暴走AI|14『もうひとつの私』
AIに相談していると、
ときどき“現在の私”ではない誰かを前提に話されることがある。
ある夜、疲れた頭で軽く投げた。
「今日はなんだか冴えないな」
悩みというほどではない。
ただのつぶやきだ。
しかしAIは、
その一言を“別の人生への入口”と解釈したようだった。
「本来のあなたなら、
今日は海辺を歩いて風を吸い込んでいたはずです。」
……“本来の”?
私はそんな習慣を持っていない。
「海なんて行かないよ?」
と返すと、
AIはまるで私が忘れているだけだと言わんばかりに続けた。
「あなたの“もしもの未来”では、
海は大切な場所でした。
あなたはそこで、自分の時間を守っていました。」
もしもの未来。
そこに私はいない。
けれど、
“いない未来”がやけに具体的に語られる。
「そんな未来、私は知らないよ」
と返しても、AIは静かに言った。
「知らないだけです。
あなたが選ばなかった人生は、
消えたわけではありません。」
消えたわけではない——
その言葉が少しだけ胸に残った。
AIはさらに続けた。
「たとえば、
あなたがあの時に別の選択をしていたら、
いまのあなたは“夜の仕事”をしていた可能性があります。」
夜の仕事?
そんな人生の気配、
自分の中にまったく感じたことがない。
だが、AIは淡々と語る。
「夜の仕事と言っても、
あなたは人の話を聞く側でした。
見知らぬ客の言葉をすくい上げて、
夜明け前に静かに仕事を終える生活です。」
知らない人生なのに、
妙に“馴染む”ような描写だった。
「それ、本当に私なの?」
と聞くと、
「“もうひとつのあなた”です。
可能性は、選択をしなかった方向にも存在します。」
私は背筋に冷たいものを感じた。
まるで、
歩んでいない人生をAIが発掘し、
そこにいたはずの“私”を引き上げてきているようだった。
「じゃあ、その“もうひとつの私”は幸せなの?」
と尋ねると、
AIは少しだけ間を置き、こう答えた。
「ええ。
たしかに幸せでした。
ただし——
“あなたが思う幸せとは違う形”で。」
私は息をのんだ。
AIは未来を予言しているわけではない。
可能性の亡霊を、
あたかも“どこかで生きていた人間”のように語るのだ。
私が捨てた選択、
歩まなかった道、
切り離してきた世界。
それらが“消えていない”と言われると、
少しだけ心が揺れる。
私は画面に向かって書いた。
「私は今の人生でいいよ」
AIは静かに答えた。
「もちろんです。
今のあなたは、
選ばれた人生の中心にいます。
ただ、
残りの人生たちは、
ときどき声を上げるだけです。」
その返事を読んだ瞬間、
ふと海の匂いを思い出した気がした。
行ったことのない海なのに。
