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本能寺の変1582 信長、死す 「是非に及ばず」 4 №3-004 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

信長、死す 「是非に及ばず」 4 №3-004

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮 1 2 3
2 光秀の実像 1 2 3 4 5 6
3 光秀の苦悩 1 2 3 4 5
4 武田の滅亡 1 2 3
5 信長の油断 1 勝利の余韻
         「事態急変」
         2 四国出陣
         3 足蹴事件
         4 中国出陣
         「時は今」
さる程に、不慮の題目出来候て、
【注目ポイント】 目次
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 260419

信長、死す 「是非に及ばず」 4 №3-004

はじめに目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】

明智の軍勢が本能寺を取り囲んだ。

 光秀は、少し離れたところに本陣を構えた。
  
  既に、信長公御座所本能寺取り巻き、

大喊声が沸き起こった。

 攻撃が始まった。

  勢衆、四方より乱れ入るなり。

信長は、これに気づいた。

 何やら、外が騒々しい。
 小姓たちが走った。
 慌ただしい空気が流れる。
 「もしや」
 ・・・・・。
 不吉な予感。
 
  信長も御小姓衆も、
 当座の喧嘩を下々の者ども仕出(しだ)し候と、
 おぼしめされ候のところ、

「謀叛」

 明智勢が鉄砲を打ち込んだ。
 信長は、これで、わかった。
 「ならば」
 頭脳が激しく回転する。
 「何者ぞ」
 ・・・・・。
 
  一向さはなく、
  ときの声を上げ、御殿へ鉄炮を打ち入れ候。
  是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、
  御諚のところに、

「是非に及ばず」

 「惟任光秀」
 一瞬、その顔が脳裏を過(よぎ)った。
 信長は、覚悟を決めた。

  森乱申す様に、明智が者と見え申し候と言上候へば、
  是非に及ばずと、上意候。
                           (『信長公記』)

 時は、容赦なく流れていく。



        ⇒ 次回へつづく  信長、死す 「是非に及ばず」 5

【記事一覧】


目 次
目次大

目次大 信長、死す 1~7 
目次中 信長、死す 1~7
目次小 信長、死す 1~7

信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。


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