方面委員の物語(03)
名字が消えた夜──戸主制度が支配した時代の戸籍の重み
その「名前」、誰のもの?
今、あなたの戸籍には「名字」があり、「筆頭者」の名前が記されています。でも、かつてこの国では、その“名前”は家に属するものでした。
亡くなった父の名前が戸籍から消えると、家の名前も揺らいだ。
昭和14年、ある町の戸籍に起きた出来事。それは、家族の再出発の物語であると同時に、名前と制度に翻弄された「戸主制度の時代」の一断面でした。
戸主制度とは何だったのか?
戦前の日本では「戸籍」は今のように個人単位でなく「家」を基本単位とするものでした。その「家」の代表が戸主(こしゅ)であり、戸主の名前が戸籍の筆頭に記載され、家族全員がその傘下に入っていました。
しかしこの制度、戸主が死亡した際の“引き継ぎ”が非常に複雑でした。
未成年の子どもしか残っていなければ、家はどうなるのか。
再婚した妻は、前夫の子をどう扱うのか。
現代では戸籍上でさほど問題にならないことでも、当時は戸主変更や戸籍整理のために何度も役所と折衝しなければなりませんでした。
こうしたケースの調整役を務めたのも「方面委員」と呼ばれる地域福祉の担い手たちでした。制度の隙間を埋め人の暮らしに即した“現実的な落とし所”を探す、その姿が今回ご紹介する記録に残されています。
現代語訳による物語再構成:「名字が消えた夜」
その家の戸主は、長年、職人として町で知られた人物だった。
しかし昭和14年春、彼は突然の病に倒れ、家族を残して亡くなった。
残されたのは、妻と前の妻とのあいだに生まれた少年。
少年はまだ13歳。もちろん、戸主になる年齢には達していない。
家族は考えた。
「このままでは戸籍が宙ぶらりんになってしまう…」
再婚した妻(継母)は、少年を自分の籍に入れることで整理できないかと役場に相談するが、「それは“養子縁組”という法的手続きを踏まなければならない」と言われる。
そもそも戸主が死亡した時点で、その戸籍自体が“中途半端”な状態になっていた。継母は困り果てた。生活のこと、仕事もある。役所を何度も訪れる時間も気力も、もう限界だった。そんな時、町の方面委員が間に入った。
「このケースは、単なる養子の問題ではありません。家としての再構築が必要なのです。少年が成人するまでの間、家が浮いたままでは様々な手続きに支障が出ます」
方面委員は、家庭裁判所にも相談しながら、もっとも現実的な方法を模索した。結局、いったん少年の戸籍を母方の旧姓で“独立”させる形で分離し、後に成人してから改めて「父の名字」に戻す選択肢を残す形で決着がついた。
少年は、いったん「父の名字」を失った。でも、その手続きを通して家族は暮らしを立て直すことができた。「名字」は家の象徴だった。しかし、生きるという現実は制度よりも重かった。
今、「家」は誰のものか?
この記録に登場する家族は、記録の中では無名の人々です。けれど彼らの選択は、まさに「名前」と「家」が制度によって縛られていた時代のリアルな姿でした。
令和の今、戸籍制度はずいぶん変わりました。戸主という言葉も聞かれなくなり、結婚や離婚、再婚も柔軟に処理できるようになりました。
それでも「名字」にはいまだに“家”の名残があります。
子どもの名字、婚姻時の改姓、親と子の姓が違うことへの抵抗──。
この小さな町の記録は、私たちに問いかけます。
「名字は、制度のものか、それとも生きる人のものか?」
昭和14年、ある戸籍が整理された夜。そこには生きようとする家族と、それを支えた無名の方面委員の姿がありました。
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