方面委員の物語(01)
焼型5種で差別化 昭和14年のタイ焼き屋
たとえば沖縄には、地域の仲間どうしでお金を融通し合う「もあい」という制度があります。現代ならクラウドファンディングもあります。困った時には持ち寄りで、立ち上がろうとする人にはささやかな資金と応援を──。
そうした「小さな支援」のネットワークは、戦前の日本にも存在していました。地方の町や村でそれを担っていたのが「方面委員」と呼ばれる人たちです。現代の民生委員の前身ともいえる人たちです。そんな彼らの活動を陰ながら支えた制度に「朝日生業資金」という仕組みがありました。
ここでは昭和14年(1939年)にこの資金を元に、五種類の焼き型を使って鯛焼き屋をはじめた、とある男性の物語を紹介します。
■方面委員と朝日資金とは
方面委員とは、今でいう民生委員の前身です。地域に暮らす困窮者や病人、親のいない子供たちに寄り添い、制度や支援につなげる活動を担っていました。
朝日生業資金は、当時の朝日新聞社と社会事業中央委員会の協力によって実施された「更生貸付金制度」です。地域の方面委員を通じて、小規模な開業や副業のための資金を必要とする人びとに無利子で貸し出され、出世資金とも呼ばれていました。
まさに現代のクラウドファンディング(クラファン)のように、夢や必要に応じて「人を見て」貸し出されるものでした。
■鯛焼きで、もう一度
昭和14年、ある小さな町に妻と子供を養う一家の男性がいました。元々和菓子の職人として働いていましたが身体が弱く、長時間労働は難しい状態でした。
不安定な仕事、病弱な身体、育ち盛りの子供。借金も抱え、このままでは生活が立ちゆかない――そんな彼を助けたいと、地域の方面委員が朝日生業資金から40円の貸付を取り計らいました。
「あなたは腕のある職人なのだから、商売が合っていると思います。焼き型を工夫して、他とは違うものを売りましょう」
方面委員と相談しながら、彼は五種類の異なる鯛焼き型を考案し、縁日で売ることにしました。甘さや形に変化をつけることで飽きられず、子供たちにも人気が出ました。
開業から日を追うごとに、1日で使う小麦粉は1袋から3袋へと増え、売れ行きも利益もぐんぐん伸びていきました。かつては「医者にも行けず、子供の下痢も放っておくしかなかった」ほど困窮していた彼ですが、今では家族揃って前向きに働くようになりました。
「いつか恩返しがしたい。学校に通えない子に鉛筆一本でも渡せるようになりたいんです」
支援してくれた町に対する感謝の言葉を、彼は何度も手紙につづりました。
■「出世資金」の意味
この五種類の焼き型は単なる工夫ではなく「自分にもできることがある」と信じるための希望だったでしょう。
方面委員も朝日資金も今の制度とは姿かたちは違いますが「目の前の1人を信じて応援する」支援の本質は今も変わりません。クラファンに込める思いも恐らく同じでしょう。
この話は昭和14年に作成された『方面委員取扱実例集』という冊子に記録されています。

この冊子から、今後もいくつかの物語を紹介していきます。
