押入れタイムカプセル(012)
戦時下の小学生が兵隊さんに書いた手紙
家の奥に眠っていた古い手紙の束。そこには昭和1ケタ生まれの父が小学生だった頃に書いた「兵隊さんへの手紙」もありました。これは戦地で戦う兵隊さんに送る慰問袋に入れる手紙で、誰が読むのかは分からない状態で書かれたものです。
昭和12年と昭和14年、どちらも戦時色が強まっていた頃のもので、内容は素朴な作文ですが、その“素朴さ”こそが、逆に時代の空気を映し出しているように思えます。

■1通目:昭和12年(1937年)11月4日
明治節(=明治天皇の誕生日)の記念行事が雨で中止になった日。
小学2年生だった父が書いた作文です。
兵隊さん
昨日は明治節ですから、旗行列を小学校でやろうと思ったら
あいにく雨が降って来て、天長節も、旗行列もやれませんから、
僕たちは教室で御親兵へお辞儀をしました。
その時、先生が今日は雨が降って、天長節はやれないから、
高等二年の人が理科室でやったなどと言いました。
そしてお昼からは天気になりましたから、お十夜へ行きました。
そしてお金を四銭使いました。終わり。
※句読点もほとんどなく、最後は「終わり」で潔く締めているのが、なんとも子供らしいです。(画像を見れば分かりますが、原文はほとんどカタカナで書かれており、それを漢字にしています。)

■2通目:昭和14年(1939年)6月18日
小学4年生になった父が書いた、やや長めの「兵隊さんへの手紙」です。
一部漢字を補って、読みやすく整えました。
兵隊さん、元気ですか。
内地は今、入梅ですが、わりあいに好いお天気が続いて、なかなか暑いです。僕は三浦三崎の小学四年生です。今、三崎は鰹船がたくさん入って、
魚市場は足の踏み所もないほどです。そのたくさんの鰹が自動車で東京へ送られたり、鰹節に製造されたりして、目のまわるような忙しさです。
兵隊さん、戦地ではお魚など少ないでしょう。僕たちがこんなにお魚を食べて、もったいないほどです。今朝は早く起きて氏神様を掃除して、すっかりきれいになった後で兵隊さんの武運長久をお祈りしていると、お屋根にとまっていた鳩も、僕たちと一緒に祈っているような気がしました。
僕のおじさんは士官学校の四年生で、九月に卒業して戦地へ行くのです。
戦地へ行って立派な働きをするのを楽しみにしています。
兵隊さん、お身体を大切にして、東洋平和のためにしっかり戦って、元気に凱旋できる日をお祈りしています。
さようなら。
書き手はまだ10歳そこそこ。
「こんなにお魚を食べて、もったいないほどです」と語る無邪気さの裏には、配給や統制がはじまりつつある当時の“豊かさ”の記憶があります。
時代は前後しますが、前回ご紹介した「紙も兵器だ!」というスローガンが書かれた雑誌が出たのは、このわずか2年後の昭和16年。すでにこの頃には「贅沢は敵だ」といった感覚が、社会の空気として子供の作文にもにじみ出ていたのかもしれません。
この2通の手紙からも戦時下の子供が何を信じて疑っていなかったのかが分かる気がします。この次の「押入れタイムカプセル」では、時を前に進めて1944年の公文書を紹介しようと思います。前回、今回、次回と並べてみるだけで、その先の未来を知る私は切ない気持ちになりました。昔も今も「その先の未来」は決して見えないものなのですね。
※これらの手紙は小学生だった私の父が書いたもので、戦地へ送る“慰問袋”に同封されたもの(2通目はその下書き)でした。次回(013)では、さらに時代を進め、戦局が深刻さを増す1944年の神奈川県からの文書を紹介します。
