ミシュナ『Gittin』法理研究 第4回:Cuthean(サマリア人)の署名要件と異邦人法廷におけるDina d'Malchuta Dina(国の法律は法である)の適用限界:ノアの法に対するトーラの管轄領域
【学術研究免責】本稿における「奴隷」に関する記述は、古代ユダヤ社会の法制度および文献を対象とした純然たる歴史的・学術的研究であり、現代の差別や人権侵害を肯定・助長する意図は一切ありません。
本稿は口伝律法ミシュナ第3部『Nashim(ナシーム)』に属する『Gittin(ギッティン)』の第4回目の解説である。
今回は『Gittin(ギッティン)』1章5節の法理研究である。前半では、サマリア人(Cuthean)の署名が「gittin(離縁状)と奴隷解放文書」においてのみ例外的に成立するメカニズムを、ラビの規定である「面前での署名義務」から解説する。また、2人の証人が共にCutheanである歴史的事例についても論考する。
後半では、異邦人の法廷で作成された文書の有効性を支える重要原則「Dina d'Malchuta Dina(国の法律は法である)」を扱い、売買等の一般取引(ノアの法)と、身分変動(トーラ固有の律法)の区別をハラハー的に定義する。
さらに、ラビ・シモンが支持するラビ・エルアザルの「引き渡し論(文書の有効性は署名ではなく引き渡しにあるとする学説)」がもたらす法理的対立までを網羅し、日本語圏における聖書学・ユダヤ法研究の最高峰の知見を提示する。
前回の振り返り:離縁状に関する法理の奴隷解放文書への準用と身分空白の回避
前回は『Gittin』1章3節を取り上げ、離縁状(get)の法理が奴隷解放文書へどのように準用されるかについて解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】離縁状と奴隷解放文書の法理的対応
ミシュナ1章4節は、離縁状(get)に関する規定が、奴隷を解放するための文書にも同様に適用されることを定めている。
具体的には、海外から奴隷解放文書を持参する代理人も、getの場合と同様に「これは私の目の前で書かれ、署名された」という証言を行う義務がある。
【2】「Gezera Shava(ゲゼラ・シャヴァ:類推解釈)」による法的根拠
離縁状と奴隷解放文書の並行関係は、共通の単語を起点にした「Gezera Shava(ゲゼラ・シャヴァ)」という解釈技法によって導き出されている。
①get
申命記24章1節には「彼女のために(lāh:ラー)離縁状を書いて」と書かれている。
②奴隷解放
レビ記19章20節には「彼女に(lāh:ラー)自由が与えられていないなら」と書かれている。
この「lāh(彼女のために/に)」という共通の表現に基づき、getに求められるlishma(個別具体的意図)の要件が、奴隷解放文書にも準用されると判断される。
【3】「1人代理人」制の緩和措置とその理由
通常、法的な証言には2人の証人が必要であるが、海外からの持参については1人の代理人による証言が認められている。これには、奴隷が陥る可能性のある「身分空白」という重大な不利益を回避する目的がある。
①ハラハー上のジレンマ
解放文書の有効性が確定しない場合、その人物は「奴隷」なのか「完全な自由人(ユダヤ人)」なのかが判然としない状態になる。
②婚姻の制限
この「宙ぶらりん」の状態では、ユダヤ人とも異邦人とも結婚することが出来ない。この婚姻不可の状態を回避する為、1人の代理人の証言で文書を有効とする緩和措置が講じられている。
【4】歴史的・聖書的背景
前回はその他、以下の内容にも触れた。
①その他の奴隷の解放手続きについて
奴隷は身代金の支払い、主人による単独行為としての解放のほか、主人の加害行為による身体的障害(目や歯を損なう等)への償いとしても解放されることが定められている。
②新約聖書の事例
『フィレモンへの手紙』において、パウロが逃亡奴隷オネシモを主人フィレモンの元へ送り返し、「奴隷以上の者、愛する兄弟として」受け入れるよう促した記述は、単独行為としての奴隷解放の示唆として解釈出来る。
ただし、フィレモンが異邦人キリスト教徒であった可能性を考慮し、ユダヤ法(ハラハー)にそのまま当てはめて理解することには慎重な検討が必要である。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Gittin』法理研究 第3回:申命記24章とレビ記19章のGezera Shava(類推解釈)、getの掟の奴隷解放文書へ準用(1章4節)
https://note.com/mishnah/n/nc31b9c0ecab5
Cuthean(サマリア人)の署名における原則と例外
今回はその続きで口伝律法ミシュナ「Gittin」1章5節である。まずは本文を引用する。
いかなる文書であれ、その署名がCutheanであるものは無効である。
Cutheanは日本人にはサマリア人として知られている。学術的にはCuthean(クテ人)の方が使われるようなので、本稿でもこちらを用いる。
以前にも解説したが、Cutheanはアッシリア王によってサマリアに移住させられた人々である。当初、彼らはユダヤの神を畏れず、ライオンに襲われるなどの災難に見舞われたので、捕虜となっていた祭司からユダヤの伝統を学び、改宗した。しかし、彼らは独自の偶像崇拝も続けていたものである。
彼らの改宗が法的に有効であったかどうかについては、Tannaimの間で意見が分かれていたが、Cutheanにとって注目するべき点は、口伝律法を受け入れていないので、戒律を正確に守ることが出来ないと見なされていた事である。
さて、本節のTanna Kammaは、Cutheanが証人として署名している文書はすべて無効と主張する。Cutheanはユダヤ法の細部に通じておらず、その証言も信頼出来ないと見なされていたからである。
有効な文書には2人の適格な証人が必要であるが、そのうち1人でもCutheanであれば、その文書は証人不足で無効となる。
続きには次のように書かれている。
ただしgittinと奴隷解放の文書は除く。
一般的な文書ではCutheanの署名しているものは無効と見なされるが、getおよび奴隷の解放文書に関しては、たとえ証人の1人がCutheanであっても有効とされる場合がある。
ミシュナが想定しているのは、「最初の署名者がCutheanで、2番目の署名者がユダヤ人」である場合である。
もし、後に署名したユダヤ人が、そのCutheanを「戒律を守る信頼出来る人物」と認めていなければ、名誉ある最初の署名欄をCutheanに譲るはずがない。従って、この場合のgetまたは奴隷の解放文書は受理される。
なぜこの例外がgetと解放文書にのみ適用されるのか、その理由は以下の通りである。
面前での署名義務:getと解放文書における例外措置の論理的根拠
getと奴隷の解放文書については、「2人の証人がお互いの面前で署名しなければならない」というラビの規定がある。これは、証人がバラバラに署名することで、まだ署名が完了していない文書が受取人(妻や奴隷)に渡り、有効だと誤認されるのを防ぐ為の措置である。
他の一般的な文書の場合、この「面前での署名」義務がないので、ユダヤ人の証人が後で誰が署名するか知らないまま下の方に署名してしまうリスクがあり、Cutheanの署名による補完が認められない。Getと奴隷の解放文書に関しては、そのリスクがないことになる。
歴史的変遷:Tannaimの時代から後世におけるCutheanの法的地位の改定
ここで注意するべき点がある。ミシュナのこの規定は、Cutheanが「適切に改宗した人々である」という前提に立つラビの見解を示したものである。
しかし後世になると、Cutheanに関して、ラビたちは異邦人と見なすことを決定した。その結果、現在ではCutheanは、getや解放文書であっても証人を務めることは出来ず、彼らの署名がある文書は無効とされる。
判例研究:ラッバン・ガマリエルによる「2人ともCuthean」である場合の承認とゲマラ(10b)の補足
続きには次のように書かれている。
かつてケファルにいたラッバン・ガマリエルの元に、署名がCutheanのものであるgetが届いた。彼はそれを承認した。
先程の箇所では、証人の1人がユダヤ人である場合に限りCutheanの署名が認められるという原則が示されていたが、この箇所ではさらに踏み込んだ議論がされている。
ラッバン・ガマリエル(Rabban Gamlier)は、証人の2人ともCutheanである場合であっても、その離縁状を有効として受理した。
これは、1人のCuthean証人のみを有効としていたミシュナの前の記述と矛盾する。そのため、ゲマラ(10b)では、ミシュナのテキストは簡略化されており、本来は「しかしラッバン・ガマリエルは、2人の証人がどちらもCutheanである場合であっても、離縁状や解放文書を有効とした。かつて・・・」と補足して読むべきであると説明している。
ラッバン・シモン・ベン・ガマリエル(Rabban Shimon ben Gamliel)によると、Cutheanは、自分たちが受け入れた律法に関しては、他のユダヤ人よりも細心の注意を払って厳格に守っていた。ラッバン・ガマリエルはこの見解に同意し、Cutheanはgetと奴隷解放文書についての掟を受け入れていたと主張する。
従って、getと解放文書の2種類に関しては、彼らを「完全に信頼出来る」と見なし、2人の証人がCutheanであっても有効とするが、それ以外の文書に関しては全く信頼出来ないものとして扱ったものである。
異邦人法廷における文書有効性と「Dina d'Malchuta Dina(国の法律は法である)」の原則
続きには次のように書かれている。
異邦人の法廷で作成され、異邦人が署名したあらゆる文書は、gittinと奴隷解放のものを除いて有効である。
ユダヤ法において、法的文書が有効であるためには、2人の適格なユダヤ人証人による署名が必要である。従って、本来、異邦人(非ユダヤ人)が署名した文書は無効である。
しかし、ラビたちは、この箇所のミシュナで説明されているような特定の状況下では、そのような文書に有効性を認めたものである。
まず、異邦人の法廷は、証人を呼んで証言させる。また裁判官も証人も賄賂を受け取らないことで知られているので、裁判機能が信頼出来る。
「異邦人が署名したあらゆる文書」とは、過去の売買や贈与の取引を証明する文書を指しており、現代の公正証書の位置付けのものである。日本では、公正証書は裁判所ではなく公証役場が作成するが、ミシュナにおいてはこれらの業務を一括して行う公的機関として法廷が描かれている。
書類に署名する異邦人の証人は、偽証が発覚した際の不利益を恐れて偽証することを望まないため、その誠実さを信頼出来ると考えられる。
以上の理由で、トーラの基準においては法的に使用出来ない位置付けであるにもかかわらず、過去の売買や贈与を証明する法的文書について、ラビたちは実質的に有効な証拠として認める法的枠組みを整えたものである。
また、ゲマラー(Gemara)における別の説では、単なる過去の事実に関する文書だけでなく、実際に財産の譲渡を成立させるための文書もこれに含まれると説明されている。すなわち法廷で権利変動を確定させるような文書も、有効であるとする見解である。
この見解はDina d'Malchuta Dina(ディナー・デ・マルフータ・ディナー)という原則に基づいている。一応原語も記しておく。
דינא דמלכותא דינא
Dina d'Malchuta Dina(ディナー・デ・マルフータ・ディナー)は「国の法律は法である」ことを意味する。
イスラエルはユダヤ人がずっと支配してきたのではない。彼らはしばしば異邦人の政府によって統治されている。政府が定めた金銭に関する法律は、その地のすべての市民に平等に適用される限り、ユダヤ法においても拘束力を持つという考え方である。
もう一度、この箇所を引用する。
異邦人の法廷で作成され、異邦人が署名したあらゆる文書は、gittinと奴隷解放のものを除いて有効である。
すなわちgetと奴隷解放の文書については、異邦人の証人によって手続きされている場合、ユダヤ法において無効とする。getと奴隷解放の文書は単なる証拠文書ではなく、身分の変更を成立させる性質を持つ文書であるからである。
ノアの法とトーラ:一般取引(金銭法)と身分変更(固有律法)における管轄権の切り分け
これについては、次のようにも言える。売買などの一般的な取引は「ノアの法」に関連するので、異邦人もその法的枠組みに関与する。ノアの法とは、全ての人類が守るべき規範である。その中には、社会の公正や正義の確立が含まれている。
しかし、getや奴隷の解放は、トーラで定義された独自の律法に基づいており、異邦人はこれらの法律の対象外である。そのため、異邦人はこれらの手続きにおいて能動的な当事者(証人)になることが出来ず、原則として除外される。
ラビ・シモンの異議:ラビ・エルアザルの「引き渡し論」と異邦人署名の排除ロジック
続きには次のように書かれている。
ラビ・シモンは言う、「これらの文書も有効である。」
ラビ・シモンはラビ・エルアザルの見解に従っている。ラビ・エルアザル(Rabbi Elazar)は文書の有効性を決定づけるのは署名ではなく、受取人に文書が「引き渡されること」にあるとする。従って、署名者の適格性は基本的に文書の有効性に影響しない。
しかしここには複雑な事情が絡んでいる。ラビ・エルアザルであっても、異邦人など不適格な証人の署名がある文書は無効となる。「署名者の適格性は基本的に影響しない」とは限定された場合である。それは「Gittin」1章5節の前半で扱われたCutheanである。
Cutheanは口伝律法を受け入れていなかったが、上記の通りgetや奴隷解放に関する掟には注意深く従っていた。そこで署名した書類としての「誠実さ・本物であること」は保証されている。
ラビ・シモンが述べているのは「Cutheanが署名し、ユダヤ人が手渡ししているなら、そのgetや奴隷解放文書は有効である」という事である。
しかし、もし署名者が異邦人であるなら、手渡しする者がユダヤ人でも、そのgetや解放文書は有効ではない。なぜなら後にそれらの文書を確認する人々が「引き渡しの証人」ではなく、文書に記された署名を証拠として頼る恐れがあるからである。それはやがて歪んだ慣習として広がる可能性がある。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Gittin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n0d4cf29d22b8
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
