弾けるようになったのに、なぜか満足できなかった理由(47歳、エレクトーンに人生を振り回される)
あれ?
なんか——満足しない。
止まらずに弾けるようになったのに、
まったく、うれしくなかった。
最後まで弾き切れることも、増えてきた。
なのに——
残ったのは、
達成感じゃなくて、
違和感だった。
「なんかキレイに弾けてない?」
ズレているところ。ミスしやすいところ。
そこを徹底的に潰しにいった。
スローテンポで、1音1音を大切に弾く。
丁寧に、ゆっくり、まるで体をマッサージするように。
——気づいたら、
エレクトーンにマッサージしてる人になっていた。
うん。
奇人である。
完全に奇人である。
本当にありがとうございました。
...…
(いや、そういう事じゃなくて)
そう。
そこそこ(※個人の感想です)キレイに弾けるようにはなっていた。
先生からも、
「合格出せるけど、どうする?」
と言われるところまで来ていた。
でも——
なぜか、納得できなかった。
理由が分からない。
電車の中でも、仕事中でも、
ずっと考えていた。
なんで、納得できないんだ?
そういえば——
エレクトーンを始めてから、
自問自答が増えた気がする。
自分の中にある答えを、
静かに探し続ける時間が。
そしてある日、
やっと気づいた。
自分が、何に引っかかっていたのか。
なんとなく動画を見ていた。
伸びている演奏と、伸びていない演奏。
何が違うんだろうと、ぼんやり見ていた。
そして、ふと気づいた。
——あ。
全然、違うな。
伸びている人は、
“聴く人”に向かって弾いている。
でも——
自分の演奏は、少し違った。
止まらないように弾く。
ミスしないように弾く。
キレイに弾こうとする。
——全部、自分の中で完結していた。
音はつながっていた。
でも——
音楽には、なっていなかった。
だから、
あのとき納得できなかったんだと思う。
……また、ズレていた。
本当に、毎回ズレる。
でも——
今は、少しだけ違う。
そのズレに、
自分で気づけるようになってきた。
ちょっとずつだけど
前に進んでいるのかもしれない。
そして
このズレは日常でも
起こりえることかもしれない
うまくやることより、
誰かに届くこと。
その向きが、
少し変わっただけで、
見え方も、変わるのかもしれない。
そんなことに気づいた、
47歳である。
——遅いのか、ちょうどいいのかは、
まだ分からない。
※この話は『47歳、エレクトーンに人生を振り回される』シリーズ#16です
👉すべてはここから始まりました。
→ 29年ぶりに人生が動いた日|椿大神社で決まった“再挑戦”
👉ここまでの流れを、ひとつにまとめました。
→47歳からやり直して、やっと気づいたこと。
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