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本能寺の変1852 その一因 一、信長の猜疑心 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、信長の猜疑心

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信長は、猜疑心が強い。

 否、強すぎた。
 それ故、ここまで、生き抜くことが出来た、のではあるが、・・・・・。
 
 このことが、光秀を苦しめることになる。
 「持てる者」故の悩み。
 信長の家臣なれば、こそ。
 「油断しては、ならぬ」
 「隙を見せては、ならぬ」
 「失敗しては、ならぬ」
 逃れられぬ宿命だった、・・・・・。

 光秀の苦悩。
 緊張の日々がつづく。 

 このストレスが、「本能寺の変」へと繋がっていく。

  【参照】まとめ 時代の風潮 第9話  ◎第9話



 ⇒ 次へつづく

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 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

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 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

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 視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!

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 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!


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