本能寺の変1582 【重史全通】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史全通】
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断 大要 概略
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日
4月24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3
5月11日
3 足蹴事件 大 概略 5月12日 大 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 大 概
密室にて 大 概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概
⑤ 概
4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
5月17日
坂本にて 大 概 1 2 3 ① ② ③
4 ① ② ③ 5 6
5月19日 大 概
5月20日 大 概
5月21日 大 概
5 時は今、・・・・・。
5月26日 大 概
5月27日 大 概
5月28日 大 概
5月29日 大 概
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】 【重史一覧全通】
←【注目ポイント】 目次
←【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
←3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
←【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
←【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 250716 260811
【重要史料1】 001~020
【重史001】
①殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、
②ほとんどすべての者から快く思われていなかった
③寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
④裏切りや密会を好み、
⑤刑を科するに残酷で、
⑥独裁的でもあったが、
⑦謀略を得意とし、
⑧忍耐力に富み、
⑨計略と策謀の達人であった。
⑩築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、
⑪選(え)り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
⑫絶えず信長に贈与することを怠らず、
⑬彼(信長)を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
⑭彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないよう
心掛け、
⑮必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどで
あった。
⑯人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習した
⑰信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
⑱信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、
⑲比叡山の大学(延暦寺)の全収入・・・とともに彼に与えるに至った。
『日本史』
【重史002】 ◎第53話 天正07 157900610
①美濃国住人、土岐の随分衆なり、
②名誉の大将なり、弓取りはせんじてのむへき事に候、
「立入左京亮入道隆佐記」
【重史003】 ◎第54話 永禄12 156900416
①禁裏御料所、山国庄の事、
②数年、宇津右近大夫(頼重)、押領仕り候を、
「立入宗継文書」
【重史004】 ◎第54話 元亀03 157201211
①濃州より、親類の方、申し上すなり、
②山王の敷地に、新城(坂本城)を普請せしむなり、
「兼見卿記」
【重史005】 ✓ 天正10 158200527
①時は今、あめか下なる五月かな、 光秀
②国々は、猶、長閑なる時、 光慶
「続群書類従」
【重史006】 ◎第8話
(四月)十八日、妻木惟向州妹、参宮、 天正07 157900418
(九月)廿五日、惟任姉(妹)妻木、在京の間、罷り 天正07 157900925
「兼見卿記」
【重史007】 ◎第8話 天正09 158100821
①(八月)廿一日、今暁、惟任(奈良から)帰られおわんぬ、
②惟任(光秀)の妹の御ツマキ、死におわんぬ、
③信長、一段のキヨシなり、
④向州(光秀)、比類なく、力を落とすなり、
「多聞院日記」
【重史008】 ◎第8話 ◎小8 W【重史260】
①一大艦隊を編成してシナを征服し、 「イエズス会日本年報」
②一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、 『日本史』
【重史009】
狡兎死して、走狗煮らる、 「史記」越王勾践世家
【重史010】 ✓ 天正08 1580108**
①佐久間殿は、信長の総司令官であり、
②もっとも高位で、富み、かつ強力な殿であった。
③彼は・・・戦いにおいてあまり活躍せぬばかりか、
④むしろいくぶん怠慢でもあったので、
⑤彼が身分の高いこと・・・有力であることを考慮せず、
⑥いつかは必要とする人物であることを考えることなく、
⑦信長は・・・彼をその息子(正勝)とともに追放してしまい、
『日本史』
【重史011】 ◎第58話①
万人恐怖、言う莫れ、言う莫れ、 「看聞日記」
【重史012】 ✓ 天正10 158200507
①今度、四国に至って差し下すに就きての条々、
②讃岐国の儀、一円、其方に申し付くべき事、
③阿波国の儀、一円、三好山城守 (康長) に申し付くべき事、
④其外両国の儀、信長、淡州に至って出馬の刻、
⑤万端、山城守に対し、君臣父母の思いをなし、
⑥天正十年五月七日 ( 朱 印 ) 三七郎殿
「寺尾菊子氏所蔵文書」
【重史013】 ◎第7話 ◎小7
惟日、以ての外の所労に依り皈(帰)陣、在京なり、 「兼見卿記」
【重史014】 ✓ 天正10 158200613
①安土を去った明智の武将は坂本に立て籠ったが、
②そこには明智の婦女子や家族、親族がいた。
③同所へ羽柴の軍勢が到着したが、
④すべての婦女子を殺害した後・・・自分らは切腹した。
⑤その時、明智の二子が死んだが、
⑥(光秀の)長男は十三歳であった。
『日本史』
【重史015】 ◎第51話 ◎小51~小52①②
この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。 『日本史』
【重史016】 ◎第1話 ◎小
さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、 『信長公記』
【重史017】 ◎第1話 ◎小
漸(ようや)く、夜も明け方に罷りなり侯。 『信長公記』
【重史018】 ◎第115話 ✓ 天正10 158200317
①穴山、忠節を抽んずべきの条、朱印をなし、
②去る十一日四郎父子を討ち捕り、首到来候、
③典厩(信豊)の事、是も首到来、
④四郎の弟仁科五郎、是も首到来候、
⑤甲州の歴々の者ども、大略、首を刎ね候、
⑥尾濃の浪人、土岐美濃守(頼芸)を始め、岩倉・犬山等、
⑦卅日・四十日際(きわ)に、一偏に属するの事、
我ながら驚き入る計りに候、
「武家事紀」
【重史019】 ◎第116話 ✓ 天正10 158200317
⑧相州氏政、駿河へ在陣にて、一廉(ひとかど)馳走候、
⑨甲斐・信濃の事、城介を残し置き申し付くべき候、
⑩路次険難、老足叶うべからざる儀に候間、
⑪京都・五畿内、並に、羽柴藤吉郎方迄、残らず相触るべく候、
「武家事紀」
【重史020】 ◎第74話 ◎小74
中国備中へ、羽柴筑前守相働き、 『信長公記』
【重要史料2】 021~040
【重史021】 ◎第74話 ◎小74
①今度、間近く寄り合ひ侯事、天の与ふるところに侯間、
②中国の歴々討ち果たし、
③九州まで一篇に仰せつけらるべきの旨、
④ (惟任日向守) 先陣として、出勢すべきの旨、
『信長公記』
【重史022】 公 天正10 158200323
①三月廿三日、滝川左近召し寄せられ、
②上野国、幷(なら)びに、信州の内二郡下され候。
③年罷り寄り、遠国へ遣はされ候事、
④関東八州の御警固を申しつけ、
⑤老後の覚えに上野に在国仕り、
⑥東国の儀、御取次、彼れ是れ申しつくべきの旨、
⑦都鄙の面目、此の節なり。
『信長公記』
【重史023】 ◎第77話 ◎小77
①時に、明知、齢(よわい)、六十七、
②齢(よわい)、六十七、
「当代記」
【重史024】 ◎第79話 ◎小79 第79話
①祖父新左衛門慰は、京都妙覚寺法花坊主落ちにて、西村と申し、
②また、父左近大夫(道三)、代々惣領(長井氏)成るを討ち殺し、
「春日文書」
【重史025】 第200話
①惟任方、もと明智十兵衛尉といひて、
②濃州土岐一家牢人たりしか、
③越前朝倉義景を頼み申され、
④長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故、
⑤念珠(ねんごろ)にて、六寮、旧情、甚に付て、
「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
【重史026】 第201話
筒井へ、惟任日向守より申し来たる
「多聞院日記」
【重史027】
①情無く、主の頸を切り、
②毒飼を仕り、殺し奉り、
③大桑を追ひ出し侯。
④むかしは、おさだ、いまは、山しろ、
『信長公記』
【重史028】 そ第78話⑫ ✓ 天正10 158200527
①家康は、明日、大坂・堺に罷り下られ候、
②中国表、近々、御馬出さるべきの由候条、
③我々、堺見物の儀、先ず、遠慮致し候、
④一両日中に、御上洛の旨候間、是に、相待ち申し候、
「小畠文書」
【重史029】 そ第78話⑦ 公 天正10 158200517
五月十七日、惟任日向守、安土より坂本に至りて帰城仕り、
『信長公記』
【重史030】 そ第78話⑩ 公 天正10 158200526
①五月廿六日、惟任日向守、中国へ出陣のため、
②坂本を打ち立ち、丹波亀山の居城に至り参着。
『信長公記』
【重史031】 そ第78話⑫ そ第78話⑬
①廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣。
②廿八日、西坊にて連歌興行。
③ときは今、あめが下知る五月哉
④五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。
『信長公記』
【重史032】 ✓ 天正10 158200528
①惟任(光秀)、・・・備中に下らずして、密かに謀反をた工む、
②年来の逆意、識察する所なり、
③ときは今、あめかしたしる五月かな、
④今、これを思惟すれば、則ち、誠に、謀反の先兆なり、
⑤天正十年六月朔日、夜半より、
「惟任退治記」
【重史033】 公 天正10 158200529
①五月廿九日、信長公、御上洛。
②御小姓衆二、三十人召し列れられ、御上洛。
③直ちに、中国へ御発向なさるべきの間、
④今度は、御伴これなし。
『信長公記』
【重史034】 公 天正10 158200305
三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
『信長公記』
【重史035】 公 天正10 158200421
①四月廿一日、濃州岐阜より安土へ御帰陣のところに、
②ろくの渡りにて、御座船飾り、
③捶井(垂井)に御屋形立ておき、
④今洲(今須)に御茶屋立てて、
⑤柏原に御茶屋拵らへ、
⑥佐和山に御茶屋立て、
⑦山崎に御茶屋立ておき、
⑧京都・堺・五畿内、隣国の各(おのおの)、はるばる罷り下り、
⑨御陣御見舞の面々、門前市をなす事に候。
⑩路次中、色々進物、員(かず)を知らず上覧に備へ、
⑪誠に、御威光有りがたき御代なり。
⑫四月廿一日、安土に御帰陣。
『信長公記』
【重史036】 ✓ 天正10 158200424
①中国進発の事、来秋たるべきの処、
②小早川、備前児嶋より敗北せしめ、備中高山に楯籠るの間、
③羽柴藤吉郎、出陣せしめ取巻くの由、注進候、
④重ねて、一左右次第、出勢すべく候、
⑤猶、惟任日向守、申すべく候也、
「細川家文書」
【重史037】
①駿河・遠江両国、家康公へ進らせらる。
②其の御礼として、徳川家康公、幷びに、穴山梅雪、今度、上国侯。
『信長公記』
【重史038】
①五月十四日、
江州の内、ばんばまで、家康公・穴山梅雪、御出でなり。
②同日に、
三位中将信忠卿、御上洛なされ、ばんば、御立ち寄り、
『信長公記』
【重史039】 そ第78話⑤
①五月十五日、
家康公、ばんばを御立ちなされ、安土に至りて御参着。
②御振舞の事、惟任日向守に仰せつけられ、
③十五日より十七日まで、三日の御事なり。
『信長公記』
【重史040】 ✓ 天正10 1582005**
①三河の国主(徳川家康)と、甲斐国の主将たちのために
饗宴を催すことを決め、
②その盛大な招宴の接待役を彼(光秀)に下命した。
③これらの催し事の準備について、
④信長は、ある密室において、明智と語っていた
⑤元来、逆上しやすく、
⑥反対意見を言われることに堪えられない性質であったので、
⑦彼の好みに合わぬ要件で、明智が言葉を返すと、
⑧信長は、立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にした
『日本史』
【重要史料3】 041~060
【重史041】 そ第78話⑥
①明智は、何らかの根拠フンダメントを作ろうと欲した
②過度の利欲と野心が募りに募り、
③それが天下の主になることを、彼に望ませるまでになった
④企てた陰謀を果たす適当な時期を、ひたすら窺っていた
『日本史』
【重史042】 そ第78話⑧ ✓ 天正10 158200521
①尚々、頼辰へ、残らず申し達し候上は、
②今度、御請け、兎角、今に到り、延引候段、
③▢御朱印に応じ、此の如き次第を以って、
④不慮、成し下し候はん事、了簡に及ばず候、
⑤海部・大西*両城の儀は、相、抱え候はて叶わず候、
⑥是れは、阿・讃競望のためには、一向にあらず候、
⑦東州、平均に属し奉り、御馬を納められ、
⑧何事も何事も、頼辰、仰せ談じらるべく候、
「石谷家文書」
【重史043】 ◎第2話
①既に、信長公、御座所、本能寺取り巻き
②是れは謀叛か、如何なる者の企てぞ
③是非に及ばず
『信長公記』
【重史044】
書中、具(つぶさ)に候へば、見る心地に候 「細川家文書」
【重史045】 そ第78話⑯
惟任、右の趣、一々、注進申し上げられ、 『信長公記』
【重史046】 公 天正10 158200201
①二月朔日、信州、木曾義政御身方の色を立てられ侯
②二月二日、武田四郎父子・典厩(武田信豊)、木曽謀叛の由承り、
③二月三日、信長公、諸口に出勢すべきの旨、仰せ出だされ、
④二月三日、三位中将信忠・森勝蔵・団平八、先陣として、
『信長公記』
【重史047】 公 天正10 158200209
①二月九日、信長公、信濃国に至りて御動座なさるべきについて、
②三好山城守、四国へ出陣すべきの事。
③惟任日向守、出陣の用意すべき事。
『信長公記』
【重史048】
①三月朔日、三位中将信忠卿、飯島より御人数を出だされ、
②高遠の城は、三方さがしき山城にて、
『信長公記』
【重史049】
①三月二日、払暁に、御人数寄せられ、中将信忠卿は、尾続を搦め手の
口へ取りよせられ、
②中将信忠御自身、御道具を持たせられ、先を争つて塀際へつけられ、
『信長公記』
【重史050】 ◎第6話
①仁科五郎が頸、信長公へもたせ、御進上候。
②東国・西国の誉を取られ、信長の御代を御相続、
③代々の御名誉、後胤の亀鏡に備へらるべきものなり。
『信長公記』
【重史051】 第42話 第43話
足軽衆・・・・・・・・・・・、柳澤。珍蔵主。森坊。明智。
「永禄六年諸役人附」後半部分
【重史052】 そ第156話②
①彼の生まれた五月の日に
②己の神体を拝むことを命じた。
③信長がかくの如く驕慢となり、
④祭りを行った後十九日を経て、
⑤その体は塵となり灰となって地に帰し、
「イエズス会日本年報」
【重史053】 そ第157話①
備後守、あん城より矢はぎへ懸け出で、あづき坂にて、
『信長公記』
【重史054】 そ第157話②
①内裏の四面の築地の蓋(かさ)を、
②尾張の、をた(織田)の弾正、と云ふ物(者)、
③修理して進上申すべきの由、
④料足四千貫計り、計上
「多聞院日記」
【重史055】 そ第157話②
①我が西村の小浦に一大船有り、
②何れの国より来たれるかを知らず、
③長さ、二、三尺、
④その体為るや、中は通り、外は直くして
⑤其の傍(かたわ)らに、一穴あり、
⑥妙薬(火薬)を其の中に入れ、
⑦其の一穴より火を放てば、
『鉄炮記』
【重史056】 そ第158話①
美濃国へ乱入し、五千討死の事
『信長公記』
【重史057】 そ第158話③
①吉法師殿、十三の御歳、
②古渡の御城にて、御元服。
『信長公記』
【重史058】 そ第158話④
織田三郎信長、御武者始めとして、
『信長公記』
【重史059】 そ第158話⑤
①山城道三、大合戦に打ち勝つて申し様に、
②大柿の城、近々と取り寄せ候ひき。
『信長公記』
【重史060】 そ第158話⑥
①織田備後守殿、後巻として、
②美濃国へ御乱入、
『信長公記』
【重要史料4】 061~080
【重史061】 そ第158話⑦
①織田三郎信長を、斎藤山城道三の聟に、取り結び、
②道三が息女を、尾州へ、呼び取り侯ひき。
『信長公記』
【重史062】 そ第158話⑧
①信長、十六、七、八までは、別の御遊びは御座なし。
②大うつ気とより外に申さず候。
『信長公記』
【重史063】 そ第158話⑨
①制札 熱田八ヶ村中
②藤原信長(花押)
「織田信長文書の研究」
【重史064】 そ第158話⑨
①奉寄進、御鰐口
②信心大施主、平信長
「織田信長文書の研究」
【重史065】 そ第158話⑨
平手中務は、借染にも、物毎に、花奢なる仁にて候ひし。
『信長公記』
【重史066】 そ第158話⑩
きう介与力一人、鉄━(鉄炮)に当たり死すと云々、
「言継卿記」
【重史067】 そ第201話①
ゆきよう(遊行)上人、御れいまいる、
「お湯殿の上の日記」
【重史068】 そ第201話②
年頭の御礼、旧冬より御触れにて、御免、御出仕これなし。
『信長公記』
【重史069】 そ第201話②
正月九日朝 惟任日向守殿会
「天王寺屋会記」
【重史070】 そ第201②話
正月十四日、巳の刻 安土において、
「天王寺屋会記」
【重史071】 そ第201③話
十六日、一、筒井、幷(ならび)に、当国衆、安土へ、年頭の礼に、
「多聞院日記」
【重史072】 そ第201話③
惟任日向守へ礼のため、坂本に下向、
「兼見卿記」
【重史073】 そ第201話③
廿五日、丙寅、未明、安土に下向、発足しおわんぬ、
「兼見卿記」
【重史074】 そ第201話④
ゆきやう(遊行)上人、れいほう(礼訪)、
「お湯殿の上の日記」
【重史075】 そ第201話⑤
十三日、一返(遍)上人、来るとて、極楽坊馳走と云々、
十四日、遊行上人、昨日、極楽坊へ来たる、
「多聞院日記」
【重史076】 そ第201話⑤
二月廿一日、信長公御上洛、妙覚寺に御成り。
二月廿六日、本能寺へ御座を居(す)ゑらるべきの旨にて、
『信長公記』
【重史077】 そ第152話③
①明智が悪魔及び偶像の友であり、
②デウスの教えを嫌ってゐた
「イエズス会日本年報」
【重史078】 そ第19話
①先の公方光源院義照御生害、
②其の濫觴(らんしょう=始まり)は、
『信長公記』
【重史079】 そ第20話
①二男御舎弟南都一乗院義昭、
②或る時、南都を潜(ひそか)に出御ありて、
③和田伊賀守を御憑(たの)みなされ、
『信長公記』
【重史080】 そ第20話①
①廿八日夜、一乗院覚慶 僧都廿十九才、寺を御離れおわんぬ、
②甲賀の和多(田)ヵ城へ入られおわんぬ、
「多聞院日記」
【重要史料5】 081~100
【重史081】 そ第20話②
①今度、京都様躰、是非なき次第に候、
②上杉弾正少弼殿
「上杉家文書」
【重史082】 そ第20話②
①公儀御家督、相定まり候間、先ず以って珍重に存じ候、
②其れに就きて、当国の人数も出勢あるべき由に候、
「上杉家文書」
【重史083】 そ第21話
①御入洛の儀に就いて、重ねて、御内書を成し下され候、
②上意次第、不日なりとも御供奉の儀、無二その覚悟に候、
「東京大学史料編纂所蔵」
【重史084】 そ第22話
信長参洛の事、別儀なきの由、喜び入り候、
「和田家文書」
【重史085】 そ第22話
①早々、先々、尾州へ下国の事肝要に候、
②急度、織田参洛候様、馳走、此の節に候、
③如何様にも、出勢の事、急ぎ申し度く候、
「和田家文書」
【重史086】 そ第23話
①来月二十二日、織田尾張守参陣致し、御動座御供申すべき由
②大覚寺殿、一圓(円)、虚説なり、
「多聞院日記」
【重史087】 そ第24話
①去る夜、江州矢島、引手(出勢)これあり、
②三好方、坂本まで三千計り罷り向ふと云々、
「言継卿記」
【重史088】 そ第24話
公方様御入洛につきて、織田上総、参陣御請け申すの条、
「中島文書」①②/④
【重史089】 そ第25話①
この期に至り、織上(織田上総介)違変せしめ候、
「中島文書」③-1/④
【重史090】 そ第25話②
織上、天下の嘲弄、過ぐべからず候、
「中島文書」③-2/④
【重史091】 そ第26話①
織上、当国境目へ出張候、・・・河野島へ執り入り候、
「中島文書」④-1/④
【重史092】 そ第26話②
①江州矢島の武家、左馬頭義秋、
②一昨夜、四・五人にて、若州へ御座を移さるゝと云々、
「言継卿記」
【重史093】 そ第26話②
①上意様は、矢島を御退座、若州に御動座しおわんぬ。
②若狭も、武田殿父子、取り合いに及び、乱逆と云々、
「多聞院日記」
【重史094】 そ第27話①
①出張の翌日より、風雨濃水に付きて、
②去八日未明に、織上、敗軍仕り候、
「中島文書」④-2/④
【重史095】 そ第27話②
①去る八日、越州敦賀に至り退座候、
②義景(朝倉)馳走に候、
「歴代古案」
【重史096】 そ第28話
①稲葉伊予守・氏家卜全・安東伊賀守、申し合せ侯て、
②信長公へ御身方に参ずべく侯間、
『信長公記』
【重史097】 そ第28話
①舟にて川内長島へ、龍興、退散。
②美濃国一篇に仰せ付けられ、
③尾張国小真木山より、濃州稲葉山へ御越しなり。
④井口と申すを、今度改めて、岐阜と名付けさせられ、
『信長公記』
【重史098】 そ第29話①
①永禄十 十一月日 信長(朱印)
②坂井文助殿
「坂井遺芳」
【重史099】 そ第29話①
①今度、国々本意に属するの由、
②尤も武勇の長上、天道の感応、古今無双の名将、
③綸命此の如し、これを悉(つく)せ、以って状す、
「信長文書の研究」
【重史100】 そ第29話②
①敦賀を御出で有り、
②一乗安養寺に着御なり、
「朝倉始末記」
【重要史料6】 101~120
【重史101】
①信長の宮廷に
惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。
②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
③信長の治世の初期には、
公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
④その才略、深慮、狡猾さにより、
⑤信長の寵愛を受けることとなり、
⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた
『日本史』
【重史102】 そ第30話①
細川ノ兵部太夫が中間にてありしを、
「多聞院日記」
【重史103】 ◎第30話
①入洛の儀につきて、
②信長、厳重に言上、
③先ず、濃州に至り御座を移さるべきの由申すの間、
「上杉家文書」
【重史104】
①此比、諸国知行之高帳之事、
②五十四万石 十八郡 美濃国
③五十七万石 八郡 尾張国
④五十六万石 十三郡 伊勢国
「当代記」
【重史105】 そ第11話㉔
①三好三人衆、・・・公方様、六条に御座侯を取詰め、
②六条に楯籠る御人数、細川典厩・・・、明智十兵衛
『信長公記』
【重史106】 そ第11話㉔
三好日向守・同下野・・・今日、悉く本國寺を取り詰め
「言継卿記」
【重史107】 そ第11話㉔
①是れは、後巻かつら川表の事。
②細川兵部大輔・三好左京大夫・池田筑後・・・懸け向かひ、
『信長公記』
【重史108】 そ第11話㉔
①内待所簀子(すのこ=縁側)にて遠見、
②三人衆以下、申の刻、敗軍、
「言継卿記」
【重史109】 そ第11話㉕
①其の節、以て外の大雪なり。
②信長、馬上十騎・・・御伴なく、六条へ懸け入り給ふ。
『信長公記』
【重史110】 そ第11話㉕
①池田せいひん、今度の手柄の様体聞こしめし及ばれ、
②御褒美、是非に及ばず。
『信長公記』
【重史111】 そ第11話㉕
①一月十日・・・、濃州より、織田弾正忠上洛、
②十二日・・・、八万人ばかりと云々、
「言継卿記」
【重史112】 そ第11話㉞
度々、申し遣わすと雖も、明智、返事無しの由
「言継卿記」
【重史113】 そ第11話㉞
阿弥陀寺敷地指図、幷(ならび)に、方々、寄進分、
「阿弥陀寺文書」
【重史114】 そ第11話㉟
①明智市尉、来たる、
②愛洲薬、又、所望の間、
「言継卿記」
【重史115】 そ第11話㉟
勢州に於て、千石知行、
「言継卿記」
【重史116】 そ第11話㉟
①九月五日、せんくわうの御十三年にて候、
②とく川、ちそう(馳走)いたし候やうに、
「言継卿記」
【重史117】 そ第11話㊱
明智市慰に、近所にて行き合うの間、
「言継卿記」
【重史118】 そ第11話㊱
①極暑の時分、老足、奇特なり、
②山上は、老足、大儀たるべくの間、
「言継卿記」
【重史119】 そ第11話㊲
①只今、下山の間、麓に相待つべし、
②然れば、老足と云ひ、極暑と云ひ、
③三川の調わざる時は、信長、一、二萬疋は、進上すべきの由、
④日乗上人・明智十兵衛方へ、申上の間、
「言継卿記」
【重史120】 そ第11話㉛
城州、賀茂庄の内、先々より、落し来り候田畠、
「織田信長文書の研究」
【重要史料7】 121~140
【重史121】 そ第11話㊳ 永禄13 157000126
①奉公衆方へ、年頭の礼に罷り向かう、
②明智十兵衛、濃州へ下向と云々、
「言継卿記」
【重史122】 第143話 永禄06 1563005**
光源院殿御代、当参衆、並びに、足軽衆以下覚え、
「永禄六年諸役人附」前半部分
【重史123】 第35話 永禄11 156800914~26
①十四日に、濃州西庄、立正寺へさしつかはされ、
②廿六(誤)日、御渡海なされ、三井寺極楽院に御陣を懸けられ、
③廿八(誤)日、信長東福寺(東寺の誤り)へ御陣を移され、
④公方様、同日に清水へ御動座。
『信長公記』
【重史124】 第35話 永禄11 156800926
①今日、武家(義昭)、清水寺まで御座を移さると云々、
②織田弾正忠信長、東寺まで進発と云々、
「言継卿記」
【重史125】 そ第11話㊴ 永禄12 156900713
①奉公衆、石谷兵部少輔、牢人、
②小笠原又六、下向、四里北に居らるゝのところへ、
③杉原与七郎、近所に於いて、生害なり、
「言継卿記」
【重史126】 そ第11話② 天正 8 158000802
①抑も、大坂は、凡そ、日本一の境地なり。
②五畿七道こゝに集まり、売買利潤、富貴の湊なり。
③家門長久の処に、思はず、天魔の所為来りて、
④爰に大坂立ち初めて以来、四十九年の春秋を送る事、
『信長公記』
【重史127】 そ第11話㊶ 永禄12 156900826
あさかの城、木下藤吉郎、先懸いたし、攻められ候て、
『信長公記』
【重史128】 そ第11話㊷ 永禄12 156900828
①是れより、わきわき(脇々)の小城へは、御手遣もなく、
②国司父子、楯籠られ候大河内の城と(取)り詰め、
③其上、四方、しゝ垣二重三重結はせられ、諸口の通路をとめ、
『信長公記』
【重史129】 そ第11話㊸ 永禄12 156901004
①俄かに、走入り侯の者、既に、端々、餓死に及ぶに付いて、
②信長公の御二男、お茶箋へ家督を譲り申さるゝ御堅約にて、
③国司父子は、笠木・坂ないと申す所へ退城候ひしなり。
『信長公記』
【重史130】 そ第11話㊹ 永禄12 156901004
①国中城々破却の御奉行、万方へ仰せ付けらる。
②当国の諸関、御免除の上、向後、関銭召し置くべからず
『信長公記』
【重史131】 そ第11話㊹ 永禄12 156901006
①六日に、内宮・外宮・浅間山に御参詣なされ、
②御茶箋公、大河内城主として、津田掃部を相添へ置かれ
『信長公記』
【重史132】 そ第11話㊺ 永禄12 156901011
①勢州表、一国平均に仰せ付けられたる様躰、
②公方様へ仰せ上げられ、
『信長公記』
【重史133】 そ第11話㊺ 永禄12 156901013
①のふなかのほりて
②御しゆりみまいまいらせ候とてまいり
③なかはしにて、てんはいの御さか月たふ。
「御湯殿上の日記」
【重史134】 そ第11話㊺ 永禄12 156901016
上意(義昭)とせりあいて、下りおわんぬと、
「多聞院日記」
【重史135】 第31話 永禄11 156800725
①此の上は、織田上総介信長を偏に憑み入られたきの趣、
②濃州西庄立正寺に至りて、公方様御成り。
③末席に鳥日千貫積ませられ、
『信長公記』
【重史136】 第34話 永禄11 156800907
①九月七日に公方様へ御暇を申され、
②尾・濃・勢・三、四ヶ国の軍兵を引卒し
③わきわき、数ヶ所の御敵城へは、御手遣いもなく、箕作山へ、
④十三日に、観音寺山乗つ取り、御上り候。
『信長公記』
【重史137】 そ第11話㉖ 永禄12 156900227
①二月廿七日、辰の一点、御鍬初めこれあり。
②細川殿御屋敷に藤戸石とて往古よりの大石候。
③笛、大鼓、つゞみを以て囃し立て、
④信長、御下知なされ、即時に、庭上へ御引付け候。
『信長公記』
【重史138】 そ第11話㉖ 永禄12 156900127
①一月二十七日、
②光源院御古城また御再興、
③織田弾正忠信長、奉行せしめ御普請これあり、
「言継卿記」
【重史139】 そ第11話㉖ 永禄12 156900303
①細川右馬頭庭の藤戸石、
②織弾(信長)、三・四千人にてこれを引き、
③笛鼓にて、これを囃し、
「言継卿記」
【重史140】 永禄12 156900313
①司祭が都に到着して三日を経、
②和田殿は、司祭が信長の許へ伺候する準備整えた。
③信長は、邸の奥に入っていて、音楽を聞いていた。
④信長は、贈物を見た後、ビロードの帽子だけを受理した。
⑤幾千里もの遠国から、はるばる日本に来た異国人たちを、
『日本史』
【重要史料8】 141~160
【重史141】 永禄12 1569003**
①信長は、建築作業に従事しており、
②濠橋の上で待った。
③彼は、約二時間、ゆったりした気分で、彼と語らった。
④どれくらいの道のりがあるのか
⑤かくも遠隔の国から日本に渡ってきたのか
⑥信長は、仏僧の方を指さし、憤激して言った。
⑦予は、幾度も、彼らを殺害し、殲滅しようと思っていたが、
『日本史』
【重史142】 そ第11話㉙ 永禄12 156900414
①通常二万五千人が働き、少ない時でも、一万五千人を数えた
②彼は多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場に引かしめた。
③信長は、ほとんどつねに、座るために虎皮を腰に巻き、
④一兵士が、戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、
⑤信長は、一同の面前で、手ずから彼の首を刎ねた。
⑥少なくとも、二、三年はかかると思われたものを、
⑦彼は、ほとんどすべてを七十日間で完成した。
『日本史』
【重史143】 そ第11話㉙ 永禄12 156900414
四月十四日、武家、勘解由小路室町え御座を移さると云々、
「言継卿記」
【重史144】 そ第11話㉙ 永禄12 156900421
①御前へ、信長、召し出だされ、
②忝くも、三献の上、公儀御酌にて御盃、
『信長公記』
【重史145】 そ第11話㉙ 永禄12 156900421
①御盃頂戴、御太刀・御馬進上、
②各(おのおの)、涙ども落すなり、
③御門外までこれを送られ、東の磊上に御成り、
④粟田口へ入るまで御遠見なり、
「言継卿記」
【重史146】 そ第11話㉚ 永禄12 156900421
①彼は、中くらいの背丈で、華奢な体軀であり、
②髯は少なく、はなはだ声は快調で、
③名誉心に富み、正義において厳格であった。
④自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。
⑤酒を飲まず、食を節し、
⑥人々は彼に絶対君主に対するように服従した。
⑦彼は、戦運が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。
⑧迷信的慣習の軽蔑者であった。
⑨霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。
⑩何ぴとも武器を携えて彼の前に罷り出ることを許さなかった。
『日本史』
【重史147】 そ第11話㉑ 永禄10 1567004**
①織田上総介平信長、伊勢の国を取んとし給ふ、
②滝川左近大夫将監一益を大将として、勢州北方へ向かる、
③信長、始めて、桑名表へ発向し給ふに、
④神戸長(おとな)、山路弾正正忠が城、高岡を取り巻き給ふ時、
⑤信長、勢を打ち入れ、岐阜へ帰り給ふ、
「勢州兵乱記」
【重史148】 そ第11話㉒ 永禄11 1568002**
①永禄十一年二月、信長、又、勢州へ発向、
②神戸へ、使者を以って、神戸蔵人大夫と無事に成る、
③信長の三男、三七殿、拾三歳の時、養子に遣わさる、
「勢州兵乱記」
【重史149】 そ第11話㉓ 永禄11 1568002**
①北伊勢八郡、信長の御手に入り、
②工藤分は、上野殿与力に定まり、
③関分は、三七殿与力に定まる、
④北方諸侍分は、滝川家与力に定まる、
「勢州兵乱記」
【重史150】 そ第11㉕02 永禄12 156900114
①御袖判(義昭) 殿中御掟
②御部屋衆・定詰衆・同朋以下、
③公家衆・御供衆・申次は、
④惣番衆面々、
⑤公事篇の
⑥奉行衆の
⑦弾正忠判(信長)
「仁和寺文書」
【重史151】 そ第11㉕02 永禄12 156900116
①追加
②請取り沙汰、停止の事、
③直訴訟、停止の事、
④訴訟の輩在らば、奉行人を以って言上致すべき事、
⑤弾正忠判
「仁和寺文書」
【重史152】 そ第11⑩01 ✓ 天正08 158000612
①三好式部少輔の事、此方(こなた)に別心なく候、
②猶、三好山城守(康長)、申すべく候也、
「古証文」「織田信長文書の研究」
【重史153】 そ第11⑩01 ✓ 天正08 158000614
①爾来(じらい=以来)、申し承らず候、
②仍って、阿刕(あしゅう=阿州)表の儀に就きて、
③信長より、朱印を以って、申され候、
「古証文」「織田信長文書の研究」
【重史154】 そ第11⑩01 公 天正08 158000626
①土佐国補佐せしめ候長宗我部土佐守、
②惟任日向守、執奏にて、
③御鷹十六聯、幷(ならび)に砂糖三千斤、進上。
『信長公記』
【重史155】 そ第11⑩03 天正08 158000714
①右府信長、御上洛の由、申すの間、
②山科に至り罷り出で、数刻相待つ、
③御迎え、各、無用の由、仰せなり、
「兼見卿記」
【重史156】 そ第11⑩03 天正08 158000723
①聊(いささ)かも難渋せしむれば、成敗を加ふべき者なり、
②天正八年七月廿三日 光秀 加茂ノ庄惣中
「明智光秀史料で読む戦国史」
【重史157】 そ第11⑩03 天正08 1580007**
①定 宮田市場
②一、喧嘩・口論・押買・狼藉、停止の事、
③違犯の輩においては、速やかに巌科に処すべきもの也、
「亀岡市史」
【重史158】 そ第11話⑪ 天正08 158000804
①飯川治部入道(秋共)、書状到来、
②今度、丹後国、長岡兵部(細川藤孝)大輔に仰せ付けらるゝ也、
③鎧(よろい)借用の事、
「兼見卿記」
【重史159】 そ第11話⑪ 天正08 158000813
①其国(丹後)に至り、早々、参着候由、尤も以って然るべく候、
②様子に於ては、惟任かたより、具(つぶさ)に申し越し候、
「細川家文書」
【重史160】 そ第11話⑪ 天正08 158000815
十五日、壬子(みずのえね)、右府信長、大坂表へ御出陣、「兼見卿記」
【重要史料9】 161~180
【重史161】 そ第11話⑪ ✓✓ 公 天正08 158000815
①信長公、京より、宇治の橋を御覧じ、
②御舟にて、直ちに、大坂へ御成り。
『信長公記』
【重史162】 そ第11話⑪ ✓✓✓ 天正08 158000817
①禁制 丹後国江尻村
②一、当手軍勢甲乙人乱妨狼藉の事、
③天正八年八月十七日 日向守(花) 与一郎(花) 兵部大輔(花)
「成相寺文書」
【重史163】 ◎第11話 1~2/19 信✓公 天正08 1580008**
①爰(ここ)にて、佐久間右衛門かたへ、御折檻の条、
②御自筆にて、仰せ遣はさるゝ趣、
『信長公記』
【重史164】 ◎第11話 3~4/19 信光公 天正08 1580008**
①丹波国、日向守が働き、天下の面目をほどこし侯。
②次に、羽柴藤吉郎(秀吉)、数ヶ国比類なし。
③池田勝三郎、小身といひしも、
④柴田修理亮、右の働き聞及び、
『信長公記』
【重史165】 ◎第11話 5~6/19 信光公 天正08 1580008**
①五ヶ年、一度も申し越さざるの儀、油断・曲事の事。
②然るところ、(信長に)一旦の届けこれなく、
『信長公記』
【重史166】 ◎第12話 7~10/19 信✓公 天正08 1580008**
①信長家中にては、進退各別に候か。
②三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、
③少分の者ども候へども、七ケ国の与力。
『信長公記』
【重史167】 ◎第12話 11~12/19 信光公 天正08 1580008**
①先年、朝倉破軍の刻(きざみ)、
②時にあたつて、信長、面目を失ふ。
③甚九郎、覚悟の条々、
④書き並べ候へば、筆にも墨にも述べがたき事。
『信長公記』
【重史168】 ◎第13話 13~15/19 信光公 天正08 1580008**
①大まはしに、つもり候へば(大略を言えば)、
②父子とも、武篇道たらはず候によつて、かくの如き事。
③自分の侍相拘へず、領中を徒(あだ)になし(所領を無駄にして)、
④錦の中にしまはり(針)をたてたる上をさくる様なる
『信長公記』
【重史169】 ◎第4話 公 永禄03 15600519
①人間五十年、
②下天の内をくら(比)ぶれば、
③夢幻の如くなり、
④一度生を得て、滅せぬ者の有るべきか、
『信長公記』
【重史170】 公 天正10 15600311
①三月十一日、武田四郎父子、簾中、一門、
②こがつこ(駒飼)の山中へ引籠らるゝの由、
③三月十一日、巳の刻、各、相伴、討死なり。
④四郎父子の頸、滝川左近かたより、三位中将信忠卿へ、
⑤関可平次・桑原助六両人にもたせ、信長公へ御進上候。
『信長公記』
【重史171】 ✓ 永禄13 157000123
①印文 義昭宝 黒印
②天下の儀、何様にも、信長に任せ置かるのゝ上は、
③誰々に寄よらず、上意を得るに及ばず、
④分別次第に、成敗をなすべきの事、
「成簣堂文庫所蔵文書」
【重史172】 公 天正08 1580008**
①抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、
②口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条、
③遠国へ退出すべき趣、仰せ出ださる。
④取る物も取り敢へず、高野山へ上(のぼ)られ候。
⑤高野を立ち出で、紀伊州熊野の奥、足に任せて逐電なり。
⑥己と草履を取るばかりにて、見る目も哀れなる有様なり。
『信長公記』
【重史173】 ✓ 天正09 158100819
①佐久間(信盛)、十津川の湯にて、死ぬにつき、
②高野の宿坊の庫(くら)の物、請け取るべきの由、
③悉(ことごと)く 以って討ち殺しおわんぬと云々、
④これにより、諸国の高野聖とらえらる、
⑤高野滅亡、時刻到来か、
⑥惟任日向守、郡山城普請見舞として、
「多聞院日記」
【重史174】 ✓ 天正10 158200111
①進上 利三 空然(石谷光政) 人々御中
②御朱印の趣も、元親御ため、然るべく候、
③静穏の筋目、之たるべく候、
④新暦、御吉兆、珍重、休期有るべからず候、
⑤重ねて、頼辰・仁首座(禅僧の首位者)、下国候(土佐へ)、
⑥弥、始末、然るべく様に、万事、御異見、尤もに、存じ候、
⑦取り乱し候間、重ねて申し展(の)べ候、
「石谷家文書」
【重史175】 ◎第65話 ✓ 天正10 158200305
①三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
②翌日、仁科五郎が頸もたせ参り候を、ろくの渡りにて御覧じ、
『信長公記』
【重史176】 ◎第65話 ✓ 天正10 158200305
①路地中、数千騎、惟任向州、多人数の由、
②日向守、殊更(ことさら)、人数多く、奇麗の由、
「兼見卿記」
【重史177】 ◎第66話 ✓ 天正10 158200307
①三月七日、三位中将信忠卿、上諏訪より甲府に至りて御入国。
②武田四郎勝頼一門・親類・家老の者、尋ね捜して悉く御成敗。
③駿・甲・信・上野、四ケ国の諸侍、
④帰参の御礼、門前、市をなすなり。
『信長公記』
【重史178】 公 天正09 158101117
①羽柴筑前・池田勝九郎両人、淡路島へ人数打ち越し、
②姫路に至りて、羽柴筑前守、帰陣。
③淡路島、物主(ものぬし)、未だ仰せつけられず候なり、
『信長公記』
【重史179】 ✓ 天正06 157801026
①惟任日向守に対する書状、披見せしめ候、
②阿州面(おもて)に在陣、尤(もっと)もに候、
③次に、字(あざな)の儀、信を遣はし候、
④即ち、信親、然るべく候、
「土佐国蠧簡集」
【重史180】 ✓ 天正06 157801026
①御奏者は、明智殿なり、
②明智殿御内、齋藤内蔵助は、元親卿には小舅になるなり、
③則ち、信と云う御字を給わる、
④これに依り、信親と云しなり、
⑤此の由緒を以って、
⑥四国の儀は、元親、手柄次第に、切り取り候へと、
⑦御朱印頂戴したり、
「元親記」
【重要史料10】 181~200
【重史181】 ✓ 天正09 1581*****
①元親儀を、信長卿へ、或る人、さゝへ(妨害)申す、
②連々、天下のあだにも罷り成るべし、
③信長卿、御朱印の面、御違却有りて、
④予州・讃州、上表申し、
⑤阿波南郡半国、本国に相添え遣はさるべし
「元親記」
【重史182】 公 天正03 157500406
①四月六日、信長、京都より直ちに南方へ御馬を出だされ、
②四月八日、三好笑岩(康長)楯籠る高屋へ取り懸け、
③四月十四日、大坂へ取り寄り、作毛を悉く薙ぎ捨て、
④御人数、十万余騎のつもりなり。
⑤都鄙の貴賤、皆耳目を驚かすばかりなり。
『信長公記』
【重史183】 ✓ 天正03 157500412
①同卯月十二日朝、友閑 長谷川宗仁
②一、小長板ニふとん・しがらき、二ツ置く、
「天王寺屋会記」
【重史184】 公 天正03 157500419
①高屋に楯籠る三好笑岩、
②友閑を以て、御侘言(わびごと)、御赦免候ひしなり。
『信長公記』
【重史185】 ✓ 天正08 158001124
①大坂を逃げ下る牢人ども、
②紀州(雑賀衆)・淡州(勢)相催し、
③阿州勝瑞へ渡られ、再籠に及び、
「吉田文書」3/8
【重史186】 ✓ 天正08 158011225
①大坂存分に属するに就きて、
②伊予鷂(ハイタカ)、五居(すえ)到来、
③隣国との干戈(かんか=戦い)の事、
④彼是(かれこれ)、惟任日向守、申すべく候也、
「土佐国蠧簡集」
【重史187】 ✓ 天正08 158001124
三好山城守、近日、讃州安富館(雨滝城)に至り下国必定に候、
「吉田文書」6/8
【重史188】 ✓ 天正08 158001124
①淡州野口(長宗)方の所来、
②此比、淡州の儀、如何、仰せ付けらるゝべく候、
③淡州の儀、仰せ下さるゝ次第、心懸け致すべく候哉、
「吉田文書」7/8
【重史189】 ✓ 天正08 158001124
①善悪の御助言、(秀吉に)頼み奉る外他無く候、
②斎藤内蔵助方まで、申し登せ候間、
③自然(じねん)の時は、貴意を得らるべく候、
「吉田文書」8/8
【重史190】 ✓ 天正09 1581*****
①四国御儀は、某が手柄を以って、切り取り申す事に候、
②一圓、御請け申されず、
③明智殿より、石谷兵部少輔(頼辰)を御使者に下されたり、
④是れにも、御返事、申し切らるゝなり、
「元親記」
【重史191】 ✓ 天正09 158100123
①正月廿三日、惟任日向守に仰せ付けられ、
②京都にて、御馬揃へなさるべきの間、
③御朱印を以て、御分国に御触れこれあり。
『信長公記』
【重史192】 ✓ 天正09 158100123
①先度は、爆竹の諸道具こしらへ、
②然らば、重ねて、京にては、切々、馬を乗り遊ぶべく候、
③幾内の直奉公の者共、老若を出すべく候、
④其方(光秀)、請取り申し触るべく候、
⑤三好山城守(康長)、是れは、阿波へ遣はし候間、除くべく候、
⑥六十余州へ相聞ゆべく候の条、馬数多くしたて、
「士林証文」
【重史193】 ✓ 天正09 158100329
①清水寺に於いて、羽柴筑前守・宮内卿法印・春長軒
②各、罷り向かい、酒宴、
③羽筑より、乱舞の衆へ、小袖一つ宛、遣わすと云々、
「兼見卿記」
【重史194】 ✓ 天正09 158100108
正月八日朝、 安土に於いて宮法御会 宗訥 宗二 宗及
「天王寺屋会記」他
【重史195】 ✓ 天正09 158100206
二月六日朝、 三好山城殿 一人
「天王寺屋会記」自
【重史196】 ✓ 天正09 158100210
二月十日朝、 宮内卿法印、御出で、
「天王寺屋会記」自
【重史197】 ✓ 天正09 158100110
正月十日朝、 惟任日向守殿会 宗二 宗及
「天王寺屋会記」他
【重史198】 公 天正09 158100410
①信長、御小姓衆五、六人召し列れられ、竹生島御参詣。
②御帰り候て、御覧候へば、
③御城内は、行きあたり、もだえ焦(こが)れ、仰天限りなし。
④其の長老をも、同事に、御成敗候なり。
『信長公記』
【重史199】 ✓ 天正09 158100412
①惟任日向守殿父子三人
②長岡兵部太夫殿父子三人
③紹巴 宗及 宗二 道是
④地蔵行平の太刀、与一郎殿より日向殿へ御進上候なり、
⑤かざり船にて、并びに橋立の文殊にて御振舞これあり、
⑥うふてる松は、千年のさなえ哉、 光秀
「天王寺屋会記」他
【重史200】 公 天正09 158100228
①二月廿八日、
②五畿内隣国の大名・小名・御家人を召し寄せられ、
③天下に於て、御馬揃へをなされ、
④聖王へ、御叡覧に備へられ訖んぬ。
⑤儀式の御結構、美々しき有様、筆にも、詞にも、述べがたく、
⑥下京本能寺を、信長、辰の刻(8時頃)に出でさせられ、
『信長公記』1/6
【重要史料11】 201~220
【重史201】 公 天正09 158100228
①一番に、惟住五郎左衛門尉(丹羽)長秀、
②二番、蜂屋兵庫頭、
③三番、惟任日向守、
④四番、村井作右衛門、
⑤御連枝の御衆。
⑥公家衆。
⑦御馬廻、御小姓衆。
⑧越前衆。
『信長公記』2/6
【重史202】 ✓ 天正09 158100305
①今度、御馬揃の儀、夥敷(おびただしく)、相聞え申し候事、
②参上せしめず候段、無念に存ずる計(ばか)りに候、
③爰元、(姫路城の)普請等、漸(ようや)く出来候、
「富田文書」
【重史203】 ✓ 天正09 158100504
五月四日朝、 羽柴藤吉郎殿・宮内卿法印御坊、
「天王寺屋会記」自
【重史204】 ✓ 天正09 158100612
①六月十二日朝、 羽柴藤吉郎殿御会、
②播州ヒメジにて、 宗及 備中屋一噌
「天王寺屋会記」他
【重史205】 公 天正09 158100625
①六月廿五日、羽柴筑前守秀吉、中国へ出勢。
②打ち立つ人数、二万余騎。
③即時に、とつとり(鳥取)を取りまかせ、
④海上には、警固舟をおき、浦々、焼き払ひ、
⑤数千挺の弓・鉄炮勝り出し、
『信長公記』
【重史206】 ✓ 天正09 158100908
①長宗我部方よりも申し分候へ共、返事に能わず候、
②勝瑞、いよいよ、堅固の由、尤もに候、
③阿州表の儀、重ねて、申し越され候、
④淡路衆、毎日、追々、渡海の旨、然るべく候、
「阿波国徴古雑抄」
【重史207】 ✓ 天正09 158100912
①権兵衛に、阿(淡)州衆召し連れ、入城せしむべきの由、
②生甚・明与四は、自遁の城まで渡海せしむべく候、
③その方、早々、相越され、
④野孫五の城に在城候て、
「黒田家文書」50
【重史208】 ✓ 天正09 158100916
①淡路へ渡海の儀、油断無き由、尤もに候、
②生甚、阿州へ相越すの旨に候条、
③其の方は、しちの城に在城候て、
④先々の儀、示し合わされ、行等の事、調儀専一に候、
「黒田家文書」51
【重史209】 ✓ 天正09 158100924
①阿州、相残る人質ども、志智に至り、相越さるるの由、
②行の様子、委細、小西弥九郎に、書付を以って申し渡し候、
③讃州安富、人質召し連れ、親父相越され候、
「黒田家文書」52
【重史210】 ✓ 天正09 158101010
①来島一書口上の趣聞き届け、委細申し遣わし候、
②木津・土佐泊兵粮の事、申し付け相渡し候、
③右両城玉薬の事、先度書き付け候分、これ又申し付け候、
④讃州表の事、敵引き退き候由、其分たるべく候、
「黒田家文書」53
【重史211】 公 天正09 158101025
①因幡国とつ鳥一郡の男女、悉く、城中へ逃げ入り、楯籠り候。
②下々、百姓以下、長陣の覚悟なく候の間、即時に餓死に及ぶ。
③吉川式部少輔・森下・日本、三大将の頸を取り進らすべく候間
④残党、扶け出だされ候様にと、詫言、申し候、
⑤十月廿五日、取鳥籠城の者、扶(たす)け出ださる。
『信長公記』
【重史212】 公 天正09 158101028
①伯耆国に、吉川、罷り出で、南条表取り巻くの由、注進候。
②羽柴筑前守、後巻に罷り立ち、
③因幡・伯耆の境目に、山中鹿之介弟 亀井新十郎(茲矩)、
④羽衣石・岩倉両城へ、兵粮・玉薬丈夫に入れおき、
⑤十一月八日、播州姫路に至りて帰陣。
⑥吉川元春も、曲なく、人数引き取り候ひキ。
『信長公記』
【重史213】 ✓ 天正09 158101123
①今度、淡州の儀、皆相済ませ申し候、
②阿・讃の儀、三好山城守、弥、仰せつけられ候、
③即時に、両国残さず一着候ように仰せ付けられるべく候、
④慥(たし)かに、申し届くべきの通り、 上意候間、
「志岐文書」
【重史214】 公 天正09 158100813
①因幡国とつとり表に至りて、
②毛利・吉川・小早川、罷り出づべきの風説これあり。
③一左右次第、参陣いたすべき用意、
④永岡兵部大輔父子三人、惟任日向守、
⑤信長公、御馬を出だされ、悉く、討ち果たし、
⑥永岡・惟任両人は、大船に兵粮つませ、
『信長公記』
【重史215】 ✓ 天正09 158100820
①鳥取面の事、
②彼の城中の下々、日々餓死に及び候旨、実儀なるべく候、
③惟任・長岡以下申し付け候、
④その方、一左右(いっそう)次第、出張すべく候、
⑤信長も、出馬すべく候条、
「沢田文書」
【重史216】 公 天正09 1581012**
①歳暮の御祝儀として、羽柴筑前守秀吉、播州より罷り上り、
②御小袖、数弐百、進上。
③其の外、女房衆かた、それぞれへ参らせられ、
④か様の結構、生便敷(おびただしき)様躰、古今承り及ばず、
⑤今度、因幡国取鳥、一国平均に申しつけらるゝ事、
⑥武勇の名誉、前代未聞の旨、御感状をなされ、
⑦信長公、御褒美として、御茶の湯道具、十二種御名物、
『信長公記』
【重史217】 ✓ 天正09 158101106
①敵の警固船二百艘計り、罷り上るの処、
②室より小西、安宅(船)乗り出し、
③宇喜多、煩(わずらい)、再発の由に候、
④藤吉郎、永々、在陣仕り候間、
「蜂須賀文書」
【重史218】 ✓ 天正09 158101126
①弟鷹一居到来候、遠路懇情喜び入り候、
②十一月廿六日 信長(朱印) 村上掃部頭とのへ
「村上文書」
【重史219】 公 天正08 158010307
①さる程に、大坂(石山本願寺)退城仕るべきの旨、
②忝くも、禁中より御勅使なされ、
③御勅使、近衛殿・勧修寺殿・庭田殿、
④幷びに、宮内卿法印・佐久間右衛門等へ御請けを申し、
⑤来たる七月廿日以前に、大坂退散に相定め、
⑥閏三月七日、誓紙の筆本見申され候なり。
『信長公記』
【重史220】 公 天正08 158010409
①四月九日、大坂退出の次第、
②門跡より新門跡かたへ相渡さるべきの旨、
③雑賀・淡路島の者ども、爰を取り離れ候ては、迷惑と存知、
④新門跡を取り立て候はんの間、
⑤若門跡、此の儀に同事、
⑥本門跡、雑賀より迎へ舟を乞ひ、四月九日、大坂を退出。
『信長公記』
【重要史料12】 221~240
【重史221】 公 天正08 158010702
①大坂本門跡、三使を以て、七月二日、御礼。
②進物、御太刀代・銀子百枚。
③中将信忠卿へ御礼申す。
④信長公、御対面これなし。
⑤黄金三十枚、門跡へ。黄金二十枚、北方へ。
『信長公記』
【重史222】 公 天正08 158010802
①さる程に、新門跡大坂渡し進(まいら)すべきの御請けなり。
②天正八年庚辰(かのえたつ)八月二日、新門跡、大坂退出の次第。
③抑(そもそ)も、大坂は、凡そ、日本一の境地なり。
④家門長久の処に、思はず、天魔の所為(しょい)来りて、
⑤爰に大坂立ち初めて以来、四十九年の春秋を送る事、
⑥信長公、御成りあつて、御見物なさるべく、其の意を存知、
⑦海上と陸と、蛛の子をちらすが如く、ちり々々に別れ候。
⑧余多の伽藍、一宇も残さず、夜日三日、黒雲となつて焼けぬ。
『信長公記』
【重史223】 公 天正08 158010424
①四月廿四日、播州の内しそ郡に、
②此の競ひを以て、阿賀へ取り懸けられ候ところ、
③姫路に、羽柴筑前守秀吉、在城あるべく、普請申し付け、
④羽柴筑前守、舎弟 木下小一郎、但馬国へ乱入、
⑤信長公の御威光、忝き御事なり。
⑥両国、平均に候ヘキ。
⑦都鄙の面目、後代の名誉、これに過ぐべからず。
『信長公記』
【重史224】 公 天正08 158010606
①播州しそ郡に楯籠る宇野民部、六月五日、夜中に退散。
②六月六日、因幡・伯耆両国境目に至りて相働き、
③馳せ向ふべき行(てだて)は、一切にこれなく、
④国端の城主、縁々を以て、降参の御断り申し、
⑤羽柴筑前守秀吉、条々(数々の手柄)、名誉の旨、
⑥信長公、御感なされ候ひキ。
『信長公記』
【重史225】 公 天正10 158200511
①四国阿波国、神戸三七信孝へ参らせられ候につきて、
②五月十一日、住吉に至りて御参陣。
③四国へ渡海の舟ども、仰せ付けられ、其の御用意、半に候。
『信長公記』
【重史226】 W 37 38 39 公 天正10 158200515
①駿河・遠江両国、家康公へ進らせらる。
②其の御礼として、徳川家康公幷びに穴山梅雪、今度、上国候。
③五月十四日、ばんばまで、家康公・穴山梅雪、御出でなり。
④同日に、三位中将信忠卿、御上洛なされ、ばんば御立ち寄り、
⑤五月十五日、家康公、安土に至りて御参着。
⑥御振舞の事、惟任日向守に仰せつけられ、
⑦十五日より十七日まで、三日の御事なり。
『信長公記』
【重史227】 W 20 21 公 天正10 1582005**
①中国備中へ、羽柴筑前守相働き、
②高松へ取り詰め、水攻めに申しつけられ候。
③芸州より、毛利・吉川・小早川、人数引卒し、対陣なり。
④今度、間近く寄り合ひ候事、天の与ふるところに候間、
⑤中国の歴々討ち果たし、
⑥九州まで一篇に仰せつけらるべきの旨、
⑦ 惟任日向守・長岡・・・、 先陣として、出勢すべきの旨、
『信長公記』
【重史228】 公 天正10 158200519
①五月十九日、安土御山惣見寺において、
②幸若八郎九郎大夫に舞をまはせ、
③丹波猿楽 梅若大夫に能をさせ、
④家康公召し列れられ候衆、今度、道中辛労を忘れ申す様に、
⑤御桟敷の内、近衛殿(前久)・信長公・家康公・穴山梅雪・
⑥世間の褒貶(ほうへん)あるべきやの御思慮を加へられ、
『信長公記』
【重史229】 公 天正10 158200520
①五月廿日、徳川家康公御振舞の御仕立て仰せつけられ、
②御座敷は、高雲寺御殿、
③家康公・穴山梅雪・石河伯耆・酒井左衛門尉、外、家老の衆
④忝くも、信長公御自身、御膳を居えさせられ、
⑤家康公御伴衆、上下残さず、安土御山へ召し寄せられ、
『信長公記』
【重史230】 公 天正10 158200521
①五月廿一日、家康公御上洛。
②京都・大坂・奈良・堺、御心静かに御見物なされ尤もの旨、
③案内人は、長谷川秀一。
④織田七兵衛・惟住五郎左衛門は、大坂にて、家康公の御振舞
『信長公記』
【重史231】 ✓ 天正10 158200521
①信長の長男(信忠)が都に到着し、
②彼とともに・・・三河の国主(徳川)家康・・・殿が来た。
『日本史』
【重史232】 ✓ 天正10 158200521
①世子は、再び、全兵力を率ゐて日本の端まで行き、
②諸国を征服して、彼とその父とに帰服せしむるつもりである
「イエズス会日本年報」
【重史233】 W 31 公 天正10 158200527
①次の日、廿七日に、亀山より、愛宕山へ仏詣。
②一宿参籠致し、
③惟任日向守、心持御座候や、
④二度三度まで鬮(くじ)を取りたる由、申し候。
『信長公記』
【重史234】 W 31 公 天正10 158200528
①廿八日、西坊にて連歌興行。
②ときは今、あめが下知る五月哉
③五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。
『信長公記』
【重史235】 ✓ 天正10 1582005**
①信長が戦争においては怖(おそ)るるところなく、
②心寛(ひろ)く武略と生来の智慮を有するにより、
③常に日本の人心を収攬し、
④短き年月の間に五十余ヵ国をその支配の下に置き、
⑤日本の富と貴重なる物は悉(ことごと)く彼の所有に帰した。
⑥彼は益々その勢力と名声を現はさんため、
「イエズス会日本年報」
【重史236】 ✓ 天正10 1582005**
①彼(信長)は日本の王侯大身を悉(ことごと)く軽蔑した
②我等(イエズス会の宣教師)に対しては常に好意を示し、
③彼(信長)は数回説教を聴き、
④傲慢であるためデウスの御恵を受くることができなかった。
⑤謙遜することなく、かへって益々傲慢となり、
⑥ネブカドネザル(新バビロニアの王)の驕慢に倣ひ、
「イエズス会日本年報」
【重史237】 ✓ 天正10 1582005**
①安土山・・・に・・・非常に立派なる城と宮殿とを建築した。
②主なる領主に妻子と共に同所に居住・・・することを命じた。
③都より安土山まで・・・に平坦な道を造り、両側に木を植え、
④絶えず戦争のあったこの諸国を・・・漸次平和に帰せしめた。
⑤高い税を・・・一切免除し・・・一般人民の心を収攬した。
「イエズス会日本年報」
【重史238】 16~17/19 公 天正08 1580108**
①三十年奉公を遂ぐるの内に、
②比類なき働きと申し鳴らし候儀、一度もこれあるまじき事。
③先年、遠江へ人数を遣(つかは)し候刻(きざみ)、
④一人も殺さず。
⑤剰(あまつさ)へ、平手(汎秀)を捨て殺し、
『信長公記』
【重史239】 18~19/19 公 天正08 1580108**
①此の上は、いづかたの敵をたいらげ、会稽を雪ぎ、
②父子かしらをこそげ、高野の栖(すまい)を遂げ、
『信長公記』
【重史240】 折檻状全文 1~19/19 公 天正08 1580108**
W 163 164 165 166 167 168 238 239 172
1 父子、五ケ年在城の内に、善悪の働きこれなきの段、
2 此の心持の推量、大坂大敵と存じ、武篇(武辺)にも構へず、
3 丹波国、日向守が働き、天下の面目をほどこし候。
次に、羽柴藤吉郎(秀吉)、数ヶ国比類なし。
4 柴田修理亮、右の働き聞及び、一国を存知ながら、
5 武篇道ふがひなきにおいては、
6 やす田(保田安政)の儀、
7 信長家中にては、進退各別に候か。
8 小河(緒川)・かり屋(刈谷)、跡職申し付け候ところ、
9 山崎申し付け候に、
10 先々(先代)より、自分に拘(かか)へ置き候者どもに、
11 先年、朝倉破軍の刻(きざみ)、
12 甚九郎、覚悟の条々、書き並べ候へば、
13 大まはしに、つもり候へば(大略を言えば)、
14 与力を専(もっぱら)とし、
15 右衛門与カ・被官等に至るまで、斟酌(遠慮)候の事、
16 信長代になり、三十年奉公を遂ぐるの内に、
17 先年、遠江へ人数を遣(つかは)し候刻(きざみ)、
18 此の上は、いづかたの敵をたいらげ、会稽を雪ぎ、
19 父子かしらをこそげ、高野の栖(すまい)を遂げ、
抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、
口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条、
『信長公記』
【重要史料13】 241~260
【重史241】
①信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。
②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
③信長の治世の初期には、
公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
④その才略、深慮、狡猾さにより、
⑤信長の寵愛を受けることとなり、
⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
⑦殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、
⑧ほとんどすべての者から快く思われていなかった
⑨寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
⑩裏切りや密会を好み、
⑪刑を科するに残酷で、
⑫独裁的でもあったが、
⑬謀略を得意とし、
⑭忍耐力に富み、
⑮計略と策謀の達人であった。
⑯築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、
⑰選(え)り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
⑱絶えず信長に贈与することを怠らず、
⑲彼(信長)を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
⑳彼の嗜好や希望に関しては、
いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、
㉑必要がある場合などは涙を流し、
それは本心からの涙に見えるほどであった。
㉒人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習した
㉓信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
㉔信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、
㉕比叡山の大学(延暦寺)の全収入・・・とともに彼に与えるに至った。
『日本史』
【重史242】 公 天正09 158100223
①二月十九日、北畠中将信雄卿・中将信忠卿、御上洛。
②二月廿日、信長御出京。
本能寺に至つて御座を移さる。
③二月廿三日、きりしたん(切支丹)国より黒坊主参り候。
『信長公記』
【重史243】 公 天正09 158100228
①御弓衆、百人。
②御馬牽(ひ)かせられ候次第(一番~六番)。
③七番、夕庵(せきあん)、山うばの出立にて。
此の外、長安・長雲・友閑、御先に参らるゝ。
④八番、御曲彔持ち四人。
『信長公記』
【重史244】 公 天正09 158100228
①左、御先小姓、
②右、御先小姓、
③御馬大黒に召され、惣御人数廿七人。
④御内府の御装束。
⑤御眉にて、きんしや(金紗)を以てほうこうめされ、
⑥御頭巾、とうかむり。
⑦御後ろの方に、花を立てさせられ、
⑧御膚(はだ)にめさせられ候御小袖、紅梅に白のだん、
⑨永岡与一郎(細川忠興)、都にて尋ね、捜し求め、進上。
⑩御肩衣、べにどんすに、きりから(桐唐)草なり。
⑪御袴、同前なり。
⑫御腰に、ぼたんの作り花をさゝせられ、
⑬御腰蓑、白熊。
⑭御沓(くつ)は、猩々皮、
⑮(信長の)花やかなる御出立(いでたち)・御馬場入りの儀式、
⑯各、神感(=神が感応すること)をなし奉り訖(おわ)んぬ。
『信長公記』
【重史245】 公 天正09 158100228
①然れば、隣国の群集、晴れがましきに付けて、爰を肝要と、
②我れ劣らじと、あらゆる程の結構、生便敷(おびただしく)、
③数百人の事なれば、一々には、しる(記)し得ず。
④辰の刻より未の刻(8時頃~14時頃)まで、めさせられ、
⑤駿馬(しゅんめ)の集まり、記しがたし。
『信長公記』
【重史246】 公 天正09 158100228
①岐阜中将信忠卿、驄(あしげ)の御馬、
②北畠中将信雄卿、河原毛御馬。
③織田三七信孝、糟毛御馬、
④後には、御馬ども懸け足にめさせられ、御叡覧に備へられ、
⑤本朝の儀は申すに及ばず、
⑥異国にも、かほどの様(ためし)これあるべからず。
⑦天下安泰にして、黎民(れいみん)、烟戸(かまど)さ(鎖)ゝず、
⑧かほど面白き御遊興、
⑨天子御叡覧、御歓喜斜ならざるの旨、忝くも、御綸言。
⑩信長の御面目、勝(あ)げて計(かぞ)ふべからず。
⑪千秋万歳、珍重々々。
『信長公記』
【重史247】 ✓ 天正09 158100228
①きわめて気品のある有名なある行事を開催しようと欲した。
②華麗な出立ちの七百人武将が集うことになり、
③群衆の数は、・・・二十万人に近いと言われる。
④絢爛豪華な光景は生涯かつて見たことがないものだ、
⑤内裏も姿を見せていた。
⑥桟敷に似て、よく設備された立派な場所をわざわざ彼に提供した。
⑦濃紅色のビロードの椅子を贈呈していた
⑧それを四人の男の肩の高さに持ち上げさせて、
⑨一度馬から降りて椅子に座って見せ、
『日本史』
【重史248】 ✓ 天正09 1581003**
①行事が終ると、信長はただちに安土山へ帰還した。
②(ヴァリニャーノは)信長を観察しようと決めていた
③巡察師も後を追って安土山に向かって出立した。
④(安土は)全日本でもっとも気品があり
⑤(街路は)美しく見事な景観であった
⑥街路ははなはだよく手入れされていて、
⑦毎日二回、午前と午後に清掃が行われていた。
⑧住民の数は、話によれば六千を数えるという。
『日本史』
【重史249】 ✓ 天正09 1581003**
①巡察師が安土山へ到着すると、
②信長は彼に城を見せたいと言って召喚するように命じ、
③修道院にいるすべての司祭・・・いっしょに来るように命じた
④下にも置かぬように歓待し、
⑤城と宮殿を・・・案内するために、多くの使者をよこし、
⑥彼自らも三度にわたって姿を見せ、
⑦司祭と会談し、種々質問を行い、
⑧賞賛するのを聞いて極度に満足の意を示した。
『日本史』
【重史250】 ✓ 天正09 1581003**
①安土山の市は、信長の甚だ重要視する所であったから、
②(ヴァリニャーノは)セミナリヨをここに置くことを希望し、
③カザ(修道院)の最上層に、甚だ立派な広間を造った。
④オルガンティーノが・・・集めた少年武士二十五、六人
⑤有馬のセミナリヨ・・・と同一の注意・規則及び時間割
⑥当地方の人は、性質良く、才識あり、高雅にして言語洗練
⑦信長は、聖堂を非常に壮麗宏大なるものとすることを希望
⑧数回、パードレと語った。
⑨聖堂ができたらば、当城のキリシタンは増加するであろう。
「イエズス会日本年報」
【重史251】 ✓ 天正09 1581004**
①パードレ(ヴァリニャーノ)は、当所(安土)に約一ヵ月間滞在し、
②この地方のキリシタンを巡視する許可を信長に請うたところ、
③彼は、慈愛に満ちた言葉をもって許可を与へ、
④全領内希望の場所に、説教師を派遣することを許し、
⑤教えの弘布することは、彼の大いに喜ぶところであると言った
「イエズス会日本年報」
【重史252】 ✓ 天正09 1581007**
①パードレがキリシタンの巡視を終わって帰った時、
②信長は従前より大なる好意を表した
③好意の一つは、信長が屏風と称し、
④信長は知らざる・・・これを(内裏に)贈ることを欲しなかった。
⑤親愛の印として何か贈り、帰国の際携へ帰らせんと思ひ、
⑥コレジョ(神学校)を絵に・・・と考へて己の屏風を送付する、
⑦これを覧て満足すれば留め置くべく、然らざれば送り返せと
⑧この屏風は彼(信長)が非常に珍重するもので、
⑨彼(信長)がパードレを尊敬することを日本全国に知らしむる
⑩このことは信長がパードレに好意を有する証拠で、
「イエズス会日本年報」
【重史253】 ✓ 天正09 1581007**
①信長がつぎにパードレに示した好意は、
②カザの建築に多大の経費を要したことを聞き、
③窮乏を感ずることがあった場合には、
④必ず補助をするであらう
⑤殿下の好意によって早く実行さるることを期待する
⑥信長はこの返答を大いに喜んで我等を援助することを約束し、
「イエズス会日本年報」
【重史254】 ✓ 天正09 1581007**
①第三の好意は我等に夜の祭を観せたことで、
②この祭は・・・パードレのために行ったものである。
③パードレが暇乞のために行った際、
④望みがあればこれを観せよう
⑤信長は城の塔に各種の色の提灯を飾らせた
⑥街路の両側に・・・松明を持った多数の人を整列させ、
⑦昼の如く大いに明るくなった。
⑧信長は・・・楽しんだか、何と思ったかと尋ね、
⑨(信長は)大なる親愛と歓喜を示して
⑩(信長は)パードレに出発の許可を与へた。
「イエズス会日本年報」
【重史255】 公 天正09 158100715
①安土御殿主(天主)、 幷(ならび)に惣見寺に、
②挑灯(ちょうちん)、余多(あまた)つらせられ、
③手々(てんで)に、続松(たいまつ)とぼし申され、
④山下かゞやき、水に移(映)りて、
⑤面白き有様、見物群集に候なり。
『信長公記』
【重史256】
①これら東洋に於ける征服事業により、
②主への奉仕及び多数の人々の改宗に役立つところ大である
③征服事業は、霊的な面ばかりでなく、
④陛下の王国の世俗的な進展にとって益する。
⑤征服事業の内、最大のものの一つは・・・シナを征服すること
⑥閣下と相談することが出来れば大変嬉しく思う。
⑦イエズス会が主や陛下に対して忠誠を尽くすべきところから、
「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
【重史257】
①私は日本に三年近く滞在して、今年当地に戻って来た
②日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の一つである
③国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うから
④日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。
⑤日本は、・・・最も国土が不毛且つ貧しい
⑥国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練をつんでいる
⑦(日本は)征服が可能な国土ではない
⑧シナに於いて・・・日本は・・・非常に益することになる
⑨日本の地を極めて重視する必要がある。
「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
【重史258】
①その宮殿に隣接し、城を離れた城を離れたる山に上に
②全日本の領主信長はこの寺院を建立し、総見寺と名附けた。
③尊崇する者の受くべき功徳と利益はつぎの如し。
④第一に、富者ここに来りて崇敬すれば、
⑤第二に、生命は延びて八十歳に至り、
⑥今は盲目の極に達し、
⑦これによって己を崇拝させんためであった。
⑧信長は己自らが神体であり、生きたる神仏である。
⑨或人がボンサンと称する石を携え来た時、
「イエズス会日本年報」
【重史259】
①当一五八二年の三月八日(天正十年二月十四日)夜の十時に、
②天は東の方が甚だ明るく、
③(信長が)甲斐国の王に対する戦争に出たことは、
④戦争は好結果を収め、
⑤王とその子を殺し、甚だ大なる国四ヵ国を占領した。
⑥絶えず懸念した敵に打ち克ったのであるが故、
⑦この勝利によって一層傲慢となった。
「イエズス会日本年報」
【重史260】 W【重史008】
①毛利を平定し、
②日本六十六ヵ国の絶対君主になった暁には、
③一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、
④諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。
『日本史』
【重要史料14】 261~280
【重史261】 公 天正10 158200313
①三月十三日、信長公、岩村より禰羽根まで御陣を移さる。
②信長公御返書の趣、
③武田四郎勝頼・武田太郎信勝・武田・・・悉く、討ち果たし、
④駿・甲・信、滞りなく一篇に仰せつけられ候間、
『信長公記』
【重史262】 公 元亀03 157211222
①是れは遠州表の事。
②武田信玄、遠州二股の城取り巻くの由、注進これあり。
③信長公御家老の衆、佐久間右衛門・平手甚左衛門・水野下野守
④大将として、御人数、遠州浜松に至り参陣のところに、
⑤家康も浜松の城より御人数を出だされ、
⑥身方ヶ原にて足軽ども取り合ひ、
⑦家康公・・・身方ヶ原のきし道の一騎打ちを退かせられ候
⑧(家康)浜松の城堅固に御拘(かか)へなさる。
⑨信玄は、勝利を得、人数打ち入れ候なり。
『信長公記』
【重史263】 公 天正10 158200314
①十四日、平谷(同平谷村)を打ち越え、なみあひに御陣取り。
②爰にて、武田四郎父子の頸・・・、御目に懸けられ候。
③十五日、四郎父子の頸、飯田に懸け置かれ上下見物仕り候。
『信長公記』
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