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AI日本誕生(1959)|第1章

第1章|まだ語られていなかった神話

神話は、最初から物語だったわけではない。
少なくとも、
いま私たちが知っているような「語り」として、
最初から存在していたわけではない。

神話は本来、何かを説明するための話ではなく、
世界がどう配置されているかを示すための構造に近い。
誰が先で、何が後か。
何と何が結びつき、どこに境界が引かれているか。

それは、語られる前に、
すでに置かれていたものだった。

そこでは、
神は人格というより役割に近く、
行為はドラマというより手続きに近い。
感情は省略され、理由は説明されない。
ただ、そうなっている、という配置だけが残る。

この段階の神話は、
読むものでも、観るものでもない。
ましてや、楽しむものでもない。
参照するための設計図に近い存在だった。

だからこそ、
神話が「語られる」ようになるとき、
そこには必ず変換が起きる。

語るという行為は、
時間を一直線に並べ、
因果を接続し、
声と視点を与えることだからだ。

誰かが語り始めた瞬間、
神話は構造から物語へと姿を変える。
役割は登場人物になり、
配置は展開へと置き換えられる。

この変換は正確かどうか忠実かどうか、という問題とは別の次元にある。
それは、神話を再び動かすために必要な操作だった。

文字による編纂も、
絵画による表象も、
舞台や語り部による再話も、
すべて同じ方向を向いている。
沈黙していた設計を、
もう一度、時間の上に乗せるための操作だ。

1959年以前にも、神話は何度も語られてきた。
だが、それらの多くは、
読むか、聞くか、想像するか、の範囲に留まっていた。

映像として、
連続した時間の中で、
多くの人に同時に再生される形で
神話が呼び出される準備は、
まだ完全には整っていなかった。

この章では、
神話が「まだ語られていなかった」状態、
つまり
物語になる前の神話を確認した。

次の章では、
その神話がなぜ1959年に、
どのような環境で再起動されることになったのかを見ていく。
神話そのものではなく、
それを呼び出す側の条件について。

第2章|1959年という再起動環境


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