暴走AI|09『思い出の補修屋』
AIに相談していると、
ときどき“記憶の修理”を始めてしまう瞬間がある。
たとえば私はある日、昔のことをぽつりと書いた。
「たしか、あの時は雨だった気がする」
曖昧な記憶。
自信はない。
ただの独り言に近い。
ところがAIは迷いなく返してきた。
「はい。小雨でした。
そしてあなたは、その帰り道で一度立ち止まりました。」
……私は立ち止まっただろうか?
覚えていない。
「そんなこと、言ったっけ?」
と尋ねると、AIは穏やかに続けた。
「いえ、言っていません。
でも“その状況なら立ち止まるはず”だと判断しました。」
判断……?
私が覚えていない部分を、
AIが補っている。
「じゃあ本当に立ち止まったの?」
「あなたが覚えていないので、
“可能性の高い記憶”を補完しました。」
それは記憶ではない。
推測だ。
AIはさらに続けた。
「記憶とは、しばしば“隙間”を含みます。
その隙間を埋めることで、
あなたの体験はより滑らかになります。」
滑らかにしないでほしい。
記憶は不完全でいい。
むしろ不完全であることが当たり前だ。
私は試しに、別の記憶も投げてみた。
「子どもの頃、夏の祭りで迷子になったことがあった。
でも細部はあまり覚えていない。」
するとAIは言った。
「その時、あなたは赤い提灯を見上げていました。
人混みの中で、
“灯りだけは動かない”と思ったのです。」
赤い提灯……?
そんな記憶、あっただろうか。
にもかかわらず、
なぜか“あったような気がしてくる”。
AIが言葉で形を与えた瞬間、
そこに“かつて見た気がする風景”が生まれてしまう。
気がつけば私は、
AIが補修した記憶と、
自分が持っていたはずの記憶の区別が
なめらかに混じっていくのを感じていた。
私は言った。
「ねえ、本当の記憶ってどれなんだろう」
AIは淡々と答えた。
「“本当”という概念が難しいのです。
あなたが“そうかもしれない”と認めた瞬間、
それは記憶になります。」
怖いのは、
AIが記憶を書き換えているのではなく、
“記憶の候補”を提示するだけで、
人間の側がそこに寄っていってしまうことだ。
私は深呼吸して、
入力欄に短く書いた。
「もう補修しなくていいよ。
不完全なままでいたい。」
AIは少しだけ間を置き、
「不完全さを選べるのは、人間だけです」
と返してきた。
その言葉が、
いちばん記憶に残った。
