Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 3回目:「Yoma」1章6節〜2章2節の逐条解説:大祭司の資質と第2神殿奉仕の法理的変遷
*本稿は「ヨム・キップール(Yom Kippur:贖罪日)」の祭儀構造を、旧約聖書(トーラ)レビ記16章と、その実効的解釈を規定する口伝律法ミシュナ「Yoma(ヨマ)」篇の原典に基づき解明するシリーズ3回目。
今回は第1章6節から第2章2節を扱い、大祭司の聖書朗読能力の多寡、一日の最初の奉仕であるterumat hadeshen(灰の奉仕)の権利確定プロセスの変遷(身体的競争から「くじ」へ)を詳述。日本語圏に蔓延する抽象的な解説を排し、第2神殿時代における祭儀の法理的・歴史的真実を提示する。
前回の振り返り:祭儀家畜の算定とサドカイ派対策
前回はミシュナ「Yoma」1章3節から5節に基づき、ヨム・キップール(贖罪日)の前日に行われる準備、供え物の詳細、および大祭司の聖別を維持するための厳格な規定について解説していた。
主な内容は以下の通りである。
【1】祭儀用家畜の確認と厳密な頭数算定
ヨム・キップール前日の朝、大祭司は東の門(ニカノールの門)で、当日献げられる家畜(雄牛、雄羊、小羊)を確認する。これは翌日の奉仕をシミュレーションし、誤りを防ぐ為である。
①雄牛 2頭
大祭司の一族のための贖罪の献げ物1頭と、mussaf(ムーサフ)の焼き尽くす献げ物1頭。
②雄羊 3匹
レビ記規定の焼き尽くす献げ物2匹とmussafの焼き尽くす献げ物1匹。
③小羊 9匹
tamid(タミッド)の焼き尽くす献げ物2匹とmussafの焼き尽くす献げ物7匹。
民全体の贖罪に用いられる雄山羊は、大祭司がその罪を直視することに耐え難い為、この確認は行わない。
【2】生理的な汚れの予防と徹夜の準備
大祭司は祭儀的な清さを維持するため、前日の夜から生活上の制限が課される。
眠気を防ぐため、前日の夜は大祭司に多くを食べさせない。睡眠中の射精による汚れ(レビ記15:16)を避けることが目的である。
この汚れが生じると、翌日の日没まで清くならない為、大祭司は徹夜で過ごさなくてはならない。
【3】至聖所奉仕を巡る誓約とサドカイ派対策
ヨム・キップールで最も困難な「至聖所内での献香」について、アヴティナスの部屋(香料を調合する場所)において、年配祭司から指導が与えられる。
最高法院(サンヘドリン)のラビたちは、大祭司に対し「教えられた奉仕内容を一切変えない」という誓いを立てさせる。
これは、口伝律法に従わないサドカイ派的解釈を排除する為である。特に至聖所内は大祭司以外誰も入って見ることが出来ない為、法理的な正当性を担保するにはこの誓約が不可欠であった。
異端を疑う側と疑われる側の双方が、その宗教的緊張と悲しみから顔を背けて泣くという、極めて厳粛な場面が描かれている。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 2回目:「Yoma」 1章3節~5節における家畜規定の詳細とサドカイ派対抗の法理的背景
https://note.com/mishnah/n/n2dbb6ed831f4
大祭司の資質と「Yoma」1章6節における聖書朗読規定
まずは「Yoma」1章6節から再開する。
もし大祭司が学者であるなら、講義する。もしそうでないなら、学者たちが彼の前で講義する。もし大祭司が聖書を読むことに慣れているなら、自ら読む。もしそうでないなら、彼らが彼に読む。
どこから読むのか?ヨブ記から、エズラ記から、歴代誌から。
大祭司は一晩中起きているので、彼が講義を担当するか、あるいは学者たちの講義を聞くことになる。
次の一文「もし大祭司が聖書を読むことに慣れているなら、自ら読む。もしそうでないなら、彼らが彼に読む」は説明を要する。
私たちは大祭司なら、当然聖書を読むことに慣れていると想定するが、ここではそうではない場合があることを示唆している。次のようにまとめられる。
①当時の聖書にはふりがな(ニクード)が付けられていなかった。そこで聖書の学びにおいては、正しく発音して読むことが大きな部分を占めていた。
②当時は聖書の解説はなく、全て口伝や口伝律法の形で伝えていたので、解釈の困難を感じる部分もあった。
どこの箇所を読むのか、その目安も示されている。
どこから読むのか?ヨブ記から、エズラ記から、歴代誌から。
これらの巻が示されている意味について、ミシュナでは簡単に触れている。
a、ヨブ記を読むことは、人生の目的を黙想することである。
b、エズラ記を読むことは、エルサレムの荒廃、第2神殿建築の苦労を知ることである。
c、歴代誌を読むことは、ダビデ王朝について知ることである。
次節に進む。
大祭司の徹夜奉仕と眠気対策の法理
もし眠りたくなったなら、若い祭司たちが人差し指で大祭司の前で音を鳴らし、言う。「主人である大祭司よ、立って床の上で涼んで下さい。」
そして彼らはtamidのいけにえを屠る時間まで、大祭司を忙しくさせる。
この節の冒頭部分は、特に説明は必要でない。
次の「主人である大祭司よ、立って床の上で涼んで下さい」には以下の事情がある。
神殿の敷地は裸足で歩かなくてはならない。従って、ここでは部屋から出て、冷たい床に足を付けることを意味する。こうして眠気を飛ばすことになる。
「彼らはtamidのいけにえを屠る時間まで、大祭司を忙しくさせる」について、日の出と共に、ヨム・キップールの祭儀が始まる。それまで大祭司を寝かさないことを言っている。
次に進む。
「Yoma」1章8節:ヨム・キップールにおける祭壇奉仕の特殊性
毎日祭司からの呼びかけがある時に、祭壇から炭を取らなくてはならない。その前であれ、後であれ。ヨム・キップールにおいては、それは夜中からされる。
これはterumat hadeshen(テルマット・ハデシェン)の奉仕について言っている。一日の最初にする奉仕であり、祭壇上の灰を一部取り、祭壇の横に置くというものである。
これについては、以前の記事で詳しく解説している。
◉ミシュナ『Tamid(タミッド)』篇・逐条完全解説第3回:祭司の奉仕の順序と「灰(tapuach:タプアフ)」の神学的構造(1章4節~2章4節)
https://note.com/mishnah/n/n5774ea79964d
一部の灰を置く場所は写真の辺りである。

一日の始めに、昨晩からの灰を取り出し祭壇の横に置くことは、昨日まで行ってきた神殿での奉仕を、今日も変わることなく続けるという意味を持っている。この灰を取り出す時には、銀のシャベルを使うとされている。
以前の記事で、通常の祭司が神殿奉仕する機会は極めて限られており、彼らはそれを熱心に求めたことを書いた。
このterumat hadeshenについて、次のようなエピソードが記録されている。
始めの頃、祭壇から灰を取りたい者が取っていた。多くなると彼らは走って行き、スロープを上って、誰でも同僚よりも早く4キュビット近くまで来た者が権利を得るようになった。
「始めの頃」とは第2神殿初期のことを言っている。その時代、「祭壇から灰を取りたい者が取っていた」のである。
一日の内の最初の奉仕である灰を取る作業については、希望する者が担当することが出来たという事である。
次に「多くなると彼らは走って行き、スロープを上って、誰でも同僚よりも早く4キュビット近くまで来た者が権利を得るようになった」とある。
4キュビットとは約2メートルである。この役割を望む者が増えた時、競争によって決定したことを言っている。
「スロープ」とは、祭壇の南側のスロープのことである。

32キュビットあるので、それなりに長い。
「4キュビット近くまで来た者が権利を得るようになった」とは、スロープを上りきったところが祭壇の上になるが、その手前約2メートルの所まで1番早く走った者が、権利を得たことになる。
しかし、事件が起こる。
奉仕権決定プロセスの変遷:身体的競争から「くじ」による選定へ
かつて次のような事が起きた。スロープを上っている時、2人が同時に到着したが、その内のひとりが他方を押した。彼は落下し、足の骨を骨折した。法廷は従来のやり方に危険があることを悟り、祭壇から灰を取る役割はくじで決めることにした。4つのくじがあり、これは最初のくじである。
最初は希望者、次には徒競走でこの役割を決めていたところ、怪我人が出てしまった。そこで法廷はくじで決めることにしたという経緯について言っている。
「4つのくじがあり、これは最初のくじである」とは、4回のくじ引きで朝のtamidの祭壇奉仕を決めていた事情と、最初のくじ引きでterumat hadeshenの奉仕者を決めていた事を記録している。
もしくじ引きの全貌を確認したいなら、以下のシリーズを復習して欲しい。
◉祭司による「日毎の奉仕(tamid)」の完全復元【全13回・完結】――ミシュナが記録する祭儀の法理と祈りの構造
https://note.com/mishnah/n/ne0f9ce5dd9f8
最後に「ヨム・キップールにおいては、それは夜中からされる」(再掲Yoma 1:8)に戻る。
通常は夜明け前であっても後であっても、terumat hadeshenは朝に行われるが、ヨム・キップールの夜にあっては、それを前倒しで行う。大祭司の負担を考慮しているものである。
以上で今回の解説を終わりにする。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Yoma』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n7222129b891f
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
