方面委員の物語(06)
駄菓子屋の母子とテキ屋の親分
昭和初期、年の瀬が迫る工業都市の裏通り。方面委員が年末救助の準備で地区を巡視していたとき、小さな駄菓子屋で母と子が店番をしている姿が目に留まりました。気になって声をかけ、話を聞くと、こういう事情でした。
夫は省線(国鉄)の線路工夫でしたが、過労がたたり肋膜炎を患い、水がたまった症状が悪化して肺病を併発。妻や仲間たちの懸命な看病もむなしく、帰らぬ人となりました。夫には前妻はありませんでしたが、妻には郷里に前夫との間の15歳の息子がいて、今の夫との間には8歳と6歳の娘がいました。
夫の死後、簡易保険の百円と仲間からの五十円を資本に駄菓子屋を開業。しかし夫の姉が葬儀費用の残りを返さず着服してしまい、資金繰りは厳しいまま。商売は思わしくなく、家計は逼迫し、健康も優れない状態でした。
「神社の境内」という縄張り
事情を聞いた方面委員は、近所の神社の境内で商売すれば人出も多く、売れ行きがよくなるのではと提案。ところが数日後、母親が訪れ「ここはテキ屋の縄張りだから明日から店が出せない」と告げます。
方面委員はすぐテキ屋の親分を探し、この母子の実情を話しました。親分は快く理解し、すぐに商売を再開できるよう手配してくれました。
その後、母親は「夜店の方が売れる」と希望。方面委員が再び親分に相談すると、親分は顔つなぎの費用も受け取らず仲間に話を通してくれました。
病の悪化と軍医の往診
しかしこの頃から、母親の健康が明らかに悪化。夫が患った肺病が感染したようでした。方面委員は知り合いの病院に勤める軍医に電話し往診を依頼。しかしあまりの家の荒れように軍医はいったん自宅へ戻り、新聞紙を持ってきて床に敷き、その上に座って診察を始めました。それ以来、この軍医は毎日正午に必ず往診を続けました。
それでも病状は快方に向かわず、母親は幼子を残し息を引き取りました。
テキ屋仲間からの弔い
葬儀の日が近づいたある日、あのテキ屋の親分が仲間を連れてやって来ました。両手いっぱいの銅貨・銀貨を差し出し「一年余り世話になったお礼に、仲間みんなで出し合った。葬儀の費用にしてくれ」と告げたのです。
残された子どもたちの行く末
方面委員は委員会で協議し、郷里では3人全員の面倒は見られないため、せめて長男が自立できるまで2人の妹を郷里で預かってもらうことにしました。香典などを合わせた50円と市からの支援金、さらに方面委員の私費を加えて旅費を用意し、長男に妹2人を富山まで送り届けさせました。郷里の村役場方面委員とも連絡を取りました。
長男は当地へ戻った後、製管工場に就職。工場の寄宿舎では真面目なキリスト教信者の青年と親しくなり、方面委員はこの青年を後見役に据えて彼を見守りました。今はただ、その成長を待つばかりです。
原資料ではこの話は「家庭内不和の解決例」に分類されていますが、実際には生活困窮、病気、孤児の保護、地域の非公式ネットワーク(テキ屋)との協力など、複数の課題が絡み合った実例です。興味深いのは、
テキ屋というアウトロー集団が、方面委員の人脈と信頼で動いたこと。
軍医が家の不衛生さにも関わらず、新聞紙を敷いて診察を続けたこと。
孤児のその後まで長期的に見守ろうとしていること。
この3点は当時の制度の外で動いていた人間関係の力を物語っています。
「制度」だけでは救えない部分を、人と人とのつながりが埋めていた事実は今の福祉にも通じるものを感じます。
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※本連載は今回で終了します。
實例集は復刻版として書籍化を予定しています。
※記事冒頭のイラストはAI生成でモデルは存在しません。
次の月曜連載は「俺たち北支工作隊」です。こちらは戦時中、実在した部隊の活動を追うフィクション。戦場の裏側にあった知られざる物語です。
第1話は公開済みで、第2話以降を次の月曜から公開していきます。
