ミシュナ『Gittin』法理研究 第7回:torefの日付と署名日の一致・不一致、及びgetと一般文書における扱いの相違
【学術的免責】本稿は、古代イスラエルのモーセ五書(トーラ)と口伝律法ミシュナにおける婚姻法および裁判手続きを、歴史学的・律法学的視点から解析する研究である。記述に含まれる性に関わる表現は、すべて一次資料の法定義を正確に論じるための学術的用語であり、性的好奇心を喚起する意図は一切含まれない。
本稿は口伝律法ミシュナ第3部『Nashim(ナシーム)』に属する『Gittin(ギッティン)』の第7回目の解説である。
『Gittin』2章2節を法理学的に紐解く。離縁状(get)における日付記載の厳格性、すなわち「toref(根幹部分)」作成と署名の時間的ズレがもたらす法的効力の不一致を検証。姦淫の隠蔽や財産権(収益権)侵害を防ぐラビの意図、ラビ・シモンによるgetと借用証等の一般文書の区別、後代の権威(Rosh, Rif)の論争まで網羅。
前回の振り返り:使者権限の消滅と海外送達における証言の厳格性
前回は『Gittin(ギッティン)』1章6節後半から2章1節を取り上げ、委託者の死亡に伴う代理権の消滅、「死の床にある者」の特例、および海外からの離縁状(get)送達における証言の厳格性について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】委託者の死亡と文書の無効性(1章6節後半)
夫や主人が複数人(グループ)に対し、「妻にgetを届けてほしい」「奴隷に解放文書を届けてほしい」と依頼した後に死亡した場合、その死後に文書を渡すことは出来ない。
①理由
依頼が特定の代理人への手渡しではなく「あなたたち」というグループに向けられた場合、代理人が受取人のために文書を「取得」したとは見なされない。
②生存要件
離縁や奴隷解放は、夫または主人が生存している間に完了しなければならず、死後はその効力が発生しない。
【2】死の床にある者(shechiv mera:シェヒヴ・メラ)による金銭譲渡の特例
一方で、病気で死の間際にいる人物が「100ズズを誰々に届けてほしい」と口頭で指示した場合は、死後であっても実行しなければならない。
①心理的配慮
自分の遺志が尊重されないという不安から病状が悪化するのを防ぐための、ラビによる特別な救済規定である。
②即時の所有権移転
通常は正式な取得行為が必要であるが、死の床にある者の指示には書面と同等の法的効力が認められ、指示が出された瞬間に所有権が移転したと見なされる。
【3】海外からのget送達における証言の厳格性(2章1節)
海外からgetを届ける代理人は、「これは私の目の前で書かれ、かつ署名された」という2つの要素を完全に証言しなければならない。
①不完全な目撃
作成のみ、あるいは署名のみの目撃ではgetは無効となる。また、「全過程の作成は見たが、署名は1人分しか見ていない」といったケースも認められない。
②混同禁止の原則
ラビたちは、証人2人が署名の真正性を証明する「標準的な形式」と、代理人1人の宣言による「海外送達の例外的形式」を組み合わせることを禁止した。代理人の言葉が有効となるのは、作成と署名の両方を目撃している場合に限られる。
【4】証人の数と有効性を巡る議論
①代理人の権限
getの真正性を確認する信頼性は、文書を直接交付する代理人にのみ与えられており、代理人以外の者が作成や署名の一部を補足的に証言しても、原則として有効にはならない。
②ラビ・ユダの異議
ラビ・ユダは、代理人が署名を目撃し、別の2人が作成を目撃した(合計3名の証言がある)場合は、偽造の懸念がないため有効であると主張した。
③標準的手続きの完遂
代理人が作成を目撃し、さらに2人の証人が署名について証言した場合は、標準的な確認方法を満たしているため、有効と認められる。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Gittin』法理研究 第6回:死亡による使者権限の消滅、死の床にある者(shechiv mera)の意思表示と即時所有権移転、および海外からのget(離縁状)送達における不完全な目撃証言(1章6節~2章1節)
https://note.com/mishnah/n/n7895d0e568b8
ミシュナ『Gittin』2章2節:作成と署名の時系列における有効性規定
今回はその続きで口伝律法ミシュナ「Gittin」2章2節からである。まずは本文を引用する。
もし日中に書かれ、日中に署名されるなら、あるいは夜に書かれ、夜に署名されるなら、あるいは夜に書かれ、日中に署名されるなら、それは有効である。
ユダヤ法において、離縁状(get)が有効であるためには日付が正しく記載されていなければならない。
toref(トレフ)が特定の日中または夜に書かれ、同じ日中または夜に署名されるなら、そのgetは有効である。
torefとは「日付、夫婦の氏名、getが書かれた場所など、特定の離縁に関する基本的な内容が書かれている」部分である。ここでは特に日付が問題になっている。
あるいは「夜に書かれ、次の日中」に書かれても有効である。なぜならユダヤ暦では日没から一日が始まるので、この場合も「同じ日付」であるからである。
続きには次のように書かれている。
もし日中に書かれ、夜に署名されるなら、それは無効である。
日中にtorefが書かれ、その後の夜に署名されるなら、torefを書いた日付と署名の日付が異なることになる。
ラビたちがgetに正確な日付を求めた背景には、以下のような事情がある。
姦淫の隠蔽工作を防止する法理
例えば、男性が自分の姪(または他の親族)と結婚しており、彼女が姦淫を犯したとする。もしgetに日付がなければ、夫は彼女を罰から救うために、「不貞を犯すより前に、すでに彼女とは離婚していた」と嘘の主張をすることが出来てしまう。
そこでgetの作成及び署名は同日であることが要求される。
通常、getを書き、署名まで済ませた男性は、すぐにそれを妻に渡すと想定される。なぜなら、自分の結婚生活を終わらせるという重大な効力を持つ書類を、決意もなしに手元に留めておくことは考えにくいからである。
getがある場所で書かれ、代理人によって別の場所にいる妻に届けられる場合、日付と実際の受取日にズレが生じる。離縁の効果は妻、または妻の代理人が受領した時点で発生する。
この場合、夫側の代理人が妻に交付した日を記憶しているはずであるため、大きな問題にはならないとされている。
ラビ・シモンによるget例外規定と一般文書(借用証・売買証書)の比較
続きには次のように書かれている。
ラビ・シモンはそれを有効とした。
元夫による元妻の財産(畑の収益)不当処分を防ぐ法理
もしgetに日付がなければ、元夫は離婚後であっても「まだ結婚している」と偽って、妻の畑の収益を勝手に売却し続ける恐れがある。元妻が買主に、売却以前に離縁が成立していたことを主張出来ないからである。
これもラビたちは全てのgetには離縁の日付がなくてはならないと定めた理由の一つである。
財産収益権の即時喪失とgetの即時有効性
ラビ・シモン(Rabbi Shimon)によると、夫は離縁を決断した時に妻の財産からの収益の権利を失う。逆に言うと、getが作成された時点で、妻は自らの財産からの収益の権利を取り戻すことになる。そこでラビ・シモンによると、getが作成された時から、getは有効である。
続きには次のように書かれている。
というのもラビ・シモンは次のように言っていたから。「全て日中に書かれ、夜に署名された文書は無効である、gittinを除いては。」
ラビ・シモンは通常、「昼間に書かれ、夜間に署名された文書」はすべて無効であるという原則を保持しているが、getに関しては例外として有効であると主張している。
彼が、そのようなgetを有効なものとする理由については、今上に記述した通りである。
借用証・売買証書における日付遡及と取引安全の阻害
その他の文書において、彼も作成と署名が同日でなくてはならないとする理由は、以下の通りである。
債務が実行されない場合、債権者は借用証に基づいて担保権を実行することが出来る。実行出来る債務者の不動産は、金銭消費貸借が成立した時点で債務者のものであった財産である。債権者はその価値をあてにして貸付を行っている。
ここで実際の貸付日より前の日付を記した借用証があると、債権者は、実際にはまだ効力が発生していなかった時期に債務者から土地を買った第三者からも、不当に借金を回収出来てしまう。
同様に、日付を遡らせた売買証書は、実際には先に別の人に売られていた土地を、後から買い取った者が自分のものだと主張することを可能にしてしまい、取引の安全が阻害される。
これらの一般的な法的効果を保証する文書については、ラビ・シモンも作成と署名が同日であることを主張する。しかしgetに関して、彼はそれを要求しない。
後代の権威(Rosh、Rifなど)における緊急事態下の有効性論争
さて、日中に作成され、夜に署名されたgetの扱いについて、一部の権威者は、差し迫った状況(緊急事態)においてはラビ・シモンの見解に依拠することが出来るとしている。
例えばそのようなgetを受け取った後に女性が再婚した場合、あるいは夫が国外に去って連絡が取れない場合、その離婚は有効と見なされる。
他方で、こうした状況下であってもgetは無効であると主張する見解(Rosh、Rifなど)も存在する。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Gittin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n0d4cf29d22b8
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
