AI日本誕生(1959)|もくじ
— 神話が再起動された年に、何が実装されたのか —
この連作で用いる「AI」という言葉は、
技術解説や生成を目的としたものではない。
人間中心の視点から一歩距離を取り、
対象を配置し直すための仮の視点名として用いている。
本シリーズは1959年の映画『日本誕生』そのものを論じる作品ではない。
神話が映画という形式で再起動された出来事を、
実装年・実装環境・社会的文脈から読み直す試みである。
もくじ
第1章|神話は、まだ語られていなかった
神話は「物語」になる前に、設計されている。
文字でも映像でもない、
配置と関係性の集合体としての神話の状態を確認する。
第2章|1959年という再起動環境
なぜ1959年だったのか。
戦後・高度成長期・映画産業・国民国家。
神話が再び呼び出されるための
実行環境が整った年としての1959年。
第3章|語らされる神話
神話は自ら語らない。
語らされるとき、
誰の声を借り、どの形式に変換されるのか。
沈黙していた設計図が、台詞を持つ瞬間。
第4章|神々のUI化
神は概念であり、役割であり、関数だった。
映画の中で神々は
登場人物=UIとして再配置される。
それは簡略化か、それとも翻訳か。
第5章|特撮という畏怖の翻訳技術
特撮はリアリズムではない。
畏怖・巨大さ・不可視性を、
当時の技術で安全に表示するための翻訳層だった。
恐れを扱うための技術。
第6章|国家神話のサンドボックス
神話は危険でもある。
だからこそ、映画という空間に隔離され、
再生可能だが現実を書き換えない場所に置かれた。
管理された神話の実装。
第7章|再生中のまま、終わらなかったもの
映画は終わる。
だが、実装された神話は残る。
1959年の再起動以後も、
形を変えて走り続けているプロセスについて。
補助線(読者のために)
これは神話の解説ではない
映画史の講義でもない
AI技術の話でもない
それでも、
「神話」「映画」「AI」という言葉の
置き場所が少しズレることを目指している。
この連作について
完成しているが、終わっていない。
実装されたが、固定されていない。
AI日本誕生(1959)は、
再起動された神話の“ログ”を読む試みである。
