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温故知新(94)八上比売命(多紀理毘売命 田心姫) 那珂八幡古墳 種穂忌部神社 ヴェストラホルン山 売沼神社 モン・サン・ミシェル 八上姫神社 島御子神社 宗像大社沖津宮 吉野ケ里遺跡 丹生都比売神社 櫛田宮 宗像三女神 日向三代

 福岡県福岡市博多区にある那珂遺跡群の一つ那珂八幡古墳は、古墳時代前期初頭の前方後円墳で、画文帯五神四獣鏡が出土していますが1)、これと同じ鋳型で作られた同笵鏡が、開化天皇の陵墓と推定される椿井大塚山古墳(京都府山城町)や孝元天皇の陵墓と推定される備前車塚古墳(岡山市中区湯迫)から出土しています。

 椿井大塚山古墳と那珂八幡古墳を結ぶラインは、種穂忌部神社(徳島県吉野川市山川町川田忌部山)とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには、大物主神を祀る金比羅神社(徳島県美馬市)や備前車塚古墳があります(図1)。種穂忌部神社は、もと多那穂大権現と称し、「川田邑名跡志」では、ここを本来の忌部神社としています。

図1 種穂忌部神社、椿井大塚山古墳、那珂八幡古墳を結ぶ三角形のライン、種穂忌部神社とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインと金比羅神社(徳島県美馬市)、備前車塚古墳

 那珂八幡古墳は、3世紀中葉の帆立貝形古墳で、箸墓古墳と形が類似しているようです。孝元天皇や開化天皇(鸕鶿草葺不合尊と推定)と関係付けられていることから、八上比売命(多紀理毘売命 田心姫と推定)の陵墓と推定されます。

  八上比売を主祭神とする賣沼神社(鳥取県鳥取市河原町)は「延喜式神名帳」に「八上郡賣沼神社」として登場します。賣沼神社と那珂八幡古墳を結ぶラインは、備前車塚古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには、壹宮神社(鳥取県西伯郡大山町)があります(図2)。

図2 備前車塚古墳、賣沼神社、那珂八幡古墳を結ぶ三角形のライン、備前車塚古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶラインと壹宮神社

 島根県出雲市には、八上姫神を祀る八上姫神社があり、また、長崎県対馬市豊玉町には、大国主神と八上比売命を祀る島御子神社があります。また、八上比売命は、宗像三女神の一柱の多紀理毘売命(田心姫)と推定されますが、沖ノ島に田心姫神を祀る宗像大社 沖津宮(福岡県宗像市田島)があります。八上姫神社と島御子神社を結ぶラインは、那珂八幡古墳とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。後者のラインは、宗像大社 沖津宮の比較的近くを通ります(図3)。これらのラインは、那珂八幡古墳の被葬者が、八上比売命(多紀理毘売命 田心姫と推定)と推定されることと整合します。

図3 那珂八幡古墳、八上姫神社、島御子神社を結ぶ三角形のライン、那珂八幡古墳とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインと宗像大社 沖津宮

 宗像三女神の多岐都比売命(豊玉姫命と推定)や市杵島姫命(丹生都比売命と推定)は、吉野ケ里遺跡(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)と関係があると推定されるので、那珂八幡古墳と吉野ケ里遺跡の関係を調べたところ、那珂八幡古墳と雷神社(福岡県糸島市雷山)を結ぶラインは、吉野ケ里遺跡とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差しました(図4)。多紀理毘売命(田心姫、八上比売命と推定)も吉野ケ里遺跡と関係があると推定され、宗像三女神は吉野ケ里遺跡で生まれたのかもしれません。

図4 吉野ケ里遺跡、那珂八幡古墳、雷神社を結ぶライン、吉野ケ里遺跡とスカラ・ブレイを結ぶライン

 奈良県五條市御山町にある火雷神社(ほのいかづちじんじゃ)付近(図5)を、『古事記』に記述されている「吉野河の河尻」とする説があります(吉野の古代氏族)。火雷神社と和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある紀伊国一宮 丹生都比売神社を結ぶラインは、高野山とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。このラインは、火雷神社の祭神と丹生都比売命を関係付けていると推定され、吉野連が祭る水光神(みひかのかみ)は、丹生都比売命ではないかと思われます。

図5 高野山、火雷神社、丹生都比売神社を結ぶ三角形のライン、高野山とスカラ・ブレイを結ぶライン

 丹生都比売神社は伊都郡にありますが、伊都の地名は、丹生一族と共に北九州の伊都国からこの地に移って来たことによるともいわれています2)。丹生都比売神社と吉野ケ里遺跡を結ぶラインの近くには、白人神社の奥宮で、古神道の磐境と呼ばれる磐境神明神社(徳島県美馬市穴吹町)や富貴寺(大分県豊後高田市)があります(図6)。「吉野ケ里」は、吉野(丹生都比売命)の里という意味かもしれません。

図6 丹生都比売神社と吉野ケ里遺跡を結ぶラインと磐境神明神社、富貴寺

 八上比売命(多紀理毘売命、田心姫と推定)は、須佐之男命(孝霊天皇と推定)と櫛名田比売命の娘で、須勢理毘売(多岐都比売命、倭迹迹日百襲姫命と推定)の妹と推定されますが、吉野ケ里遺跡と須佐之男命、櫛稲田姫命(荒川戸畔と推定)、日本武命(景行天皇と推定)を祀る櫛山 櫛田宮(佐賀県神埼市)を結ぶラインは、ひのはしら一里塚(神埼市神埼町田道ヶ里)とパルテノン神殿を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。このラインは、吉野ケ里遺跡と櫛名田比売命の関係を示していると推定されます。

図7 ひのはしら一里塚、吉野ケ里遺跡、櫛山 櫛田宮を結ぶ三角形のライン、ひのはしら一里塚とパルテノン神殿を結ぶライン

 宗像三女神(イチキシマヒメ、タギツヒメ、タゴリヒメ)と日向三代(ニニギ、ホオリ(第8代孝元天皇)、ウガヤフキアエズ(第9代開化天皇))と第10代崇神天皇(彦太忍信命)、スクナヒコナ(少名日子建猪心命)の推定される関係を図8に示します。

図8 宗像三女神と日向三代、崇神天皇、少彦名命の関係図

文献
1)新古代史の会(編) 2025 「歩いて学ぶ日本古代史1 邪馬台国から大化の改新まで」 吉川弘文館
2)丹生廣良 1977 「丹生神社と丹生氏の研究」 きのくに古代史研究会