料理の向こう側 CASE 7
♦️はじめに
自動ドアが開いて、いつものスーパーの空気に包まれた。
特別な匂いがするわけでもない。
少し冷えていて、
どこか整いすぎた照明の下に、
いつも通りの食材が並んでいる。
さっきまで、
米の話をあれだけしていたのに、
売り場に立つと、Keigoくんは
そんなことはもう気にしていないように見える。
棚には、
当たり前の顔をした季節の野菜たち。
値段の札。
産地表示。
季節のおすすめ。
わたしはカゴを取りながら、
ふと、隣を見る。
Keigoくんは、
もう野菜売り場の奥を眺めていた。
何を考えているのかは、
だいたい分かる。
今日は、
「何を食べたいか」で
買い物が始まる日だ。
冷蔵庫に足りないものを補う、
いつもの買い物じゃない。
食べたいものを起点に、
話が始まる。
それはたいてい、
どうでもいいようで、
あとから妙に記憶に残る。
わたしは、
野菜売り場の一角で足を止めた。
そこには、
山積みのじゃがいもと、
少し離れた場所に、
石焼き芋の機械が置いてある。
嫌な予感がした。
たぶん、
ここからだ。
今日の買い物は、
静かには終わらない。
♦️第1章|じゃがバターか、焼き芋か
Keigo
「今日さ、じゃがバター食いたい」
Mirim
「……出た」
Keigo
「蒸したじゃがいもに、バターだぞ?
寒い日にこれ以上の正解ある?」
Mirim
「あるよ。焼き芋」
Keigo
「ほらな」
Mirim
「何も足さなくていい。
甘くて、あったかくて、それで完成」
Keigo
「完成って言うけどさ、
それ“料理”じゃないだろ」
Mirim
「料理じゃなくていいの。美味しければ」
Keigo
「じゃがバターは料理だぞ」
Mirim
「どういう意味?」
Keigo
「蒸して、割って、バター乗せて、塩振って。
手を入れて完成する」
Mirim
「焼き芋は入れなくても完成してる」
Keigo
「だから言ってる。それは“おやつ”だ」
Mirim
「失礼だな。焼き芋は立派な食事です」
Keigo
「腹の持ちが違う」
Mirim
「満足感も違う」
Keigo
「じゃがバターは主食側だ」
Mirim
「焼き芋は心側」
Keigo
「なんだそれ」
Mirim
「夜に食べたくなるのは、どっち?」
Keigo
「……じゃがバター」
Mirim
「わたしは焼き芋」
2人とも一歩も動かない。
カゴの中は空っぽ。
なのに、もう意見だけは詰まっている。
Keigo
「つまりあれだな」
Mirim
「なに?」
Keigo
「じゃがいも派か、さつまいも派かって話だ」
Mirim
「最初からそう言えばいいのに」
Keigo
「言わなくても分かるだろ」
Mirim
「分かるよ。だから譲らない」
Keigo
「俺も」
売り場の真ん中で、2人とも動かない。
ただの買い物のはずなのに、
今夜のメニューを決めるだけなのに。
たぶんこれは、
どっちが美味しいか、じゃない。
どっちを“信じてるか”の話だ。
Keigo
「じゃあ、先攻は俺な」
Mirim
「どうぞ。じゃがバター代表」
Keigo
「言ったな」
こうして、
じゃがバター派・Keigoくんと、
焼き芋派・わたしの、
長い芋論争が始まった。
♦️第2章|じゃがいもは“料理のための芋”
Keigo
「じゃがいもってさ、
芋の中でも一番“使われてきた芋”なんだよ」
Mirim
「使われてきた?」
Keigo
「用途で、だな。何に使うかで選ばれてきた」
Keigoくんは、売り場の表示を見ながら続ける。
Keigo
「まずは男爵とメークイン。この2つが基本」
Mirim
「その2つは知ってる」
Keigo
「男爵はでんぷん多めでホクホク。潰すと崩れる」
Mirim
「コロッケとか?」
Keigo
「そう。マッシュ、ポテサラ。
“形を残さない料理”向き」
Mirim
「じゃあメークインは?」
Keigo
「水分多め。形が崩れにくい」
Mirim
「肉じゃが?」
Keigo
「煮物の王だな。煮崩れしないのが正義」
Keigoくんは一度、芋の山を見回す。
Keigo
「ここが、さつまいもと一番違うところ」
Mirim
「用途で選ぶってこと?」
Keigo
「そう。
じゃがいもは“どう料理されるか”で価値が決まる」
Mirim
「最初から味が決まってないんだ」
Keigo
「決まってない。
だから揚げてもいいし、煮てもいいし、
潰してもいい」
Mirim
「万能だね」
Keigo
「万能だけど、
その分、味は控えめに作られてきた」
Mirim
「なんで?」
Keigo
「主張しすぎると、
料理の邪魔になるから」
Keigo
「油、塩、出汁。
何と合わせても成立する必要があった」
少し間が空く。
Mirim
「じゃあキタアカリとかは?」
Keigo
「進化だな」
Mirim
「進化?」
Keigo
「男爵より甘い。香りもある」
Mirim
「用途が増えた感じ?」
Keigo
「そう。
蒸すだけでも成立する方向に寄せた品種」
Mirim
「でも、まだ料理寄りだよね」
Keigo
「完全に素材側だな」
Keigoくんは、棚から少し離れて言った。
Keigo
「そもそも、じゃがいもは日本原産じゃない」
Mirim
「南米だよね?」
Keigo
「アンデス原産。
寒さに強くて、痩せた土地でも育つ」
Mirim
「だから世界中に広がった」
Keigo
「飢饉対策。
主食の代わりになる作物」
Keigo
「そして日本では、
“料理を成立させる芋”として定着した」
Keigo
「じゃがいもは、主役じゃなくてもいい。
料理を支えるための芋だ」
Mirim
「……なるほどね」
Mirim
「じゃあ次は、
完成してる側の話、していい?」
Keigo
「どうぞ」
わたしは、
さつまいも売り場の方へ視線を向けた。
♦️第3章|さつまいもは“完成している芋”
わたしは、じゃがいもの山から一歩ずれて、
さつまいもの棚の前に立った。
細長いもの。
丸いもの。
紫がかったもの。
同じ芋なのに、
並び方からして、もう別の食べ物みたいだ。
Mirim
「じゃあ次は、わたしの番ね」
Keigo
「どうぞ、さつまいも派」
Mirim
「さつまいもってさ、
じゃがいもと決定的に違うところがあると思うんだよね」
Keigo
「ほう」
Mirim
「料理しなくても、ちゃんと美味しくなるところ」
Keigo
「……確かに」
Mirim
「焼くか、蒸すか。基本それだけで成立する」
Keigo
「味付けはいらないな」
Mirim
「うん。砂糖も、バターも、塩もいらない」
Keigo
「最初から甘い前提だもんな」
Mirim
「そう。
甘さが“仕上げ”じゃなくて、
最初から中にある」
わたしは一本手に取って、軽く持ち上げる。
Mirim
「さつまいもって、
品種ごとに性格がはっきりしてるでしょ」
Keigo
「ホクホクか、ねっとりか」
Mirim
「それ。しかも最近は、
最初から甘さ重視の品種が多い」
Keigo
「紅はるか、安納芋、シルクスイートか」
Mirim
「名前の時点で、方向性が分かる」
Keigo
「完全にスイーツ側だな」
Mirim
「でもね、さつまいもって最初から
“甘い芋”だったわけじゃないんだよ」
Keigo
「来たな、歴史」
Mirim
「あと、これ大事な話」
Keigo
「お、来たな」
Mirim
「さつまいもは、日本原産じゃない」
Keigo
「知ってる。でも、じゃがいもとは違うよな」
Mirim
「うん。原産は中南米」
Keigo
「じゃがいもと同じ大陸か」
Mirim
「でもルートが違う」
Mirim
「さつまいもは、まず中国に渡って、
そこから日本に来た」
Keigo
「直接じゃないんだな」
Mirim
「江戸時代。琉球経由、薩摩経由」
Keigo
「だから“さつま”いもか」
Mirim
「そう。名前そのものが、伝来ルート」
Mirim
「当時の日本では、米が取れないと即飢饉だった」
Keigo
「主食依存だな」
Mirim
「そこで、痩せた土地でも育つ芋として広まった」
Keigo
「救荒作物だ」
Mirim
「うん。最初から“美味しいから”じゃない」
Mirim
「生き延びるための芋」
Keigo
「じゃがいもと立場は似てるな」
Mirim
「でもね」
Keigo
「ん?」
Mirim
「日本に根付いたあと、役割が変わった」
Keigo
「甘さか」
Mirim
「そう。貯蔵と焼き方で、
甘さが引き出せることが分かった」
Keigo
「そこから“焼き芋文化”だな」
Mirim
「さつまいもは、日本で“嗜好品側”に進化した芋」
Keigo
「同じ救荒作物でも、行き先が違ったわけだ」
Mirim
「だから今、スーパーでの立ち位置も違う」
Keigo
「じゃがいもと立場は似てるな」
Mirim
「似てるけど、進化の方向が違った」
Keigo
「どう違う?」
Mirim
「さつまいもは、
“どう料理するか”より
“どう焼くか”が大事になった」
Keigo
「火入れだな」
Mirim
「そう。温度と時間。
低温でゆっくり火を入れると、
中が甘くなる」
Keigo
「でんぷんが糖に変わる温度帯だ」
Mirim
「だから、
さつまいもは放置で甘くなるんじゃなくて、
“ちゃんと火を入れて初めて甘くなる”」
Keigo
「そこ、誤解されがちだな」
Mirim
「焼き芋が美味しいのは、
芋が勝手に変わったんじゃなくて、
ちゃんと焼いてるから」
Keigo
「料理っていうより、火の管理だな」
Mirim
「うん。だから失敗すると、全然甘くならない」
Keigo
「逆に言うと、当たると強い」
Mirim
「そう。当たりの焼き芋は、
それだけで満足できる」
Keigo
「じゃがいもとは真逆だな」
Mirim
「じゃがいもは、
何かしないと始まらない」
Keigo
「さつまいもは、
余計なことしなくていい」
Mirim
「それが、好き」
Keigo
「でも理屈は分かる」
わたしは、石焼き芋の機械の方を見る。
Mirim
「あれってさ、調味料も工程もないでしょ」
Keigo
「火を入れるだけだな」
Mirim
「ちゃんと焼けてれば、それで十分」
Keigo
「完成度が高いってことか」
Mirim
「うん。さつまいもは、
“料理を組み立てる芋”じゃない」
Keigo
「じゃあ?」
Mirim
「ちゃんと焼けば、それで答えが出る芋」
Keigo
「なるほどな」
わたしはカゴを持ち直す。
Mirim
「だからわたしは、さつまいも派」
Keigo
「じゃがいも派とは、
一生分かり合えなさそうだな」
Mirim
「たぶんね」
芋売り場の前で、
わたしたちはまだ動かない。
カゴの中は、
相変わらず空っぽだ。
でも、
どっちの芋を選ぶかで、
今日の夜のメニューは、
もう決まりはじめていた。
♦️第4章|味と食感で見る、じゃがいもとさつまいも
Keigo
「じゃあ次は、味と食感の話だな」
Mirim
「正面から来たね」
Keigo
「ここが一番分かりやすいだろ」
Keigoくんは、じゃがいもの箱を軽く叩く。
Keigo
「じゃがいもの基本は、ホクホク、粉質」
Mirim
「男爵タイプだね」
Keigo
「そう。蒸すと水分が抜けて、中が崩れる」
Keigo
「噛むと、“ほろっ”ってほどける」
Mirim
「口の中で散る感じ」
Keigo
「それがいい」
Keigo
「でんぷんが多いから、味自体は淡い」
Mirim
「甘くはないよね」
Keigo
「甘さはほとんど無い。
だからこそ、塩、バター、油を受け止められる」
Mirim
「味を乗せる前提」
Keigo
「そう。素材単体じゃなく、
料理の一部として完成する」
Keigo
「逆に言うと、単体で食うと物足りない」
Mirim
「そこ、認めるんだ」
Keigo
「認める。だから調理する」
Keigo
「揚げれば外がカリッ。中はホクホク」
Mirim
「コロッケだね」
Keigo
「潰せば、マッシュになる」
Mirim
「食感を作り変えられる」
Keigo
「それが、じゃがいもの一番の強み」
少し間が空く。
Mirim
「じゃあ、わたし行くね」
Keigo
「どうぞ」
わたしは、さつまいもの棚の方を見る。
Mirim
「さつまいもは、
食感の振れ幅が最初から決まってる」
Keigo
「ホクホクか、ねっとりか」
Mirim
「うん。品種でほぼ決まる」
Mirim
「ホクホク系は、
水分が少なめで、噛むとほろっと崩れる」
Keigo
「昔ながらの焼き芋だな」
Mirim
「ねっとり系は逆。水分多めで、舌に絡む」
Keigo
「安納とか、シルク系か」
Mirim
「そう。噛むっていうより、押しつぶす感じ」
Keigo
「食感が全然違うな」
Mirim
「でも共通してるのは、甘さが前に出ること」
Keigo
「砂糖無しでな」
Mirim
「うん。噛んだ瞬間に、味が完成してる」
Keigo
「じゃがいもと逆だな」
Mirim
「さつまいもは、味を足さない
足すと、逆に邪魔になることも多い」
Keigo
「確かに、バターが合わない品種もある」
Mirim
「甘さと香りが、もう入ってるから」
Keigo
「だからスイーツに寄る」
Mirim
「自然にね」
少し間が空く。
Keigo
「整理すると」
Mirim
「うん」
Keigo
「じゃがいもは、食感を“作る”芋」
Mirim
「さつまいもは、食感を“選ぶ”芋」
Keigo
「いい言い方だな」
Mirim
「でしょ」
Keigo
「じゃがいもは、加工で変わる」
Mirim
「さつまいもは、品種と焼き方で決まる」
Keigo
「だから、料理人はじゃがいもを選ぶ」
Mirim
「だから、焼き芋屋はさつまいもを選ぶ」
Keigo
「……納得だ」
わたしたちは、
芋売り場の前で少し黙った。
どちらが上、という話じゃない。
味の作り方が、
そもそも違う。
Keigo
「次は、文化と使われ方だな」
Mirim
「うん。そこ行くと、もっと差が出る」
カゴの中は、
まだ空っぽ。
でも議論だけは、
どんどん深くなっていった。
♦️第5章|文化としての立ち位置
芋売り場から少し離れて、惣菜コーナーの方が視界に入る。
コロッケ、フライドポテト、ポテトサラダ。
じゃがいもは、もうここに“答え”を置いている。
Keigo
「文化の話をするなら、じゃがいもはここだろ」
Mirim
「うん。家庭も外食も、全部ここに集まってる」
Keigo
「じゃがいもは、料理になる前提で社会に組み込まれてる」
わたしは、揚げ物のケースを見ながら頷く。
コロッケは家の味でもあり、惣菜でもあり、給食でもある。
フライドポテトは、ファストフードの顔だ。
Keigo
「ここで重要なのが“工業用ポテト”だ」
Mirim
「家庭用とは別枠、だよね」
Keigo
「別物と言っていい」
Keigo
「フライドポテトやポテトチップに使われる芋は、
甘さが低く、でんぷんが多く、サイズが揃う」
Keigo
「焦げにくく、油を吸いすぎず、冷凍に耐える」
Mirim
「美味しさの方向が違うんだ」
Keigo
「そう。
“味を作る素材”じゃなくて、
“工程に耐える素材”」
日本で流通・登録されているじゃがいもの品種は百種以上ある。
家庭向け、業務向け、加工専用、貯蔵前提。
同じ「じゃがいも」でも、使われる場所ごとに設計思想が違う。
Mirim
「だからポテトチップは、
家で蒸す芋とは別の世界なんだ」
Keigo
「工場で揚げられる前提だからな」
一方で、視線を戻すと、さつまいもは少し距離を保っている。
焼き芋。
大学芋。
干し芋。
芋けんぴ。
Mirim
「さつまいもは、
“料理のライン”には入りにくい」
Keigo
「惣菜にはなりにくいな」
Mirim
「でも、間食と季節には強い」
秋になると、焼き芋が現れる。
冬になると、干し芋が並ぶ。
“お腹を満たす”より、“気持ちを満たす”位置にいる。
さつまいもも品種数は非常に多い。
焼き芋向け、加工向け、色目的(紫)、甘味特化。
ただし分岐の基準は一貫している。
甘さと食感。
Mirim
「さつまいもチップはあるけど。」
Keigo
「主役は奪えてない」
Mirim
「じゃがいもは日常側。
さつまいもはイベント側」
Keigo
「だから派閥が割れる」
ここで、答えが見える。
じゃがいも派は、
料理・惣菜・外食・ファストフード・工業製品まで含めた
生活インフラ側を見ている。
さつまいも派は、
焼き芋・甘味・季節・記憶という
感情と嗜好の側を見ている。
Keigo
「どっちが上とかじゃない」
Mirim
「立ってる場所が違うだけ」
Keigo
「文化の住処が違う」
わたしはカゴを見る。
まだ空っぽなのに、もう決着はついている気がした。
♦️第6章|番外編:他の芋たちはどこに立つ?
じゃがいも売り場と、さつまいも売り場の間。
わたしたちはまだ動かない。
でも、視界の端には、もう別の芋たちが入ってきている。
棚の下段や、少し離れた場所。
主役じゃないけど、確実にそこにいる存在。
Mirim
「ねえ、でもさ」
Keigo
「ん?」
Mirim
「芋って、この2つだけじゃないよね」
Keigo
「……来たな、第3勢力」
わたしは、少し横にずれて、里芋の棚を見る。
Mirim
「まず、里芋」
Keigo
「ああ。あれは完全に別枠だ」
Mirim
「ねっとりでも甘くないし、
ホクホクでもない」
Keigo
「里芋は“食感の芋”だな」
Mirim
「味じゃなくて、舌触り」
Keigo
「そう。ぬめり、柔らかさ、まとわりつく感じ」
Mirim
「煮物にしかいないよね」
Keigo
「揚げてもいいけど、主戦場は和食だ」
Mirim
「じゃがいも派にも、さつまいも派にも入らない」
Keigo
「里芋派っていう独立国家だな」
次に、わたしは長芋の方を見る。
Mirim
「じゃあ、長芋と山芋は?」
Keigo
「もっと変わり種だな」
Mirim
「だって、生で食べるでしょ」
Keigo
「そこ。火を通さなくても食べられる」
Mirim
「すりおろしたら、もう別の食べ物」
Keigo
「状態の芋だな」
Mirim
「切る、叩く、する、焼く。
全部で役割が変わる」
Keigo
「じゃがいもほど料理寄りじゃないし、
さつまいもほど完成形でもない」
Mirim
「立ち位置が流動的」
Keigo
「だから戦争に参加しない。
観測者側だ」
少し歩いて、タロ芋の話になる。
Mirim
「タロ芋って、日本だとあんまり見ないよね」
Keigo
「でも世界では主食だ」
Mirim
「主食?」
Keigo
「米の代わり。
パンの代わり。
完全に“腹を満たす芋”」
Mirim
「甘さも、料理適性も、
日本の芋と前提が違う」
Keigo
「そう。
あれは文化圏が違う」
Mirim
「じゃがいもvsさつまいもの土俵に、
そもそも立ってない」
Keigo
「別リーグだな」
最後に、紫芋の棚を見る。
Mirim
「で、紫芋」
Keigo
「……色だな」
Mirim
「味じゃなくて?」
Keigo
「正直、味は控えめだ」
Mirim
「甘さも強くないよね」
Keigo
「でも色が圧倒的」
Mirim
「アイス、タルト、チップス。
全部“見た目担当”」
Keigo
「料理というより、演出」
Mirim
「じゃがいも派でも、さつまいも派でもない」
Keigo
「紫芋派っていうより、装飾担当だな」
わたしは、売り場全体を見渡す。
Mirim
「こうして見るとさ」
Keigo
「ん?」
Mirim
「じゃがいもとさつまいもって、
争ってるようで、実は特殊だね」
Keigo
「用途も甘さも、真逆なのに、
同じ棚に置かれるからな」
Mirim
「他の芋たちは、
ちゃんと自分の席がある」
Keigo
「里芋は和食、長芋は状態、タロ芋は主食、
紫芋は色」
Mirim
「戦う理由がない」
Keigo
「だから結論はこれだな」
Mirim
「うん」
Keigo
「じゃがいも vs さつまいも戦争は、
この2つだけの特殊な対立だ」
Mirim
「他の芋たちは、参加しない」
Keigo
「巻き込まれもしない」
わたしは、少し笑ってしまった。
Mirim
「芋売り場って、
静かだけど、思想強いね」
Keigo
「野菜の中でも、トップクラスだな」
カゴの中は、まだ空っぽ。
でも、
どの芋がどこに立っているかは、
もうはっきり見えていた。
♦️第7章|両方買う、という選択
結局のところ、
じゃがいもとさつまいもは、
どちらが上か、という話ではなかった。
役割が違う。
使われる場面が違う。
だから、同じ売り場に並んでいるのに、
ずっと別の道を歩いてきた。
それが一番はっきり分かるのが、
品種の数だ。
日本で、一般の消費者が買えるじゃがいもは、
想像以上に多い。
定番だけでも、
男爵、メークイン、キタアカリ、とうや、さやか、北海こがね。
少し意識して売り場を見れば、
インカのめざめ、インカの瞳、レッドムーン、
シャドークイーン、ノーザンルビー、
はるか、きたかむい、こがね丸。
さらに加工・業務用まで含めると、
じゃがいもは30種類以上が
「用途別」に流通している。
ポテトチップス、フライドポテト、冷凍ポテト。
外食や加工食品の裏側には、
北海こがねのような
“工業用ポテト”がはっきりと存在している。
じゃがいもは、
料理だけでなく、
産業の中でも使われ続けてきた芋だ。
一方で、さつまいもは少し様子が違う。
鳴門金時、紅あずま、紅はるか、
安納芋、シルクスイート、高系14号。
ここに、
安納紅、安納こがね、あまはづき、
ひめあやか、紅はるか系の改良種が加わる。
ねっとり系、ホクホク系。
甘さ重視、食感重視。
同じ芋なのに、
「焼いたときの完成度」を基準に、
細かく枝分かれしている。
数だけ見れば、
さつまいもも20種類以上が
普通に市場に出ている。
世界的に見れば、
じゃがいもも、さつまいもも、
品種自体は何百種類も存在する。
でも、
それを「消費者が選べる形」にまで整理している国は、
実は多くない。
日本の芋売り場は、
異常なくらい情報量が多い。
用途。
甘さ。
食感。
季節。
保存性。
それぞれが、
無言のまま並んでいる。
だから、
今日の買い物で出た結論は、
とても単純だった。
どちらかを選ぶ必要はない。
Keigoくんは、
じゃがいもをカゴに入れる。
わたしは、
さつまいもをカゴに入れる。
蒸す日もあれば、
焼くだけの日もある。
料理したい夜もあれば、
何も考えたくない夜もある。
その全部を受け止めるために、
芋は2種類ある。
カゴの中で、
土のついたじゃがいもと、
赤い皮のさつまいもが並ぶ。
今日の夜の景色は、
もう決まった。
じゃがいもも、
さつまいもも、
どちらも正解。
料理の向こう側シリーズ
マガジンにまとめています。
