mikvehについて――ミシュナ「Mikvaot(ミクヴァオット)」が規定する祭儀的清めの6等級と論理構造(後編)
*本稿は、口伝律法ミシュナの第6部「Tohorot(トホロット)」の「Mikvaot(ミクヴァオット)」篇が規定する「水の6等級」を解説するシリーズの後編である。
第5等級の損なわれた水と、第6等級の生きている水(mayim chayim:マイム・ハイーム)の違いや、清めの次元の高低、更にはhashakah(ハシャカー)による清めの能力の回復、改宗者の清め・トーラを学ぶ前の清め(tevilah)などを網羅。
2,000年前の「律法の現場」における、生命の欠落と充満を巡る緻密な論理構造を明らかにする。
前回の振り返り:水の等級(第1〜第4等級)と「汲まれた水(sheuvin)」の性質
前回は以下の内容を確認した。
【1】 mikveh(ミクヴェ)の定義と目的
mikvehとは、祭儀的に汚れた状態(tamei;タメイ)を清い状態(taharahタハラ)に戻す為に、自然の水を用いた儀式用浴場のことである。清い状態でなければ、神殿への入場や、祭司への献げ物である「terumah(テルーマー)」に触れること等、聖なるものに近付くことは許されない。
【2】 水の6等級(第1〜第4等級)
水の分量や状況によって清める次元が異なる。
第1等級:水溜り
雨が降った後に溜まった、40セア(約600リットル)未満の水である。
①性質:「汚れを移すが、清めることはない」のが特徴である。汚れた人がそこから飲むと、その人の皮膚や口に触れた水が、水溜りに落ちて漂うことになり、後から飲む人がtameiになる。
②判定:季節や場所によって、tahorであるかtameiであるかの判定が変わる。例えば雨季は町に近い水溜り場でも清いと見なされるが、乾季ではそうではない。
第2等級:湧き水(少量)
水が湧いている状態のもの。第1等級とは異なり、清める能力を持っている為、汚れた人がそこから飲んでも、その後の水や器は清いままに保たれる。
第3等級:40セアのmikveh
約600リットルの自然の雨水を溜めた、流れていない水である。
レビ記15章にある「全身を水に浸す」という規定に基づき、平均的な体格の人が全身浸かるために必要な量(40セア)が基準となっている。
第4等級:泉と「汲まれた水(sheuvin:シェウーヴィン)」の接触
わずかな湧き水に、人間の手や道具で運ばれた「汲まれた水(sheuvin:シェウーヴィン)」を加えたもの。
sheuvinとは人の意図が介在した為、清めの能力を失ったものである。しかしここでは湧き水に接触することで、再びその能力を取り戻している。
この等級は静止した状態であることを要する。
【3】その他の重要な律法概念
machshirin(マフシリン)とは、収穫した作物は、所有者の意思で水(または他の特定の液体)に濡らされた時に始めて、汚れを受ける状態になることを言う。
上記の内容について不確かである方は、以下のリンクから確認して欲しい。
◉ mikvehについて――ミシュナ「Mikvaot(ミクヴァオート)」が規定する祭儀的清めの6等級と論理構造(前編)
https://note.com/mishnah/n/n075bf4271a97
今回は5等級の水から始める。
第5等級:動いている状態でも清める「損なわれた泉」
これより高い等級は、損なわれた泉の水である。動いている時にも清めるから。
これは自然に湧き出ている水である。ユダヤ教の参考書では「損なわれた水」の具体的な内容に乏しいが、塩分が多かったり、温度が高かったりして、飲むのに適切なものではないものを指している。
しかしこれまでの等級とは異なり、動いていても清める能力を持っており、その点で際立っている。次はいよいよ最上級の水である。
第6等級:最上級の「生きている水(mayim chayim)」と重い汚れの解消
これより高い等級は、生きている水である。そこにおいてzavが身を清め、metzoraへ振りかけ、清めの水に使われるから
「生きている水」は「mayim chayim(マイム・ハイーム)」と呼ばれる。これは最も重い汚れにおける清めの手続きで使われる。ここでは3つ挙げられている。
①zav(ザヴ)
②metzora(メツォラ)
③清めの水
これらはいずれも過去の記事で詳しく扱っている。不確かな方は以下のリンクから確認して欲しい。
①zavについて
なぜ洗礼は「川」でなければならなかったのか? ――レビ記と口伝律法から探る「内面的な崩壊」の清め
https://note.com/mishnah/n/nde4490bf1199
②metzoraとは「重い皮膚病」という著しく問題のある翻訳があるものと宣言されたものである。「重い皮膚病」自体は「tzaraat(ツァラアト)」と呼ぶ。
リンクは以下の通りである。
◉生きながらにして死ぬ者、重い皮膚病(tzaraat:ツァラアト)の真実 (上)――無言で罪を告発する皮膚の異変
https://note.com/mishnah/n/n82fb385526a5
◉生きながらにして死ぬ者、重い皮膚病(tzaraat:ツァラアト)の真実 (下)―― なぜ「絶望の追放者」は「祭司」と同じ儀式で復帰するのか
https://note.com/mishnah/n/n2913685871ea
③「清めの水」は死者によって汚れた人に振りかけるものである。リンクは以下の通りである。
◉死者の汚れ(tumat met:トゥマット・メット)完全解説――民数記19章とミシュナに見る「汚れの階層」と清めのパラドックス
https://note.com/mishnah/n/n2dfad7d28375
以上で6等級全ての解説を終えた。今回はまだ紙面があるので、mikvehに関する幾つかの重要な原則を確認する。
水ユニットの結合:hashakah(ハシャカー)とzeriah(ゼリアー)、改宗・食器の浄化・エズラの規定
【1】hashakah(ハシャカー)について
hashakahとは、2つの異なる水のユニットを1点で開くことによって、お互いに混じり合う状態にすることを言う。イメージで言うと、隣り合ったプールの壁に、1つの穴を開ける図を想像してもらえればよい。
これに関して、次の3つの原則がある。
①汚れた水に関して
一般的に食べ物や液体は汚れると清めることが出来ないが、水は例外である。それはhashakahによって清めることが出来る。有効なmikvehの水と混ざり合うことによって、清くなるのである。
上記では2等級以上の水に、清める能力があるのを見た。
ただし清めに使えるのは水だけであり、その他の液体はhashakahに使えない。
②sheuvinの為に
sheuvinは前回解説した通り、雨水から一度人の意思で組み上げてしまったものである。それは清めに使えない。
しかしsheuvinは40セアの水とhashakahすることことによって、再び清めの力を回復する。ただし2つのプールを繋ぐ穴は、一定以上の大きさであることを要する。
③zeriah(ゼリアー)
これは②に似ている。②ではsheuvinが1箇所において雨水に混じり合うことを言った。
ここでは40セア以上のmikvehにsheuvinを加えた場合を言っている。この時、sheuvinは有効なmikvehの水を構成する。たとえ40セアを超えるsheuvinを加えても、同じである。
zeriah(ゼリアー)は「蒔く」という意味だが、これはsheuvinが雨水の中に蒔かれることに対応している 。
④mikvehに足りない水
40セアを欠いているmikvehが、他のmikvehと繋がることによって合計して40セア以上となると、有効なmikvehになる。
【2】mikvehで身を清める状況
ここまでmikvehを使う目的として、tameiの状態から身を清めることを扱ってきた。
それ以外の目的でも用いることがある。それを最後に紹介しよう。mikvehに浸かる、また道具なら全て浸すことは、tevilah(テヴィラー)と呼ばれる。
①改宗者
これは起源としてはかなり古い。トーラの次の箇所を見てみよう。
主はモーセに言われた。「民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、衣服を洗わせ、三日目のために準備させなさい。三日目に、民全員の見ている前で、主はシナイ山に降られるからである。
これは十戒を授与される場面である。その準備として神は「衣服を洗う」ことを求めている。
しかしこれは文字通り衣服だけを洗うのではない。身体全体を清めることが前提になっている。
従ってユダヤ教に改宗し、律法をその身に受ける者は、tevilahしなくてはならない。
②壺や食器
トーラでは異邦人から得たものは、清めてから使うように命令されている。イスラエルがミディアン人と戦い、戦利品を獲得した時、祭司であるエルアザルは民に次のように述べた。
主がモーセに与えられた律法の定めは次のとおりである。金、銀、青銅、鉄、錫、鉛など、すべて火に耐えるものは、火の中を通すと清くなる。それ以外のものは、清めの水で汚れを清める。火に耐えないものは、すべて水を通さねばならない。
これを見ると、火に通せるものは、火を通せば清くなるように読めるが、実際はそうではない。ここで想定されているのは、例えば禁じられた食べ物(豚肉など)を鍋で調理した際、器の壁面にその風味が残っているという事である。
それに火をかけることで、追い出すのである。それから水で清めるという流れになる。
道具を清めるのは、ユダヤ教徒が所有することによって、その物が高い目的を担うからである。
③エズラによって定められたtevilah
これはもしも何らかの事情で射精していたなら、トーラの学習の前、または祈りの前に、身を清めなくてはならないというエズラによって定められた掟である。
これは雨水のmikvehでなくても、可とされている。トーラによって命じられたものではないからであろう。
④その他慣習によるtevilah
1つは背教者である。悔い改めた背教者は、身を清めるべきとされる。
そして、ヨム・キップール(贖罪日)にも身を清める習慣があるらしい。
いずれにしても、天からの水、または自然に湧き出ている水によって欠けた生命を取り戻し、充満に至るという手続きがベースにある。
これでmikvehに関する解説を終える。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
