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ミシュナ『Gittin』法理研究 第5回:使者によるget(離縁状)・奴隷解放文書の交付と撤回権――ラビ・メイルとラビたちの「利益・不利益」を巡る法理論争

【学術的解説に関する免責事項】本稿は、約2,000年前に編纂されたユダヤ教の口伝律法『ミシュナ』および古代の法制度に関する歴史的・学術的な論考です。文中に登場する「奴隷」や「身分」に関する記述は、当時の社会背景および法論理を正確に検証・再現するためのものであり、現代におけるいかなる人権侵害、差別、または奴隷制を肯定・助長する意図はありません。

 本稿は口伝律法ミシュナ第3部『Nashim(ナシーム)』に属する『Gittin(ギッティン)』の第5回目の解説である。

 今回は『Gittin』1章6節に焦点を当て、夫または主人が使者を介して文書を届ける際の「撤回権」の法理を解説する。不在の当事者に対して利益をもたらす代理権の原則がいかに適用されるのか、妻の離婚と奴隷の解放における「扶養義務」や「身分変化」の非対称性を比較しながら、緻密な議論を深掘りする。


前回の振り返り:Cutheanの署名要件と異邦人法廷の限界

 前回は『Gittin』1章5節に基づき、Cuthean(サマリア人)の署名および異邦人法廷の文書に関する法理を解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】 Cutheanの署名と例外措置

 ミシュナ1章5節の原則として、Cutheanが署名した文書は、彼らが口伝律法を受け入れておらず、信頼性に欠けると見なされていたので、通常は無効とされる。

①例外(getと奴隷解放文書)

 証人の1人がCutheanで、もう1人がユダヤ人である場合、離縁状(get)と奴隷解放文書に限り有効と見なされる場合がある。

②論理的根拠

 get等には「証人がお互いの面前で署名しなければならない」という規定があるため、ユダヤ人の証人が、信頼出来ないCutheanの署名が含まれることを知らずに署名してしまうリスクが低いと考えられる。

③ラッバン・ガマリエルの見解

 彼はさらに踏み込み、署名した証人の2人ともCutheanであっても有効と認める。Cutheanは遵守する律法については、むしろユダヤ人よりも厳格であると考えたからである。

④歴史的変遷

 後世、ラビたちはCutheanを異邦人と見なす決定をしたため、現在では彼らの署名がある文書はすべて無効とされている。

【2】異邦人法廷と「国の法律は法である」原則

 異邦人の法廷で作成され、異邦人が署名した文書(売買や贈与の証明など)は、原則として有効である。

 売買などの一般取引は全人類共通の規範である「ノアの法」の範疇に含まれるからである。そこでDina d'Malchuta Dina(ディナー・デ・マルフータ・ディナー:国の法律は法である)の原則が採用されている。

 これは政府が定めた金銭に関する法律は、ユダヤ法においても拘束力を持つという原則である。

 また、異邦人法廷は裁判機能が信頼されており、証人も偽証の罰を恐れて誠実に振る舞うと考えられている。

【3】金銭法(ノアの法)と身分法(トーラの律法)の切り分け

 ただし、get(離縁状)と奴隷解放文書に関しては、異邦人法廷で作成されたものは無効となる。

 getや奴隷解放はトーラ固有の律法に基づく「身分の変更」の手続きである。異邦人はこれらの固有律法の対象外であるため、証人として関与することは出来ない。

【4】ラビ・シモンの異議と「引き渡し論」

 ラビ・シモンは、ラビ・エルアザルの「引き渡し論」(文書の有効性は署名ではなく、受取人への引き渡しによって決まる)に基づき、署名した2人の証人が共にCutheanである場合にも、ユダヤ人が交付しているなら、getや奴隷解放の文書は有効になり得ると主張した。

 Cutheanは離縁等に関する律法を遵守しており、ユダヤ人が受領者に渡しているからである。

 ただし署名者が異邦人の場合は、たとえユダヤ人が交付したのであっても有効とは認められない。後代に誤って解釈され、異邦人署名が有効なものと見なされ、偽りの慣習が拡大、定着することを防ぐ為である。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Gittin』法理研究 第4回:Cuthean(サマリア人)の署名要件と異邦人法廷におけるDina d'Malchuta Dina(国の法律は法である)の適用限界:ノアの法に対するトーラの管轄領域

https://note.com/mishnah/n/nd83ae0413aa4


ミシュナ『Gittin』1章6節:使者による文書交付と撤回権の原則


 今回はその続きで口伝律法ミシュナ「Gittin」1章6節からである。まずは本文を引用する。

 もし誰かが「getを妻に持って行って下さい」とか「奴隷解放の文書を私の奴隷に持って行って下さい」と言うなら、もし彼が望むなら、彼は撤回することが出来る。これらはラビ・メイルの言葉である。

(Gittin 1:6)

 タルムードのGemaraによれば、夫や主人が「このgetを妻に渡して下さい」あるいは「この解放文書を奴隷に渡して下さい」と言うことは、「妻(または奴隷)に代わってこの文書を取得して下さい」と言っているのと同義であると解釈される。

 これは、夫または主人の使者が単に届けるだけでなく、受取人の代理として文書を正式に受理することを意味する。

 しかしgetや奴隷の解放文書は、妻や奴隷にとって不利益の側面もあるので、妻本人または奴隷本人が受領する前ならば、夫は撤回出来る。以上の見解はラビ・メイル(Rabbi Meir)のものである。

 続きには次のように書かれている。

 ラビたちは言う、「gittinのケースはそうであるが、奴隷解放についてはそうではない。なぜなら私たちは本人不在の間でも本人の利益になることは出来るが、本人不在の時には不利益なことは出来ない。」

(Gittin 1:6)

 ラビたちはラビ・メイルとは同様に考えない。getの場合は、妻が受領するまでは、夫が撤回出来る点については同じであるが、奴隷解放の文書については、代理人に渡した時点で撤回出来ないとする。

不在者のための利益(代理権)に関する聖書的根拠(民数記34:18)


 なぜなら、ラビたちはgetが妻にとって不利益であると考えるが、奴隷解放の文書は奴隷にとって不利益ではないと考えるからである。

 「私たちは本人不在の間でも本人の利益になることは出来るが、本人不在の時には不利益なことは出来ない」という原則は、トーラから引き出されている。

 あなたたちは、各部族から指導者を一名選んで、土地を分け与えさせなさい。

(民34:18)

 この箇所は、各部族の代表者がくじ引きによって、不在の各構成員の為に土地の割当てを受けることを示している。

 奴隷にとって解放されることは明確な利益と見なされるので、本人がその場にいなくても、使者が解放文書を受け取った時点でその利益は確定し、主人は撤回出来なくなる。

 他方で離婚は妻にとって不利益なことであると見なされるので、getは本人が直接受け取るか、本人が任命した代理人が受け取らない限り有効にその効果が発生しない。従って、夫が送った使者が文書を持っている段階ではまだ「夫の所有物」と見なされ、妻の手に渡るまでは夫は撤回出来る。

妻の離婚と奴隷の解放における「扶養義務」の非対称性

 続きには次のように書かれている。

 (ラビたちの発言の続き)・・というのも、もし彼が奴隷を養うのを望まないなら、彼は認められ、妻を養うことを望まないなら、彼は認められない。」

(Gittin 1:6)

奴隷に対する扶養義務と慈善の規定


 奴隷の解放が利益と見なされ、離婚が「不利益」と見なされる大きな理由の一つに、扶養義務の違いがある。

 主人は奴隷への扶養を停止しながら、同時に労働を要求し続けることが許されている。その場合、奴隷は慈善に頼って生活しなくてはならない。

 この規定は「ユダヤ社会には慈善によって奴隷を支える義務がある」とされていることに拠る。つまり、主人からの扶養はもともと保証されていないので、奴隷にとって解放で失うものは何も無い。従って、奴隷本人の知らない間でも解放を成立させることが出来る。

妻に対する生活保証義務と離婚の不利益


 他方で妻の場合、夫は妻を扶養する義務があり、妻が働いて得た利益を受け取る代わりに、彼女の生活を保証しなければならない。

 当時の標準的な状況では、妻は自分の稼ぎで生活費を賄うことは出来ない。離婚は彼女から扶養という支えを奪う不利益な行為となる。この為、代理人は妻の同意なしにgetを受け取ることが出来ない。

 ラビたちの主張は以上の通りである。

ラビ・メイルの反論:奴隷解放が「不利益」となり得る2つの理由


 続きには次のように書かれている。

 彼(ラビ・メイル)は彼らに言った。「しかし彼は奴隷にterumahを認めないことになる。彼が妻に認めなくなるのと同じように。」

(Gittin 1:6)

 ラビ・メイルは、奴隷の解放もまた「不利益」になり得ると主張する。その主な理由は以下の2点である。

①祭司のterumahの喪失

 祭司に仕える奴隷は、聖別された食べ物であるterumahを食べる権利があるが、解放されるとその権利を失う。また、terumahは食べられる人が限られているため安価であり、この食事の権利を失うことは奴隷にとって経済的な不利益であると考えるものである。

②結婚生活の変化

 奴隷は同じ奴隷階層の女性と親密な関係を持つことが出来るが、解放されて「完全なユダヤ人」になると、奴隷の女性との関係は禁じられる。

 ラビ・メイルは、解放された奴隷がユダヤ人女性と結婚出来るようになる反面、奴隷の女性との関係が許されない点で不利益を指摘する。

ラビたちの再反論:自由身分の取得という絶対的利益


 続きには次のように書かれている。

 彼ら(ラビたち)は彼(ラビ・メイル)に言った、「奴隷は彼の所有物である。」

(Gittin 1:6)

 ラビたちは、たとえ祭司の奴隷であっても、解放は利益であると主張する。なぜならterumahを受ける権利は、非常に不安定であるからである。

 主人はいつでも彼を祭司ではない、その他のイスラエル人に売却することが出来る。売却され、祭司の家ではない家に所属するようになれば、奴隷のterumahを食べる権利は失われる。

 従って解放によってterumahの権利がなくなることは、重大な不利益とは見なされない。また、奴隷という低い身分に基づく権利を失うことは、不利益とは呼べないと解釈される。

 結婚については、奴隷の女性との関係が許されなくなる代わりに、自由なユダヤ人女性と結婚出来る権利を得ることは、大きな利益である。

 しかし結局のところ、これら細かな損得よりも、「奴隷身分からの解放」という自由な身分の取得は、奴隷に伴う利得よりも遥かに大きいというのが、ラビたちの結論である。

エルサレム・タルムードにおける「主人の人柄」を巡る議論


 補足として、エルサレム・タルムードにおいて、なぜ「夫や主人の人柄(例えば非常に気難しい人物かどうか)」が利益・不利益の判断基準に含まれないのかという疑問が呈されている。

 その回答については注釈者の間でも議論が分かれているが、奴隷に関しては、他の主人に売られる可能性が絶えず存在するので、如何なる場合でも解放は利得であると考えられる。

 この点で妻は同様には考えられない。離縁は常に不利益であると考えられている。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Gittin』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n0d4cf29d22b8

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e

 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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