言い訳することで、
私は自分を“守って”いたのかもしれません。
被害者意識は、
心を守るための“お守り”のようなもの。
「私が悪いわけじゃない」と
信じることで、
これ以上傷つかないようにしてきた。
けれど、その”お守り”を
ずっと握りしめたままでは、
新しい現実を掴むことはできない。
それに気づいたとき、
私は初めて“自由”の意味を知ったのです。
なぜなら、
”被害者意識”で生きているとき、
嫌な側面しか目に入らずに、
人は「感謝」を見失ってしまうから…。
あの頃の私は、
怖い上司に「耐えてきた自分」を
誇りに思うことはあっても、
そこに
“感謝”を見出すことはできません。
けれど、視点を変えると、
あの経験があったからこそ…
・「人の痛み」を理解できるようになった。
・今の自分の成長がある。
言い換えると、
怒鳴る上司の裏にある
“愛や優しさ”を感じるようになれる
ということ。
過去の出来事から
思考を変えるとは、
現実を否定することではなく、
その出来事の中に“意味”を見出すこと
なのかもしれません。
「怖い上司ばかりに出会うのはなぜ?」
「親のせいで苦しいのは本当?」
そう問いかけていくと、
すべては“自分の内側”の物語だったと気づきます。
そして、
感謝という新しい視点を持ったとき、
現実が静かに書き換わり始めるのです。
私は今、
どんな出来事にも
「これは自分の思考が見せてくれている鏡」として
受け取るようにしています。
その鏡に映るものを、
ただ観察し、
「もうこの現実は必要ない」と思えば、
思考をそっと書き換える。
「ありがとう」
「おかげで気づけた」と
言葉にするだけで、
心の中のお守りは少しずつ溶けていく。
意識が変わっていくことで…
気づけば、私の周りから
「怒鳴る人」はいなくなり、
代わりに「応援してくれる仲間」が増えていました。
「~すべき」「~あるべき」と
いつも自分を責めて、
否定したままで
”被害者意識”に目を向けずに過ごす事は
両手に”お守り”を握りしめたまま…
新しい「幸せ」を掴むことは
できないはずです。
そして、
“被害者の私”から
思考が現実を創っていると認め
“創造者の私”へと、
意識が変わっていくこと
現実はいつだって、あなたの思考を映す鏡。
その鏡に、
どんな風景を映したいかを決めるのは──
ほかの誰でもなく、あなた自身のはず。
今日からまた、ひとつずつ
自分自身の中で
愛のある”優しい思考”を選んでみませんか。
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