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本能寺の変1582 【重史全通】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史全通】

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮
 
 1戦国時代=相互不信の時代
  2美濃
  3尾張
2 光秀の実像
 
 1信長という男
  2光秀という男
  3光秀と光慶  1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
  4先祖の教訓
  5大量殺戮
  6信長の弱点
3 光秀の苦悩
 
 1粛清の怖れ
  2志向の相違
  3光秀の老い
  4四国問題
  5自立への道
4 武田の滅亡
 
 1甲斐遠征
  2勝頼の首
  3武田効果
5 信長の油断 大要 概略
  
「事態急変」
  1 勝利の余韻 概略  4月21日
              4月24日
  2 四国出陣  概略  5月7日 1/3 2/3 3/3
              5月11日
  3 足蹴事件 概略 5月12日  1/5  2/5  3/5  4/5
                     5/5
            5月15日
            密室にて   1/3  2/3  3/3
                         ④ 概
                     ⑤ 概
  4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
              5月17日
            坂本にて        
                     4  ② ③ 5 6 
              5月19日 大 概
              5月20日 大 概
              5月21日 大 概
  5 時は今、・・・・・。
              5月26日 大 概
              5月27日 大 概
              5月28日 大 概
              5月29日 大 概
さる程に、不慮の題目出来候て、

【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】 【重史一覧全通】
【注目ポイント】 目次
【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 250716 260811 

【重要史料1】 001~020

【重史001】
  ①殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、
  ②ほとんどすべての者から快く思われていなかった
  ③寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
  ④裏切りや密会を好み、
  ⑤刑を科するに残酷で、
  ⑥独裁的でもあったが、
  ⑦謀略を得意とし、
  ⑧忍耐力に富み、
  ⑨計略と策謀の達人であった。
  ⑩築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、
  ⑪選(え)り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
  ⑫絶えず信長に贈与することを怠らず、
  ⑬彼(信長)を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
  ⑭彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないよう
   心掛け、
  ⑮必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどで
   あった。
  ⑯人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習した
  ⑰信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
  ⑱信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、
  ⑲比叡山の大学(延暦寺)の全収入・・・とともに彼に与えるに至った。
                             『日本史』

【重史002】 ◎第53話              天正07 157900610
  
①美濃国住人、土岐の随分衆なり、
  ②名誉の大将なり、弓取りはせんじてのむへき事に候、
                      「立入左京亮入道隆佐記」

【重史003】 ◎第54話              永禄12 156900416
  
①禁裏御料所、山国庄の事、
  ②数年、宇津右近大夫(頼重)、押領仕り候を、
                          「立入宗継文書」

【重史004】 ◎第54話              元亀03 157201211
  
①濃州より、親類の方、申し上すなり、
  ②山王の敷地に、新城(坂本城)を普請せしむなり、
                            「兼見卿記」

【重史005】                 ✓ 天正10 158200527
  
①時は今、あめか下なる五月かな、 光秀
  ②国々は、猶、長閑なる時、    光慶
                           「続群書類従」

【重史006】 ◎第8話
  (四月)十八日、妻木惟向州妹、参宮、      天正07 157900418  
  (九月)廿五日、惟任姉(妹)妻木、在京の間、罷り  天正07 157900925
                            「兼見卿記」

【重史007】 ◎第8話              天正09 158100821
  ①(八月)廿一日、今暁、惟任(奈良から)帰られおわんぬ、
  ②惟任(光秀)の妹の御ツマキ、死におわんぬ、
  ③信長、一段のキヨシなり、
  ④向州(光秀)、比類なく、力を落とすなり、
                           「多聞院日記」

【重史008】 ◎第8話 ◎小8              W【重史260】
  
①一大艦隊を編成してシナを征服し、    「イエズス会日本年報」
  ②一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、      『日本史』

【重史009】
  狡兎死して、走狗煮らる、         「史記」越王勾践世家

【重史010】                 ✓ 天正08 1580108**
  ①佐久間殿は、信長の総司令官であり、
  ②もっとも高位で、富み、かつ強力な殿であった。
  ③彼は・・・戦いにおいてあまり活躍せぬばかりか、
  ④むしろいくぶん怠慢でもあったので、
  ⑤彼が身分の高いこと・・・有力であることを考慮せず、
  ⑥いつかは必要とする人物であることを考えることなく、
  ⑦信長は・・・彼をその息子(正勝)とともに追放してしまい、
                             『日本史』

【重史011】 ◎第58話①
  万人恐怖、言う莫れ、言う莫れ、           「看聞日記」

【重史012】                ✓ 天正10 158200507
  ①今度、四国に至って差し下すに就きての条々、
  ②讃岐国の儀、一円、其方に申し付くべき事、
  ③阿波国の儀、一円、三好山城守 (康長) に申し付くべき事、
  ④其外両国の儀、信長、淡州に至って出馬の刻、
  ⑤万端、山城守に対し、君臣父母の思いをなし、
  ⑥天正十年五月七日  ( 朱 印 ) 三七郎殿 
                       「寺尾菊子氏所蔵文書」

【重史013】 ◎第7話  ◎小7
  惟日、以ての外の所労に依り皈(帰)陣、在京なり、   「兼見卿記」

【重史014】                ✓ 天正10 158200613
  ①安土を去った明智の武将は坂本に立て籠ったが、
  ②そこには明智の婦女子や家族、親族がいた。
  ③同所へ羽柴の軍勢が到着したが、
  ④すべての婦女子を殺害した後・・・自分らは切腹した。
  ⑤その時、明智の二子が死んだが、
  ⑥(光秀の)長男は十三歳であった。
                             『日本史』

【重史015】 ◎第51話  ◎小51~小52①②
  この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。 『日本史』

【重史016】 ◎第1話  ◎小
  さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、     『信長公記』

【重史017】 ◎第1話  ◎小
  漸(ようや)く、夜も明け方に罷りなり侯。       『信長公記』

【重史018】 ◎第115話            ✓ 天正10 158200317
  ①穴山、忠節を抽んずべきの条、朱印をなし、
  ②去る十一日四郎父子を討ち捕り、首到来候、
  ③典厩(信豊)の事、是も首到来、
  ④四郎の弟仁科五郎、是も首到来候、
  ⑤甲州の歴々の者ども、大略、首を刎ね候、
  ⑥尾濃の浪人、土岐美濃守(頼芸)を始め、岩倉・犬山等、
  ⑦卅日・四十日際(きわ)に、一偏に属するの事、
   我ながら驚き入る計りに候、
                            「武家事紀」

【重史019】 ◎第116話            ✓ 天正10 158200317
  ⑧相州氏政、駿河へ在陣にて、一廉(ひとかど)馳走候、
  ⑨甲斐・信濃の事、城介を残し置き申し付くべき候、
  ⑩路次険難、老足叶うべからざる儀に候間、
  ⑪京都・五畿内、並に、羽柴藤吉郎方迄、残らず相触るべく候、
                            「武家事紀」

【重史020】 ◎第74話   ◎小74
  中国備中へ、羽柴筑前守相働き、           『信長公記』

【重要史料2】 021~040

【重史021】 ◎第74話   ◎小74
  ①今度、間近く寄り合ひ侯事、天の与ふるところに侯間、
  ②中国の歴々討ち果たし、
  ③九州まで一篇に仰せつけらるべきの旨、
  ④ (惟任日向守) 先陣として、出勢すべきの旨、
                            『信長公記』

【重史022】                 公 天正10 158200323
  ①三月廿三日、滝川左近召し寄せられ、
  ②上野国、幷(なら)びに、信州の内二郡下され候。
  ③年罷り寄り、遠国へ遣はされ候事、
  ④関東八州の御警固を申しつけ、
  ⑤老後の覚えに上野に在国仕り、
  ⑥東国の儀、御取次、彼れ是れ申しつくべきの旨、
  ⑦都鄙の面目、此の節なり。
                            『信長公記』

【重史023】 ◎第77話   ◎小77
  ①時に、明知、齢(よわい)、六十七、
  ②齢(よわい)、六十七、 
                             「当代記」

【重史024】 ◎第79話 ◎小79   第79話
  ①祖父新左衛門慰は、京都妙覚寺法花坊主落ちにて、西村と申し、
  ②また、父左近大夫(道三)、代々惣領(長井氏)成るを討ち殺し、
                            「春日文書」

【重史025】 第200話
  ①惟任方、もと明智十兵衛尉といひて、
  ②濃州土岐一家牢人たりしか、
  ③越前朝倉義景を頼み申され、
  ④長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故、
  ⑤念珠(ねんごろ)にて、六寮、旧情、甚に付て、
                  「遊行上人三十一祖京畿御修行記」

【重史026】 第201話
  筒井へ、惟任日向守より申し来たる
                           「多聞院日記」

【重史027】
  ①情無く、主の頸を切り、
  ②毒飼を仕り、殺し奉り、
  ③大桑を追ひ出し侯。
  ④むかしは、おさだ、いまは、山しろ、
                            『信長公記』

【重史028】 そ第78話⑫           ✓ 天正10 158200527
  ①家康は、明日、大坂・堺に罷り下られ候、
  ②中国表、近々、御馬出さるべきの由候条、
  ③我々、堺見物の儀、先ず、遠慮致し候、
  ④一両日中に、御上洛の旨候間、是に、相待ち申し候、
                           「小畠文書」

【重史029】 そ第78話⑦          公 天正10 158200517
  五月十七日、惟任日向守、安土より坂本に至りて帰城仕り、
                           『信長公記』

【重史030】 そ第78話⑩           公 天正10 158200526
  ①五月廿六日、惟任日向守、中国へ出陣のため、
  ②坂本を打ち立ち、丹波亀山の居城に至り参着。 
                            『信長公記』

【重史031】 そ第78話⑫ そ第78話⑬
  ①廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣。
  ②廿八日、西坊にて連歌興行。
  ③ときは今、あめが下知る五月哉
  ④五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。
                            『信長公記』

【重史032】                ✓ 天正10 158200528
  ①惟任(光秀)、・・・備中に下らずして、密かに謀反をた工む、
  ②年来の逆意、識察する所なり、
  ③ときは今、あめかしたしる五月かな、
  ④今、これを思惟すれば、則ち、誠に、謀反の先兆なり、
  ⑤天正十年六月朔日、夜半より、
                          「惟任退治記」

【重史033】                公 天正10 158200529
  ①五月廿九日、信長公、御上洛。
  ②御小姓衆二、三十人召し列れられ、御上洛。
  ③直ちに、中国へ御発向なさるべきの間、
  ④今度は、御伴これなし。
                            『信長公記』

【重史034】                 公 天正10 158200305
  三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
                            『信長公記』

【重史035】                公 天正10 158200421
  ①四月廿一日、濃州岐阜より安土へ御帰陣のところに、
  ②ろくの渡りにて、御座船飾り、
  ③捶井(垂井)に御屋形立ておき、
  ④今洲(今須)に御茶屋立てて、
  ⑤柏原に御茶屋拵らへ、
  ⑥佐和山に御茶屋立て、
  ⑦山崎に御茶屋立ておき、
  ⑧京都・堺・五畿内、隣国の各(おのおの)、はるばる罷り下り、
  ⑨御陣御見舞の面々、門前市をなす事に候。
  ⑩路次中、色々進物、員(かず)を知らず上覧に備へ、
  ⑪誠に、御威光有りがたき御代なり。
  ⑫四月廿一日、安土に御帰陣。
                           『信長公記』

【重史036】                ✓ 天正10 158200424
  ①中国進発の事、来秋たるべきの処、
  ②小早川、備前児嶋より敗北せしめ、備中高山に楯籠るの間、
  ③羽柴藤吉郎、出陣せしめ取巻くの由、注進候、
  ④重ねて、一左右次第、出勢すべく候、
  ⑤猶、惟任日向守、申すべく候也、
                           「細川家文書」

【重史037】
  ①駿河・遠江両国、家康公へ進らせらる。
  ②其の御礼として、徳川家康公、幷びに、穴山梅雪、今度、上国侯。
                            『信長公記』

【重史038】
  ①五月十四日、
   江州の内、ばんばまで、家康公・穴山梅雪、御出でなり。
  ②同日に、
   三位中将信忠卿、御上洛なされ、ばんば、御立ち寄り、
                            『信長公記』

【重史039】 そ第78話⑤
  ①五月十五日、
   家康公、ばんばを御立ちなされ、安土に至りて御参着。
  ②御振舞の事、惟任日向守に仰せつけられ、
  ③十五日より十七日まで、三日の御事なり。
                            『信長公記』

【重史040】                 ✓ 天正10 1582005**
  ①三河の国主(徳川家康)と、甲斐国の主将たちのために
   饗宴を催すことを決め、
  ②その盛大な招宴の接待役を彼(光秀)に下命した。
  ③これらの催し事の準備について、
  ④信長は、ある密室において、明智と語っていた
  ⑤元来、逆上しやすく、
  ⑥反対意見を言われることに堪えられない性質であったので、
  ⑦彼の好みに合わぬ要件で、明智が言葉を返すと、
  ⑧信長は、立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にした
                             『日本史』

【重要史料3】 041~060

【重史041】 そ第78話⑥
  ①明智は、何らかの根拠フンダメントを作ろうと欲した
  ②過度の利欲と野心が募りに募り、
  ③それが天下の主になることを、彼に望ませるまでになった
  ④企てた陰謀を果たす適当な時期を、ひたすら窺っていた
                             『日本史』

【重史042】 そ第78話⑧           ✓ 天正10 158200521
  ①尚々、頼辰へ、残らず申し達し候上は、
  ②今度、御請け、兎角、今に到り、延引候段、
  ③▢御朱印に応じ、此の如き次第を以って、
  ④不慮、成し下し候はん事、了簡に及ばず候、
  ⑤海部・大西*両城の儀は、相、抱え候はて叶わず候、
  ⑥是れは、阿・讃競望のためには、一向にあらず候、
  ⑦東州、平均に属し奉り、御馬を納められ、
  ⑧何事も何事も、頼辰、仰せ談じらるべく候、
                           「石谷家文書」

【重史043】 ◎第2話
  ①既に、信長公、御座所、本能寺取り巻き
  ②是れは謀叛か、如何なる者の企てぞ
  ③是非に及ばず                            
                            『信長公記』

【重史044】
  
書中、具(つぶさ)に候へば、見る心地に候       「細川家文書」

【重史045】 そ第78話⑯
  惟任、右の趣、一々、注進申し上げられ、       『信長公記』

【重史046】                 公 天正10 158200201
  
①二月朔日、信州、木曾義政御身方の色を立てられ侯
  ②二月二日、武田四郎父子・典厩(武田信豊)、木曽謀叛の由承り、
  ③二月三日、信長公、諸口に出勢すべきの旨、仰せ出だされ、
  ④二月三日、三位中将信忠・森勝蔵・団平八、先陣として、
                            『信長公記』

【重史047】                 公 天正10 158200209
  ①二月九日、信長公、信濃国に至りて御動座なさるべきについて、
  ②三好山城守、四国へ出陣すべきの事。
  ③惟任日向守、出陣の用意すべき事。
                            『信長公記』

【重史048】
  
①三月朔日、三位中将信忠卿、飯島より御人数を出だされ、
  ②高遠の城は、三方さがしき山城にて、
                            『信長公記』

【重史049】
  
①三月二日、払暁に、御人数寄せられ、中将信忠卿は、尾続を搦め手の
   口へ取りよせられ、
  ②中将信忠御自身、御道具を持たせられ、先を争つて塀際へつけられ、
                            『信長公記』

【重史050】 ◎第6話
  ①仁科五郎が頸、信長公へもたせ、御進上候。
  ②東国・西国の誉を取られ、信長の御代を御相続、
  ③代々の御名誉、後胤の亀鏡に備へらるべきものなり。
                            『信長公記』

【重史051】 第42話 第43話
  足軽衆・・・・・・・・・・・、柳澤。珍蔵主。森坊。明智。
                    「永禄六年諸役人附」後半部分

【重史052】 そ第156話②
  ①彼の生まれた五月の日に
  ②己の神体を拝むことを命じた。
  ③信長がかくの如く驕慢となり、
  ④祭りを行った後十九日を経て、
  ⑤その体は塵となり灰となって地に帰し、
                       「イエズス会日本年報」

【重史053】 そ第157話①
  備後守、あん城より矢はぎへ懸け出で、あづき坂にて、
                            『信長公記』

【重史054】 そ第157話②
  ①内裏の四面の築地の蓋(かさ)を、
  ②尾張の、をた(織田)の弾正、と云ふ物(者)、
  ③修理して進上申すべきの由、
  ④料足四千貫計り、計上
                           「多聞院日記」

【重史055】 そ第157話②
  ①我が西村の小浦に一大船有り、
  ②何れの国より来たれるかを知らず、
  ③長さ、二、三尺、
  ④その体為るや、中は通り、外は直くして
  ⑤其の傍(かたわ)らに、一穴あり、
  ⑥妙薬(火薬)を其の中に入れ、
  ⑦其の一穴より火を放てば、
                             『鉄炮記』

【重史056】 そ第158話①
  美濃国へ乱入し、五千討死の事
                            『信長公記』

【重史057】 そ第158話③
  ①吉法師殿、十三の御歳、
  ②古渡の御城にて、御元服。
                            『信長公記』

【重史058】 そ第158話④
  織田三郎信長、御武者始めとして、
                            『信長公記』

【重史059】 そ第158話⑤
  ①山城道三、大合戦に打ち勝つて申し様に、
  ②大柿の城、近々と取り寄せ候ひき。
                            『信長公記』

【重史060】 そ第158話⑥
  ①織田備後守殿、後巻として、
  ②美濃国へ御乱入、
                            『信長公記』

【重要史料4】 061~080

【重史061】 そ第158話⑦
  ①織田三郎信長を、斎藤山城道三の聟に、取り結び、
  ②道三が息女を、尾州へ、呼び取り侯ひき。
                            『信長公記』

【重史062】 そ第158話⑧
  ①信長、十六、七、八までは、別の御遊びは御座なし。
  ②大うつ気とより外に申さず候。
                            『信長公記』

【重史063】 そ第158話⑨
  ①制札 熱田八ヶ村中
  ②藤原信長(花押)
                       「織田信長文書の研究」

【重史064】 そ第158話⑨
  ①奉寄進、御鰐口
  ②信心大施主、平信長
                       「織田信長文書の研究」

【重史065】 そ第158話⑨
  平手中務は、借染にも、物毎に、花奢なる仁にて候ひし。
                            『信長公記』

【重史066】 そ第158話⑩
  きう介与力一人、鉄━(鉄炮)に当たり死すと云々、
                            「言継卿記」

【重史067】 そ第201話①
  ゆきよう(遊行)上人、御れいまいる、
                        「お湯殿の上の日記」

【重史068】 そ第201話②
  年頭の御礼、旧冬より御触れにて、御免、御出仕これなし。
                            『信長公記』

【重史069】 そ第201話②
  正月九日朝 惟任日向守殿会
                          「天王寺屋会記」

【重史070】 そ第201②話
  正月十四日、巳の刻 安土において、
                          「天王寺屋会記」

【重史071】 そ第201③話
  十六日、一、筒井、幷(ならび)に、当国衆、安土へ、年頭の礼に、
                           「多聞院日記」

【重史072】 そ第201話③
  惟任日向守へ礼のため、坂本に下向、
                            「兼見卿記」

【重史073】 そ第201話③
  廿五日、丙寅、未明、安土に下向、発足しおわんぬ、
                            「兼見卿記」

【重史074】 そ第201話④
  ゆきやう(遊行)上人、れいほう(礼訪)、
                        「お湯殿の上の日記」

【重史075】 そ第201話⑤
  十三日、一返(遍)上人、来るとて、極楽坊馳走と云々、
  十四日、遊行上人、昨日、極楽坊へ来たる、
                           「多聞院日記」

【重史076】 そ第201話⑤
  二月廿一日、信長公御上洛、妙覚寺に御成り。
  二月廿六日、本能寺へ御座を居(す)ゑらるべきの旨にて、
                            『信長公記』

【重史077】 そ第152話③
  ①明智が悪魔及び偶像の友であり、
  ②デウスの教えを嫌ってゐた
                       「イエズス会日本年報」

【重史078】 そ第19話
  ①先の公方光源院義照御生害、
  ②其の濫觴(らんしょう=始まり)は、
                            『信長公記』

【重史079】 そ第20話
  二男御舎弟南都一乗院義昭、
  ②或る時、南都を潜(ひそか)に出御ありて、
  ③和田伊賀守を御憑(たの)みなされ、
                            『信長公記』

【重史080】 そ第20話①
  ①廿八日夜、一乗院覚慶 僧都廿十九才、寺を御離れおわんぬ、
  ②甲賀の和多(田)ヵ城へ入られおわんぬ、
                           「多聞院日記」

【重要史料5】 081~100

【重史081】 そ第20話②
  ①今度、京都様躰、是非なき次第に候、
  ②上杉弾正少弼殿
                           「上杉家文書」

【重史082】 そ第20話②
   ①公儀御家督、相定まり候間、先ず以って珍重に存じ候、
  ②其れに就きて、当国の人数も出勢あるべき由に候、
                           「上杉家文書」

【重史083】 そ第21話
  ①御入洛の儀に就いて、重ねて、御内書を成し下され候、
  ②上意次第、不日なりとも御供奉の儀、無二その覚悟に候、
                      「東京大学史料編纂所蔵」

【重史084】 そ第22話
  信長参洛の事、別儀なきの由、喜び入り候、
                           「和田家文書」

【重史085】 そ第22話
  ①早々、先々、尾州へ下国の事肝要に候、
  ②急度、織田参洛候様、馳走、此の節に候、
  ③如何様にも、出勢の事、急ぎ申し度く候、
                           「和田家文書」

【重史086】 そ第23話
  ①来月二十二日、織田尾張守参陣致し、御動座御供申すべき由
  ②大覚寺殿、一圓(円)、虚説なり、
                           「多聞院日記」

【重史087】 そ第24話
  ①去る夜、江州矢島、引手(出勢)これあり、
  ②三好方、坂本まで三千計り罷り向ふと云々、
                            「言継卿記」

【重史088】 そ第24話
  公方様御入洛につきて、織田上総、参陣御請け申すの条、
                        「中島文書」①②/④

【重史089】 そ第25話①
  この期に至り、織上(織田上総介)違変せしめ候、
                        「中島文書」③-1/④

【重史090】 そ第25話②
  織上、天下の嘲弄、過ぐべからず候、
                        「中島文書」③-2/④

【重史091】 そ第26話①
  織上、当国境目へ出張候、・・・河野島へ執り入り候、
                        「中島文書」④-1/④

【重史092】 そ第26話②
  ①江州矢島の武家、左馬頭義秋、
  ②一昨夜、四・五人にて、若州へ御座を移さるゝと云々、
                            「言継卿記」

【重史093】 そ第26話②
  ①上意様は、矢島を御退座、若州に御動座しおわんぬ。
  ②若狭も、武田殿父子、取り合いに及び、乱逆と云々、
                           「多聞院日記」

【重史094】 そ第27話①
  ①出張の翌日より、風雨濃水に付きて、
  ②去八日未明に、織上、敗軍仕り候、
                        「中島文書」④-2/④

【重史095】 そ第27話②
 ①去る八日、越州敦賀に至り退座候、
 ②義景(朝倉)馳走に候、
                            「歴代古案」

【重史096】 そ第28話
  ①稲葉伊予守・氏家卜全・安東伊賀守、申し合せ侯て、
  ②信長公へ御身方に参ずべく侯間、
                            『信長公記』

【重史097】 そ第28話
  ①舟にて川内長島へ、龍興、退散。
  ②美濃国一篇に仰せ付けられ、
  ③尾張国小真木山より、濃州稲葉山へ御越しなり。
  ④井口と申すを、今度改めて、岐阜と名付けさせられ、
                            『信長公記』

【重史098】 そ第29話①
  ①永禄十 十一月日 信長(朱印)
  ②坂井文助殿
                            「坂井遺芳」

【重史099】 そ第29話①
  ①今度、国々本意に属するの由、
  ②尤も武勇の長上、天道の感応、古今無双の名将、
  ③綸命此の如し、これを悉(つく)せ、以って状す、
                         「信長文書の研究」

【重史100】 そ第29話②
  ①敦賀を御出で有り、
  ②一乗安養寺に着御なり、
                           「朝倉始末記」

【重要史料6】 101~120

【重史101】
  ①信長の宮廷に
   惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。
  ②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
  ③信長の治世の初期には、
   公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
  ④その才略、深慮、狡猾さにより、
  ⑤信長の寵愛を受けることとなり、
  ⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた
                             『日本史』

【重史102】 そ第30話①
  細川ノ兵部太夫が中間にてありしを、
                           「多聞院日記」

【重史103】 ◎第30話
  ①入洛の儀につきて、
  ②信長、厳重に言上、
  ③先ず、濃州に至り御座を移さるべきの由申すの間、
                           「上杉家文書」

【重史104】
  
①此比、諸国知行之高帳之事、
  ②五十四万石 十八郡 美濃国
  ③五十七万石 八郡  尾張国
  ④五十六万石 十三郡 伊勢国
                             「当代記」

【重史105】 そ第11話㉔
  ①三好三人衆、・・・公方様、六条に御座侯を取詰め、
  ②六条に楯籠る御人数、細川典厩・・・、明智十兵衛
                            『信長公記』

【重史106】 そ第11話㉔
  三好日向守・同下野・・・今日、悉く本國寺を取り詰め
                            「言継卿記」

【重史107】 そ第11話㉔
  ①是れは、後巻かつら川表の事。
  ②細川兵部大輔・三好左京大夫・池田筑後・・・懸け向かひ、
                            『信長公記』

【重史108】 そ第11話㉔
  ①内待所簀子(すのこ=縁側)にて遠見、
  ②三人衆以下、申の刻、敗軍、
                            「言継卿記」

【重史109】 そ第11話㉕
  ①其の節、以て外の大雪なり。
  ②信長、馬上十騎・・・御伴なく、六条へ懸け入り給ふ。
                            『信長公記』

【重史110】 そ第11話㉕
  ①池田せいひん、今度の手柄の様体聞こしめし及ばれ、
  ②御褒美、是非に及ばず。
                            『信長公記』

【重史111】 そ第11話㉕
  ①一月十日・・・、濃州より、織田弾正忠上洛、
  ②十二日・・・、八万人ばかりと云々、
                            「言継卿記」

【重史112】 そ第11話㉞
  度々、申し遣わすと雖も、明智、返事無しの由
                            「言継卿記」

【重史113】 そ第11話㉞
  阿弥陀寺敷地指図、幷(ならび)に、方々、寄進分、
                          「阿弥陀寺文書」

【重史114】 そ第11話㉟
  ①明智市尉、来たる、
  ②愛洲薬、又、所望の間、
                            「言継卿記」

【重史115】 そ第11話㉟
  勢州に於て、千石知行、
                            「言継卿記」

【重史116】 そ第11話㉟
  ①九月五日、せんくわうの御十三年にて候、
  ②とく川、ちそう(馳走)いたし候やうに、
                            「言継卿記」

【重史117】 そ第11話㊱
  明智市慰に、近所にて行き合うの間、
                            「言継卿記」

【重史118】 そ第11話㊱
  ①極暑の時分、老足、奇特なり、
  ②山上は、老足、大儀たるべくの間、
                            「言継卿記」

【重史119】 そ第11話㊲
  ①只今、下山の間、麓に相待つべし、
  ②然れば、老足と云ひ、極暑と云ひ、
  ③三川の調わざる時は、信長、一、二萬疋は、進上すべきの由、
  ④日乗上人・明智十兵衛方へ、申上の間、
                            「言継卿記」

【重史120】 そ第11話㉛
  城州、賀茂庄の内、先々より、落し来り候田畠、
                       「織田信長文書の研究」

【重要史料7】 121~140

【重史121】 そ第11話㊳             永禄13 157000126
  ①奉公衆方へ、年頭の礼に罷り向かう、
  ②明智十兵衛、濃州へ下向と云々、
                            「言継卿記」

【重史122】 第143話              永禄06 1563005**
  光源院殿御代、当参衆、並びに、足軽衆以下覚え、
                    「永禄六年諸役人附」前半部分

【重史123】 第35話             永禄11 156800914~26
  ①十四日に、濃州西庄、立正寺へさしつかはされ、
  ②廿六(誤)日、御渡海なされ、三井寺極楽院に御陣を懸けられ、
  ③廿八(誤)日、信長東福寺(東寺の誤り)へ御陣を移され、
  ④公方様、同日に清水へ御動座。
                            『信長公記』

【重史124】 第35話               永禄11 156800926
  ①今日、武家(義昭)、清水寺まで御座を移さると云々、
  ②織田弾正忠信長、東寺まで進発と云々、
                            「言継卿記」

【重史125】 そ第11話㊴             永禄12 156900713
  ①奉公衆、石谷兵部少輔、牢人、
  ②小笠原又六、下向、四里北に居らるゝのところへ、
  ③杉原与七郎、近所に於いて、生害なり、
                            「言継卿記」

【重史126】 そ第11話②             天正 8 158000802
  ①抑も、大坂は、凡そ、日本一の境地なり。
  ②五畿七道こゝに集まり、売買利潤、富貴の湊なり。
  ③家門長久の処に、思はず、天魔の所為来りて、
  ④爰に大坂立ち初めて以来、四十九年の春秋を送る事、
                            『信長公記』

【重史127】 そ第11話㊶             永禄12 156900826
  あさかの城、木下藤吉郎、先懸いたし、攻められ候て、
                            『信長公記』

【重史128】 そ第11話㊷             永禄12 156900828
  ①是れより、わきわき(脇々)の小城へは、御手遣もなく、
  ②国司父子、楯籠られ候大河内の城と(取)り詰め、
  ③其上、四方、しゝ垣二重三重結はせられ、諸口の通路をとめ、
                            『信長公記』

【重史129】 そ第11話㊸             永禄12 156901004
  ①俄かに、走入り侯の者、既に、端々、餓死に及ぶに付いて、
  ②信長公の御二男、お茶箋へ家督を譲り申さるゝ御堅約にて、
  ③国司父子は、笠木・坂ないと申す所へ退城候ひしなり。
                            『信長公記』

【重史130】 そ第11話㊹             永禄12 156901004
  ①国中城々破却の御奉行、万方へ仰せ付けらる。
  ②当国の諸関、御免除の上、向後、関銭召し置くべからず
                            『信長公記』

【重史131】 そ第11話㊹             永禄12 156901006
  ①六日に、内宮・外宮・浅間山に御参詣なされ、
  ②御茶箋公、大河内城主として、津田掃部を相添へ置かれ
                            『信長公記』

【重史132】 そ第11話㊺             永禄12 156901011
  ①勢州表、一国平均に仰せ付けられたる様躰、
  ②公方様へ仰せ上げられ、
                            『信長公記』

【重史133】 そ第11話㊺             永禄12 156901013
  ①のふなかのほりて
  ②御しゆりみまいまいらせ候とてまいり
  ③なかはしにて、てんはいの御さか月たふ。
                         「御湯殿上の日記」

【重史134】 そ第11話㊺             永禄12 156901016
  上意(義昭)とせりあいて、下りおわんぬと、
                           「多聞院日記」

【重史135】 第31話               永禄11 156800725
  ①此の上は、織田上総介信長を偏に憑み入られたきの趣、
  ②濃州西庄立正寺に至りて、公方様御成り。
  ③末席に鳥日千貫積ませられ、
                            『信長公記』

【重史136】 第34話               永禄11 156800907
  ①九月七日に公方様へ御暇を申され、
  ②尾・濃・勢・三、四ヶ国の軍兵を引卒し
  ③わきわき、数ヶ所の御敵城へは、御手遣いもなく、箕作山へ、
  ④十三日に、観音寺山乗つ取り、御上り候。
                            『信長公記』

【重史137】 そ第11話㉖             永禄12 156900227
  ①二月廿七日、辰の一点、御鍬初めこれあり。
  ②細川殿御屋敷に藤戸石とて往古よりの大石候。
  ③笛、大鼓、つゞみを以て囃し立て、
  ④信長、御下知なされ、即時に、庭上へ御引付け候。
                            『信長公記』

【重史138】 そ第11話㉖             永禄12 156900127
  ①一月二十七日、
  ②光源院御古城また御再興、
  ③織田弾正忠信長、奉行せしめ御普請これあり、
                            「言継卿記」

【重史139】 そ第11話㉖             永禄12 156900303
  ①細川右馬頭庭の藤戸石、
  ②織弾(信長)、三・四千人にてこれを引き、
  ③笛鼓にて、これを囃し、
                            「言継卿記」

【重史140】                   永禄12 156900313
  ①司祭が都に到着して三日を経、
  ②和田殿は、司祭が信長の許へ伺候する準備整えた。
  ③信長は、邸の奥に入っていて、音楽を聞いていた。
  ④信長は、贈物を見た後、ビロードの帽子だけを受理した。
  ⑤幾千里もの遠国から、はるばる日本に来た異国人たちを、
                             『日本史』

【重要史料8】 141~160

【重史141】                   永禄12 1569003**
  ①信長は、建築作業に従事しており、
  ②濠橋の上で待った。
  ③彼は、約二時間、ゆったりした気分で、彼と語らった。
  ④どれくらいの道のりがあるのか
  ⑤かくも遠隔の国から日本に渡ってきたのか
  ⑥信長は、仏僧の方を指さし、憤激して言った。
  ⑦予は、幾度も、彼らを殺害し、殲滅しようと思っていたが、
                             『日本史』

【重史142】 そ第11話㉙             永禄12 156900414
  ①通常二万五千人が働き、少ない時でも、一万五千人を数えた
  ②彼は多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場に引かしめた。
  ③信長は、ほとんどつねに、座るために虎皮を腰に巻き、
  ④一兵士が、戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、
  ⑤信長は、一同の面前で、手ずから彼の首を刎ねた。
  ⑥少なくとも、二、三年はかかると思われたものを、
  ⑦彼は、ほとんどすべてを七十日間で完成した。
                             『日本史』

【重史143】 そ第11話㉙             永禄12 156900414
  四月十四日、武家、勘解由小路室町え御座を移さると云々、
                            「言継卿記」

【重史144】 そ第11話㉙             永禄12 156900421
  ①御前へ、信長、召し出だされ、
  ②忝くも、三献の上、公儀御酌にて御盃、
                            『信長公記』

【重史145】 そ第11話㉙             永禄12 156900421
  ①御盃頂戴、御太刀・御馬進上、
  ②各(おのおの)、涙ども落すなり、
  ③御門外までこれを送られ、東の磊上に御成り、
  ④粟田口へ入るまで御遠見なり、
                            「言継卿記」

【重史146】 そ第11話㉚             永禄12 156900421
  ①彼は、中くらいの背丈で、華奢な体軀であり、
  ②髯は少なく、はなはだ声は快調で、
  ③名誉心に富み、正義において厳格であった。
  ④自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。
  ⑤酒を飲まず、食を節し、
  ⑥人々は彼に絶対君主に対するように服従した。
  ⑦彼は、戦運が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。
  ⑧迷信的慣習の軽蔑者であった。
  ⑨霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。
  ⑩何ぴとも武器を携えて彼の前に罷り出ることを許さなかった。
                             『日本史』

【重史147】 そ第11話㉑             永禄10 1567004**
  ①織田上総介平信長、伊勢の国を取んとし給ふ、
  ②滝川左近大夫将監一益を大将として、勢州北方へ向かる、
  ③信長、始めて、桑名表へ発向し給ふに、
  ④神戸長(おとな)、山路弾正正忠が城、高岡を取り巻き給ふ時、
  ⑤信長、勢を打ち入れ、岐阜へ帰り給ふ、
                           「勢州兵乱記」

【重史148】 そ第11話㉒             永禄11 1568002**
  ①永禄十一年二月、信長、又、勢州へ発向、
  ②神戸へ、使者を以って、神戸蔵人大夫と無事に成る、
  ③信長の三男、三七殿、拾三歳の時、養子に遣わさる、
                           「勢州兵乱記」

【重史149】 そ第11話㉓             永禄11 1568002**
  ①北伊勢八郡、信長の御手に入り、
  ②工藤分は、上野殿与力に定まり、
  ③関分は、三七殿与力に定まる、
  ④北方諸侍分は、滝川家与力に定まる、
                           「勢州兵乱記」

【重史150】 そ第11㉕02             永禄12 156900114
  ①御袖判(義昭) 殿中御掟
  ②御部屋衆・定詰衆・同朋以下、
  ③公家衆・御供衆・申次は、
  ④惣番衆面々、
  ⑤公事篇の
  ⑥奉行衆の
  ⑦弾正忠判(信長)
                           「仁和寺文書」

【重史151】 そ第11㉕02             永禄12 156900116
  ①追加
  ②請取り沙汰、停止の事、
  ③直訴訟、停止の事、
  ④訴訟の輩在らば、奉行人を以って言上致すべき事、
  ⑤弾正忠判
                           「仁和寺文書」

【重史152】 そ第11⑩01           ✓ 天正08 158000612
  ①三好式部少輔の事、此方(こなた)に別心なく候、
  ②猶、三好山城守(康長)、申すべく候也、
                  「古証文」「織田信長文書の研究」

【重史153】 そ第11⑩01           ✓ 天正08 158000614
  ①爾来(じらい=以来)、申し承らず候、
  ②仍って、阿刕(あしゅう=阿州)表の儀に就きて、
  ③信長より、朱印を以って、申され候、
                  「古証文」「織田信長文書の研究」

【重史154】 そ第11⑩01           公 天正08 158000626
  ①土佐国補佐せしめ候長宗我部土佐守、
  ②惟任日向守、執奏にて、
  ③御鷹十六聯、幷(ならび)に砂糖三千斤、進上。
                            『信長公記』

【重史155】 そ第11⑩03             天正08 158000714
  ①右府信長、御上洛の由、申すの間、
  ②山科に至り罷り出で、数刻相待つ、
  ③御迎え、各、無用の由、仰せなり、
                            「兼見卿記」

【重史156】 そ第11⑩03             天正08 158000723
  ①聊(いささ)かも難渋せしむれば、成敗を加ふべき者なり、
  ②天正八年七月廿三日 光秀 加茂ノ庄惣中
                    「明智光秀史料で読む戦国史」

【重史157】 そ第11⑩03             天正08 1580007**
  ①定 宮田市場
  ②一、喧嘩・口論・押買・狼藉、停止の事、
  ③違犯の輩においては、速やかに巌科に処すべきもの也、
                            「亀岡市史」

【重史158】 そ第11話⑪             天正08 158000804
  ①飯川治部入道(秋共)、書状到来、
  ②今度、丹後国、長岡兵部(細川藤孝)大輔に仰せ付けらるゝ也、
  ③鎧(よろい)借用の事、
                            「兼見卿記」

【重史159】 そ第11話⑪             天正08 158000813
  ①其国(丹後)に至り、早々、参着候由、尤も以って然るべく候、
  ②様子に於ては、惟任かたより、具(つぶさ)に申し越し候、
                           「細川家文書」

【重史160】 そ第11話⑪             天正08 158000815
  十五日、壬子(みずのえね)、右府信長、大坂表へ御出陣、「兼見卿記」

【重要史料9】 161~180

【重史161】 そ第11話⑪         ✓✓ 公 天正08 158000815
  ①信長公、京より、宇治の橋を御覧じ、
  
②御舟にて、直ちに、大坂へ御成り。
                            『信長公記』

【重史162】 そ第11話⑪         ✓✓✓ 天正08 158000817
  ①禁制 丹後国江尻村
  ②一、当手軍勢甲乙人乱妨狼藉の事、
  ③天正八年八月十七日 日向守(花) 与一郎(花) 兵部大輔(花)
                           「成相寺文書」

【重史163】 ◎第11話 1~2/19      信✓公 天正08 1580008**
  ①爰(ここ)にて、佐久間右衛門かたへ、御折檻の条、
  ②御自筆にて、仰せ遣はさるゝ趣、
                            『信長公記』

【重史164】 ◎第11話 3~4/19      信光公 天正08 1580008**
  ①丹波国、日向守が働き、天下の面目をほどこし侯。
  ②次に、羽柴藤吉郎(秀吉)、数ヶ国比類なし。
  ③池田勝三郎、小身といひしも、
  ④柴田修理亮、右の働き聞及び、
                            『信長公記』

【重史165】 ◎第11話 5~6/19      信光公 天正08 1580008**
  ①五ヶ年、一度も申し越さざるの儀、油断・曲事の事。
  ②然るところ、(信長に)一旦の届けこれなく、
                            『信長公記』

【重史166】 ◎第12話 7~10/19      信✓公 天正08 1580008**
  ①信長家中にては、進退各別に候か。
  ②三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、
  ③少分の者ども候へども、七ケ国の与力。
                            『信長公記』

【重史167】 ◎第12話 11~12/19     信光公 天正08 1580008**
  ①先年、朝倉破軍の刻(きざみ)、
  ②時にあたつて、信長、面目を失ふ。
  ③甚九郎、覚悟の条々、
  ④書き並べ候へば、筆にも墨にも述べがたき事。
                            『信長公記』

【重史168】 ◎第13話 13~15/19     信光公 天正08 1580008**
  ①大まはしに、つもり候へば(大略を言えば)、
  ②父子とも、武篇道たらはず候によつて、かくの如き事。
  ③自分の侍相拘へず、領中を徒(あだ)になし(所領を無駄にして)、
  ④錦の中にしまはり(針)をたてたる上をさくる様なる
                            『信長公記』

【重史169】 ◎第4話             公 永禄03 15600519
  ①人間五十年、
  ②下天の内をくら(比)ぶれば、
  ③夢幻の如くなり、
  ④一度生を得て、滅せぬ者の有るべきか、
                            『信長公記』

【重史170】                  公 天正10 15600311
  ①三月十一日、武田四郎父子、簾中、一門、 
  ②こがつこ(駒飼)の山中へ引籠らるゝの由、
  ③三月十一日、巳の刻、各、相伴、討死なり。
  ④四郎父子の頸、滝川左近かたより、三位中将信忠卿へ、
  ⑤関可平次・桑原助六両人にもたせ、信長公へ御進上候。
                            『信長公記』

【重史171】                 ✓ 永禄13 157000123
  ①印文 義昭宝 黒印
  ②天下の儀、何様にも、信長に任せ置かるのゝ上は、
  ③誰々に寄よらず、上意を得るに及ばず、
  ④分別次第に、成敗をなすべきの事、
                       「成簣堂文庫所蔵文書」

【重史172】                 公 天正08 1580008**
  ①抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、
  ②口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条、
  ③遠国へ退出すべき趣、仰せ出ださる。
  ④取る物も取り敢へず、高野山へ上(のぼ)られ候。
  ⑤高野を立ち出で、紀伊州熊野の奥、足に任せて逐電なり。
  ⑥己と草履を取るばかりにて、見る目も哀れなる有様なり。
                            『信長公記』

【重史173】                  ✓ 天正09 158100819
  ①佐久間(信盛)、十津川の湯にて、死ぬにつき、
  ②高野の宿坊の庫(くら)の物、請け取るべきの由、
  ③悉(ことごと)く 以って討ち殺しおわんぬと云々、
  ④これにより、諸国の高野聖とらえらる、
  ⑤高野滅亡、時刻到来か、
  ⑥惟任日向守、郡山城普請見舞として、
                           「多聞院日記」

【重史174】                  ✓ 天正10 158200111
  ①進上 利三  空然(石谷光政) 人々御中
  ②御朱印の趣も、元親御ため、然るべく候、
  ③静穏の筋目、之たるべく候、
  ④新暦、御吉兆、珍重、休期有るべからず候、
  ⑤重ねて、頼辰・仁首座(禅僧の首位者)、下国候(土佐へ)、
  ⑥弥、始末、然るべく様に、万事、御異見、尤もに、存じ候、
  ⑦取り乱し候間、重ねて申し展(の)べ候、
                           「石谷家文書」

【重史175】 ◎第65話             ✓ 天正10 158200305
  ①三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
  ②翌日、仁科五郎が頸もたせ参り候を、ろくの渡りにて御覧じ、
                            『信長公記』

【重史176】 ◎第65話             ✓ 天正10 158200305
  ①路地中、数千騎、惟任向州、多人数の由、
  ②日向守、殊更(ことさら)、人数多く、奇麗の由、
                            「兼見卿記」

【重史177】 ◎第66話             ✓ 天正10 158200307
  ①三月七日、三位中将信忠卿、上諏訪より甲府に至りて御入国。
  ②武田四郎勝頼一門・親類・家老の者、尋ね捜して悉く御成敗。
  ③駿・甲・信・上野、四ケ国の諸侍、
  ④帰参の御礼、門前、市をなすなり。
                            『信長公記』

【重史178】                  公 天正09 158101117
  ①羽柴筑前・池田勝九郎両人、淡路島へ人数打ち越し、
  ②姫路に至りて、羽柴筑前守、帰陣。
  ③淡路島、物主(ものぬし)、未だ仰せつけられず候なり、
                            『信長公記』

【重史179】                  ✓ 天正06 157801026
  ①惟任日向守に対する書状、披見せしめ候、
  ②阿州面(おもて)に在陣、尤(もっと)もに候、
  ③次に、字(あざな)の儀、信を遣はし候、
  ④即ち、信親、然るべく候、
                          「土佐国蠧簡集」

【重史180】                  ✓ 天正06 157801026
  ①御奏者は、明智殿なり、
  ②明智殿御内、齋藤内蔵助は、元親卿には小舅になるなり、
  ③則ち、信と云う御字を給わる、
  ④これに依り、信親と云しなり、
  ⑤此の由緒を以って、
  ⑥四国の儀は、元親、手柄次第に、切り取り候へと、
  ⑦御朱印頂戴したり、
                             「元親記」

【重要史料10】 181~200

【重史181】                 ✓ 天正09 1581*****
  ①元親儀を、信長卿へ、或る人、さゝへ(妨害)申す、
  ②連々、天下のあだにも罷り成るべし、
  ③信長卿、御朱印の面、御違却有りて、
  ④予州・讃州、上表申し、
  ⑤阿波南郡半国、本国に相添え遣はさるべし
                             「元親記」

【重史182】                 公 天正03 157500406
  ①四月六日、信長、京都より直ちに南方へ御馬を出だされ、
  ②四月八日、三好笑岩(康長)楯籠る高屋へ取り懸け、
  ③四月十四日、大坂へ取り寄り、作毛を悉く薙ぎ捨て、
  ④御人数、十万余騎のつもりなり。
  ⑤都鄙の貴賤、皆耳目を驚かすばかりなり。
                            『信長公記』

【重史183】                 ✓ 天正03 157500412
  ①同卯月十二日朝、友閑 長谷川宗仁
  ②一、小長板ニふとん・しがらき、二ツ置く、
                          「天王寺屋会記」

【重史184】                 公 天正03 157500419
  ①高屋に楯籠る三好笑岩、
  ②友閑を以て、御侘言(わびごと)、御赦免候ひしなり。
                            『信長公記』

【重史185】                 ✓ 天正08 158001124
  ①大坂を逃げ下る牢人ども、
  ②紀州(雑賀衆)・淡州(勢)相催し、
  ③阿州勝瑞へ渡られ、再籠に及び、
                          「吉田文書」3/8

【重史186】                 ✓ 天正08 158011225
  ①大坂存分に属するに就きて、
  ②伊予鷂(ハイタカ)、五居(すえ)到来、
  ③隣国との干戈(かんか=戦い)の事、
  ④彼是(かれこれ)、惟任日向守、申すべく候也、
                          「土佐国蠧簡集」

【重史187】                 ✓ 天正08 158001124
  三好山城守、近日、讃州安富館(雨滝城)に至り下国必定に候、
                          「吉田文書」6/8

【重史188】                 ✓ 天正08 158001124
  ①淡州野口(長宗)方の所来、
  ②此比、淡州の儀、如何、仰せ付けらるゝべく候、
  ③淡州の儀、仰せ下さるゝ次第、心懸け致すべく候哉、
                          「吉田文書」7/8

【重史189】                 ✓ 天正08 158001124
  ①善悪の御助言、(秀吉に)頼み奉る外他無く候、
  ②斎藤内蔵助方まで、申し登せ候間、
  ③自然(じねん)の時は、貴意を得らるべく候、
                          「吉田文書」8/8

【重史190】                 ✓ 天正09 1581*****
  ①四国御儀は、某が手柄を以って、切り取り申す事に候、
  ②一圓、御請け申されず、
  ③明智殿より、石谷兵部少輔(頼辰)を御使者に下されたり、
  ④是れにも、御返事、申し切らるゝなり、
                             「元親記」

【重史191】                 ✓ 天正09 158100123
  ①正月廿三日、惟任日向守に仰せ付けられ、
  ②京都にて、御馬揃へなさるべきの間、
  ③御朱印を以て、御分国に御触れこれあり。
                            『信長公記』

【重史192】                 ✓ 天正09 158100123
  ①先度は、爆竹の諸道具こしらへ、
  ②然らば、重ねて、京にては、切々、馬を乗り遊ぶべく候、
  ③幾内の直奉公の者共、老若を出すべく候、
  ④其方(光秀)、請取り申し触るべく候、
  ⑤三好山城守(康長)、是れは、阿波へ遣はし候間、除くべく候、
  ⑥六十余州へ相聞ゆべく候の条、馬数多くしたて、
                            「士林証文」

【重史193】                 ✓ 天正09 158100329
  ①清水寺に於いて、羽柴筑前守・宮内卿法印・春長軒
  ②各、罷り向かい、酒宴、
  ③羽筑より、乱舞の衆へ、小袖一つ宛、遣わすと云々、
                            「兼見卿記」

【重史194】                 ✓ 天正09 158100108
  正月八日朝、 安土に於いて宮法御会 宗訥 宗二 宗及
                        「天王寺屋会記」他

【重史195】                 ✓ 天正09 158100206
  二月六日朝、 三好山城殿 一人
                        「天王寺屋会記」自

【重史196】                 ✓ 天正09 158100210
  二月十日朝、 宮内卿法印、御出で、
                        「天王寺屋会記」自

【重史197】                 ✓ 天正09 158100110
  正月十日朝、 惟任日向守殿会  宗二 宗及
                        「天王寺屋会記」他

【重史198】                公 天正09 158100410
  ①信長、御小姓衆五、六人召し列れられ、竹生島御参詣。
  ②御帰り候て、御覧候へば、
  ③御城内は、行きあたり、もだえ焦(こが)れ、仰天限りなし。
  ④其の長老をも、同事に、御成敗候なり。
                            『信長公記』

【重史199】                 ✓ 天正09 158100412
  ①惟任日向守殿父子三人
  ②長岡兵部太夫殿父子三人
  ③紹巴 宗及 宗二 道是
  ④地蔵行平の太刀、与一郎殿より日向殿へ御進上候なり、
  ⑤かざり船にて、并びに橋立の文殊にて御振舞これあり、
  ⑥うふてる松は、千年のさなえ哉、 光秀
                        「天王寺屋会記」他

【重史200】                公 天正09 158100228
  ①二月廿八日、
  ②五畿内隣国の大名・小名・御家人を召し寄せられ、
  ③天下に於て、御馬揃へをなされ、
  ④聖王へ、御叡覧に備へられ訖んぬ。
  ⑤儀式の御結構、美々しき有様、筆にも、詞にも、述べがたく、
  ⑥下京本能寺を、信長、辰の刻(8時頃)に出でさせられ、
                          『信長公記』1/6

【重要史料11】 201~220

【重史201】                公 天正09 158100228
  ①一番に、惟住五郎左衛門尉(丹羽)長秀、
  ②二番、蜂屋兵庫頭、
  ③三番、惟任日向守、
  ④四番、村井作右衛門、
  ⑤御連枝の御衆。
  ⑥公家衆。
  ⑦御馬廻、御小姓衆。
  ⑧越前衆。
                          『信長公記』2/6

【重史202】                 ✓ 天正09 158100305
  ①今度、御馬揃の儀、夥敷(おびただしく)、相聞え申し候事、
  ②参上せしめず候段、無念に存ずる計(ばか)りに候、
  ③爰元、(姫路城の)普請等、漸(ようや)く出来候、
                           「富田文書」

【重史203】
                ✓ 天正09 158100504
  五月四日朝、 羽柴藤吉郎殿・宮内卿法印御坊、
                        「天王寺屋会記」自

【重史204】                ✓ 天正09 158100612
  ①六月十二日朝、 羽柴藤吉郎殿御会、
  ②播州ヒメジにて、 宗及 備中屋一噌
                        「天王寺屋会記」他

【重史205】                公 天正09 158100625
  ①六月廿五日、羽柴筑前守秀吉、中国へ出勢。
  ②打ち立つ人数、二万余騎。
  ③即時に、とつとり(鳥取)を取りまかせ、
  ④海上には、警固舟をおき、浦々、焼き払ひ、
  ⑤数千挺の弓・鉄炮勝り出し、
                           『信長公記』

【重史206】                ✓ 天正09 158100908
  ①長宗我部方よりも申し分候へ共、返事に能わず候、
  ②勝瑞、いよいよ、堅固の由、尤もに候、
  ③阿州表の儀、重ねて、申し越され候、
  ④淡路衆、毎日、追々、渡海の旨、然るべく候、
                        「阿波国徴古雑抄」

【重史207】                ✓ 天正09 158100912
  ①権兵衛に、阿(淡)州衆召し連れ、入城せしむべきの由、
  ②生甚・明与四は、自遁の城まで渡海せしむべく候、
  ③その方、早々、相越され、
  ④野孫五の城に在城候て、
                         「黒田家文書」50

【重史208】                ✓ 天正09 158100916
  ①淡路へ渡海の儀、油断無き由、尤もに候、
  ②生甚、阿州へ相越すの旨に候条、
  ③其の方は、しちの城に在城候て、
  ④先々の儀、示し合わされ、行等の事、調儀専一に候、
                         「黒田家文書」51

【重史209】                ✓ 天正09 158100924
  ①阿州、相残る人質ども、志智に至り、相越さるるの由、
  ②行の様子、委細、小西弥九郎に、書付を以って申し渡し候、
  ③讃州安富、人質召し連れ、親父相越され候、
                         「黒田家文書」52

【重史210】                ✓ 天正09 158101010
  ①来島一書口上の趣聞き届け、委細申し遣わし候、
  ②木津・土佐泊兵粮の事、申し付け相渡し候、
  ③右両城玉薬の事、先度書き付け候分、これ又申し付け候、
  ④讃州表の事、敵引き退き候由、其分たるべく候、
                         「黒田家文書」53

【重史211】                公 天正09 158101025
  ①因幡国とつ鳥一郡の男女、悉く、城中へ逃げ入り、楯籠り候。
  ②下々、百姓以下、長陣の覚悟なく候の間、即時に餓死に及ぶ。
  ③吉川式部少輔・森下・日本、三大将の頸を取り進らすべく候間
  ④残党、扶け出だされ候様にと、詫言、申し候、
  ⑤十月廿五日、取鳥籠城の者、扶(たす)け出ださる。
                           『信長公記』

【重史212】                公 天正09 158101028
  
①伯耆国に、吉川、罷り出で、南条表取り巻くの由、注進候。
  ②羽柴筑前守、後巻に罷り立ち、
  ③因幡・伯耆の境目に、山中鹿之介弟 亀井新十郎(茲矩)、
  ④羽衣石・岩倉両城へ、兵粮・玉薬丈夫に入れおき、
  ⑤十一月八日、播州姫路に至りて帰陣。
  ⑥吉川元春も、曲なく、人数引き取り候ひキ。
                           『信長公記』

【重史213】                ✓ 天正09 158101123
  ①今度、淡州の儀、皆相済ませ申し候、
  ②阿・讃の儀、三好山城守、弥、仰せつけられ候、
  ③即時に、両国残さず一着候ように仰せ付けられるべく候、
  ④慥(たし)かに、申し届くべきの通り、 上意候間、
                           「志岐文書」

【重史214】                公 天正09 158100813
  ①因幡国とつとり表に至りて、
  ②毛利・吉川・小早川、罷り出づべきの風説これあり。
  ③一左右次第、参陣いたすべき用意、
  ④永岡兵部大輔父子三人、惟任日向守、
  ⑤信長公、御馬を出だされ、悉く、討ち果たし、
  ⑥永岡・惟任両人は、大船に兵粮つませ、
                           『信長公記』

【重史215】                ✓ 天正09 158100820
  ①鳥取面の事、
  ②彼の城中の下々、日々餓死に及び候旨、実儀なるべく候、
  ③惟任・長岡以下申し付け候、
  ④その方、一左右(いっそう)次第、出張すべく候、
  ⑤信長も、出馬すべく候条、
                           「沢田文書」

【重史216】                公 天正09 1581012**
  ①歳暮の御祝儀として、羽柴筑前守秀吉、播州より罷り上り、
  ②御小袖、数弐百、進上。
  ③其の外、女房衆かた、それぞれへ参らせられ、
  ④か様の結構、生便敷(おびただしき)様躰、古今承り及ばず、
  ⑤今度、因幡国取鳥、一国平均に申しつけらるゝ事、
  ⑥武勇の名誉、前代未聞の旨、御感状をなされ、
  ⑦信長公、御褒美として、御茶の湯道具、十二種御名物、
                           『信長公記』

【重史217】                ✓ 天正09 158101106
  ①敵の警固船二百艘計り、罷り上るの処、
  ②室より小西、安宅(船)乗り出し、
  ③宇喜多、煩(わずらい)、再発の由に候、
  ④藤吉郎、永々、在陣仕り候間、
                          「蜂須賀文書」

【重史218】                ✓ 天正09 158101126
  ①弟鷹一居到来候、遠路懇情喜び入り候、
  ②十一月廿六日 信長(朱印) 村上掃部頭とのへ
                           「村上文書」

【重史219】                公 天正08 158010307
  ①さる程に、大坂(石山本願寺)退城仕るべきの旨、
  ②忝くも、禁中より御勅使なされ、
  ③御勅使、近衛殿・勧修寺殿・庭田殿、
  ④幷びに、宮内卿法印・佐久間右衛門等へ御請けを申し、
  ⑤来たる七月廿日以前に、大坂退散に相定め、
  ⑥閏三月七日、誓紙の筆本見申され候なり。
                            『信長公記』

【重史220】                公 天正08 158010409
  ①四月九日、大坂退出の次第、
  ②門跡より新門跡かたへ相渡さるべきの旨、
  ③雑賀・淡路島の者ども、爰を取り離れ候ては、迷惑と存知、
  ④新門跡を取り立て候はんの間、
  ⑤若門跡、此の儀に同事、
  ⑥本門跡、雑賀より迎へ舟を乞ひ、四月九日、大坂を退出。
                           『信長公記』

【重要史料12】 221~240

【重史221】                公 天正08 158010702
  ①大坂本門跡、三使を以て、七月二日、御礼。
  ②進物、御太刀代・銀子百枚。
  ③中将信忠卿へ御礼申す。
  ④信長公、御対面これなし。
  ⑤黄金三十枚、門跡へ。黄金二十枚、北方へ。
                           『信長公記』

【重史222】                公 天正08 158010802
  ①さる程に、新門跡大坂渡し進(まいら)すべきの御請けなり。
  ②天正八年庚辰(かのえたつ)八月二日、新門跡、大坂退出の次第。
  ③抑(そもそ)も、大坂は、凡そ、日本一の境地なり。
  ④家門長久の処に、思はず、天魔の所為(しょい)来りて、
  ⑤爰に大坂立ち初めて以来、四十九年の春秋を送る事、
  ⑥信長公、御成りあつて、御見物なさるべく、其の意を存知、
  ⑦海上と陸と、蛛の子をちらすが如く、ちり々々に別れ候。
  ⑧余多の伽藍、一宇も残さず、夜日三日、黒雲となつて焼けぬ。
                           『信長公記』

【重史223】                公 天正08 158010424
  ①四月廿四日、播州の内しそ郡に、
  ②此の競ひを以て、阿賀へ取り懸けられ候ところ、
  ③姫路に、羽柴筑前守秀吉、在城あるべく、普請申し付け、
  ④羽柴筑前守、舎弟 木下小一郎、但馬国へ乱入、
  ⑤信長公の御威光、忝き御事なり。
  ⑥両国、平均に候ヘキ。
  ⑦都鄙の面目、後代の名誉、これに過ぐべからず。
                           『信長公記』

【重史224】                公 天正08 158010606
  ①播州しそ郡に楯籠る宇野民部、六月五日、夜中に退散。
  ②六月六日、因幡・伯耆両国境目に至りて相働き、
  ③馳せ向ふべき行(てだて)は、一切にこれなく、
  ④国端の城主、縁々を以て、降参の御断り申し、
  ⑤羽柴筑前守秀吉、条々(数々の手柄)、名誉の旨、
  ⑥信長公、御感なされ候ひキ。
                           『信長公記』

【重史225】                公 天正10 158200511
  ①四国阿波国、神戸三七信孝へ参らせられ候につきて、
  ②五月十一日、住吉に至りて御参陣。
  ③四国へ渡海の舟ども、仰せ付けられ、其の御用意、半に候。
                           『信長公記』

【重史226】 W 37 38 39        公 天正10 158200515
  ①駿河・遠江両国、家康公へ進らせらる。
  ②其の御礼として、徳川家康公幷びに穴山梅雪、今度、上国候。
  ③五月十四日、ばんばまで、家康公・穴山梅雪、御出でなり。
  ④同日に、三位中将信忠卿、御上洛なされ、ばんば御立ち寄り、
  ⑤五月十五日、家康公、安土に至りて御参着。
  ⑥御振舞の事、惟任日向守に仰せつけられ、
  ⑦十五日より十七日まで、三日の御事なり。
                           『信長公記』

【重史227】 W 20 21          公 天正10 1582005**
  ①中国備中へ、羽柴筑前守相働き、
  ②高松へ取り詰め、水攻めに申しつけられ候。
  ③芸州より、毛利・吉川・小早川、人数引卒し、対陣なり。
  ④今度、間近く寄り合ひ候事、天の与ふるところに候間、
  ⑤中国の歴々討ち果たし、
  ⑥九州まで一篇に仰せつけらるべきの旨、
  ⑦ 惟任日向守・長岡・・・、 先陣として、出勢すべきの旨、
                           『信長公記』

【重史228】                公 天正10 158200519
  ①五月十九日、安土御山惣見寺において、
  ②幸若八郎九郎大夫に舞をまはせ、
  ③丹波猿楽 梅若大夫に能をさせ、
  ④家康公召し列れられ候衆、今度、道中辛労を忘れ申す様に、
  ⑤御桟敷の内、近衛殿(前久)・信長公・家康公・穴山梅雪・
  ⑥世間の褒貶(ほうへん)あるべきやの御思慮を加へられ、
                           『信長公記』

【重史229】                公 天正10 158200520
  ①五月廿日、徳川家康公御振舞の御仕立て仰せつけられ、
  ②御座敷は、高雲寺御殿、
  ③家康公・穴山梅雪・石河伯耆・酒井左衛門尉、外、家老の衆
  ④忝くも、信長公御自身、御膳を居えさせられ、
  ⑤家康公御伴衆、上下残さず、安土御山へ召し寄せられ、
                           『信長公記』

【重史230】                公 天正10 158200521
  ①五月廿一日、家康公御上洛。
  ②京都・大坂・奈良・堺、御心静かに御見物なされ尤もの旨、
  ③案内人は、長谷川秀一。
  ④織田七兵衛・惟住五郎左衛門は、大坂にて、家康公の御振舞
                           『信長公記』

【重史231】                ✓ 天正10 158200521
  ①信長の長男(信忠)が都に到着し、
  ②彼とともに・・・三河の国主(徳川)家康・・・殿が来た。
                            『日本史』

【重史232】                ✓ 天正10 158200521
  ①世子は、再び、全兵力を率ゐて日本の端まで行き、
  ②諸国を征服して、彼とその父とに帰服せしむるつもりである
                      「イエズス会日本年報」

【重史233】 W 31            公 天正10 158200527
  ①次の日、廿七日に、亀山より、愛宕山へ仏詣。
  ②一宿参籠致し、
  ③惟任日向守、心持御座候や、
  ④二度三度まで鬮(くじ)を取りたる由、申し候。
                           『信長公記』

【重史234】 W 31            公 天正10 158200528
  ①廿八日、西坊にて連歌興行。
  ②ときは今、あめが下知る五月哉
  ③五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。
                           『信長公記』

【重史235】                 ✓ 天正10 1582005**
  ①信長が戦争においては怖(おそ)るるところなく、
  ②心寛(ひろ)く武略と生来の智慮を有するにより、
  ③常に日本の人心を収攬し、
  ④短き年月の間に五十余ヵ国をその支配の下に置き、
  ⑤日本の富と貴重なる物は悉(ことごと)く彼の所有に帰した。
  ⑥彼は益々その勢力と名声を現はさんため、
                       「イエズス会日本年報」

【重史236】                 ✓ 天正10 1582005**
  ①彼(信長)は日本の王侯大身を悉(ことごと)く軽蔑した
  ②我等(イエズス会の宣教師)に対しては常に好意を示し、
  ③彼(信長)は数回説教を聴き、
  ④傲慢であるためデウスの御恵を受くることができなかった。
  ⑤謙遜することなく、かへって益々傲慢となり、
  ⑥ネブカドネザル(新バビロニアの王)の驕慢に倣ひ、
                       「イエズス会日本年報」

【重史237】                 ✓ 天正10 1582005**
  ①安土山・・・に・・・非常に立派なる城と宮殿とを建築した。
  ②主なる領主に妻子と共に同所に居住・・・することを命じた。
  ③都より安土山まで・・・に平坦な道を造り、両側に木を植え、
  ④絶えず戦争のあったこの諸国を・・・漸次平和に帰せしめた。
  ⑤高い税を・・・一切免除し・・・一般人民の心を収攬した。
                       「イエズス会日本年報」

【重史238】 16~17/19            公 天正08 1580108**
  ①三十年奉公を遂ぐるの内に、
  ②比類なき働きと申し鳴らし候儀、一度もこれあるまじき事。
  ③先年、遠江へ人数を遣(つかは)し候刻(きざみ)、
  ④一人も殺さず。
  ⑤剰(あまつさ)へ、平手(汎秀)を捨て殺し、
                            『信長公記』

【重史239】 18~19/19            公 天正08 1580108**
  ①此の上は、いづかたの敵をたいらげ、会稽を雪ぎ、
  ②父子かしらをこそげ、高野の栖(すまい)を遂げ、
                            『信長公記』

【重史240】 折檻状全文 1~19/19      公 天正08 1580108**
       W 163 164 165 166 167 168 238 239 172
  1  父子、五ケ年在城の内に、善悪の働きこれなきの段、
  2  此の心持の推量、大坂大敵と存じ、武篇(武辺)にも構へず、
  3 丹波国、日向守が働き、天下の面目をほどこし候。
    次に、羽柴藤吉郎(秀吉)、数ヶ国比類なし。
  4 柴田修理亮、右の働き聞及び、一国を存知ながら、
  5  武篇道ふがひなきにおいては、
  6  やす田(保田安政)の儀、
  7  信長家中にては、進退各別に候か。
  8  小河(緒川)・かり屋(刈谷)、跡職申し付け候ところ、
  9  山崎申し付け候に、
  10 先々(先代)より、自分に拘(かか)へ置き候者どもに、
  11 先年、朝倉破軍の刻(きざみ)、
  12 甚九郎、覚悟の条々、書き並べ候へば、
  13 大まはしに、つもり候へば(大略を言えば)、
  14 与力を専(もっぱら)とし、
  15 右衛門与カ・被官等に至るまで、斟酌(遠慮)候の事、
  16 信長代になり、三十年奉公を遂ぐるの内に、
  17 先年、遠江へ人数を遣(つかは)し候刻(きざみ)、
  18 此の上は、いづかたの敵をたいらげ、会稽を雪ぎ、
  19 父子かしらをこそげ、高野の栖(すまい)を遂げ、
  抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、
  口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条、
                       『信長公記』

【重要史料13】 241~260

【重史241】
  
①信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。
  ②彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
  ③信長の治世の初期には、
   公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
  ④その才略、深慮、狡猾さにより、
  ⑤信長の寵愛を受けることとなり、
  ⑥主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
  ⑦殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、
  ⑧ほとんどすべての者から快く思われていなかった
  ⑨寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
  ⑩裏切りや密会を好み、
  ⑪刑を科するに残酷で、
  ⑫独裁的でもあったが、
  ⑬謀略を得意とし、
  ⑭忍耐力に富み、
  ⑮計略と策謀の達人であった。
  ⑯築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、
  ⑰選(え)り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
  ⑱絶えず信長に贈与することを怠らず、
  ⑲彼(信長)を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
  ⑳彼の嗜好や希望に関しては、
   いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、
  ㉑必要がある場合などは涙を流し、
   それは本心からの涙に見えるほどであった。
  ㉒人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習した
  ㉓信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、
  ㉔信長は彼を丹波、丹後二ヵ国の国主に取り立て、
  ㉕比叡山の大学(延暦寺)の全収入・・・とともに彼に与えるに至った。
                             『日本史』

【重史242】                 公 天正09 158100223
  ①二月十九日、北畠中将信雄卿・中将信忠卿、御上洛。
  ②二月廿日、信長御出京。
   本能寺に至つて御座を移さる。
  ③二月廿三日、きりしたん(切支丹)国より黒坊主参り候。
                            『信長公記』

【重史243】                 公 天正09 158100228
  ①御弓衆、百人。
  ②御馬牽(ひ)かせられ候次第(一番~六番)。
  ③七番、夕庵(せきあん)、山うばの出立にて。
   此の外、長安・長雲・友閑、御先に参らるゝ。
  ④八番、御曲彔持ち四人。
                            『信長公記』

【重史244】                 公 天正09 158100228
  ①左、御先小姓、
  ②右、御先小姓、
  ③御馬大黒に召され、惣御人数廿七人。
  ④御内府の御装束。
  ⑤御眉にて、きんしや(金紗)を以てほうこうめされ、
  ⑥御頭巾、とうかむり。
  ⑦御後ろの方に、花を立てさせられ、
  ⑧御膚(はだ)にめさせられ候御小袖、紅梅に白のだん、
  ⑨永岡与一郎(細川忠興)、都にて尋ね、捜し求め、進上。
  ⑩御肩衣、べにどんすに、きりから(桐唐)草なり。
  ⑪御袴、同前なり。
  ⑫御腰に、ぼたんの作り花をさゝせられ、
  ⑬御腰蓑、白熊。
  ⑭御沓(くつ)は、猩々皮、
  ⑮(信長の)花やかなる御出立(いでたち)・御馬場入りの儀式、
  ⑯各、神感(=神が感応すること)をなし奉り訖(おわ)んぬ。
                            『信長公記』

【重史245】                 公 天正09 158100228
  ①然れば、隣国の群集、晴れがましきに付けて、爰を肝要と、
  ②我れ劣らじと、あらゆる程の結構、生便敷(おびただしく)、
  ③数百人の事なれば、一々には、しる(記)し得ず。
  ④辰の刻より未の刻(8時頃~14時頃)まで、めさせられ、
  ⑤駿馬(しゅんめ)の集まり、記しがたし。
                            『信長公記』

【重史246】                 公 天正09 158100228
  ①岐阜中将信忠卿、驄(あしげ)の御馬、
  ②北畠中将信雄卿、河原毛御馬。
  ③織田三七信孝、糟毛御馬、
  ④後には、御馬ども懸け足にめさせられ、御叡覧に備へられ、
  ⑤本朝の儀は申すに及ばず、
  ⑥異国にも、かほどの様(ためし)これあるべからず。
  ⑦天下安泰にして、黎民(れいみん)、烟戸(かまど)さ(鎖)ゝず、
  ⑧かほど面白き御遊興、
  ⑨天子御叡覧、御歓喜斜ならざるの旨、忝くも、御綸言。
  ⑩信長の御面目、勝(あ)げて計(かぞ)ふべからず。
  ⑪千秋万歳、珍重々々。
                       『信長公記』

【重史247】                 ✓ 天正09 158100228
  ①きわめて気品のある有名なある行事を開催しようと欲した。
  ②華麗な出立ちの七百人武将が集うことになり、
  ③群衆の数は、・・・二十万人に近いと言われる。
  ④絢爛豪華な光景は生涯かつて見たことがないものだ、
  ⑤内裏も姿を見せていた。
  ⑥桟敷に似て、よく設備された立派な場所をわざわざ彼に提供した。
  ⑦濃紅色のビロードの椅子を贈呈していた
  ⑧それを四人の男の肩の高さに持ち上げさせて、
  ⑨一度馬から降りて椅子に座って見せ、
                             『日本史』

【重史248】                 ✓ 天正09 1581003**
  ①行事が終ると、信長はただちに安土山へ帰還した。
  ②(ヴァリニャーノは)信長を観察しようと決めていた
  ③巡察師も後を追って安土山に向かって出立した。
  ④(安土は)全日本でもっとも気品があり
  ⑤(街路は)美しく見事な景観であった
  ⑥街路ははなはだよく手入れされていて、
  ⑦毎日二回、午前と午後に清掃が行われていた。
  ⑧住民の数は、話によれば六千を数えるという。
                             『日本史』

【重史249】                 ✓ 天正09 1581003**
  ①巡察師が安土山へ到着すると、
  ②信長は彼に城を見せたいと言って召喚するように命じ、
  ③修道院にいるすべての司祭・・・いっしょに来るように命じた
  ④下にも置かぬように歓待し、
  ⑤城と宮殿を・・・案内するために、多くの使者をよこし、
  ⑥彼自らも三度にわたって姿を見せ、
  ⑦司祭と会談し、種々質問を行い、
  ⑧賞賛するのを聞いて極度に満足の意を示した。
                             『日本史』

【重史250】                 ✓ 天正09 1581003**
  ①安土山の市は、信長の甚だ重要視する所であったから、
  ②(ヴァリニャーノは)セミナリヨをここに置くことを希望し、
  ③カザ(修道院)の最上層に、甚だ立派な広間を造った。
  ④オルガンティーノが・・・集めた少年武士二十五、六人
  ⑤有馬のセミナリヨ・・・と同一の注意・規則及び時間割
  ⑥当地方の人は、性質良く、才識あり、高雅にして言語洗練
  ⑦信長は、聖堂を非常に壮麗宏大なるものとすることを希望
  ⑧数回、パードレと語った。
  ⑨聖堂ができたらば、当城のキリシタンは増加するであろう。
                       「イエズス会日本年報」

【重史251】                 ✓ 天正09 1581004**
  ①パードレ(ヴァリニャーノ)は、当所(安土)に約一ヵ月間滞在し、
  ②この地方のキリシタンを巡視する許可を信長に請うたところ、
  ③彼は、慈愛に満ちた言葉をもって許可を与へ、
  ④全領内希望の場所に、説教師を派遣することを許し、
  ⑤教えの弘布することは、彼の大いに喜ぶところであると言った
                       「イエズス会日本年報」

【重史252】                 ✓ 天正09 1581007**
  ①パードレがキリシタンの巡視を終わって帰った時、
  ②信長は従前より大なる好意を表した
  ③好意の一つは、信長が屏風と称し、
  ④信長は知らざる・・・これを(内裏に)贈ることを欲しなかった。
  ⑤親愛の印として何か贈り、帰国の際携へ帰らせんと思ひ、
  ⑥コレジョ(神学校)を絵に・・・と考へて己の屏風を送付する、
  ⑦これを覧て満足すれば留め置くべく、然らざれば送り返せと
  ⑧この屏風は彼(信長)が非常に珍重するもので、
  ⑨彼(信長)がパードレを尊敬することを日本全国に知らしむる
  ⑩このことは信長がパードレに好意を有する証拠で、
                       「イエズス会日本年報」

【重史253】                 ✓ 天正09 1581007**
  ①信長がつぎにパードレに示した好意は、
  ②カザの建築に多大の経費を要したことを聞き、
  ③窮乏を感ずることがあった場合には、
  ④必ず補助をするであらう
  ⑤殿下の好意によって早く実行さるることを期待する
  ⑥信長はこの返答を大いに喜んで我等を援助することを約束し、
                       「イエズス会日本年報」

【重史254】                 ✓ 天正09 1581007**
  ①第三の好意は我等に夜の祭を観せたことで、
  ②この祭は・・・パードレのために行ったものである。
  ③パードレが暇乞のために行った際、
  ④望みがあればこれを観せよう
  ⑤信長は城の塔に各種の色の提灯を飾らせた
  ⑥街路の両側に・・・松明を持った多数の人を整列させ、
  ⑦昼の如く大いに明るくなった。
  ⑧信長は・・・楽しんだか、何と思ったかと尋ね、
  ⑨(信長は)大なる親愛と歓喜を示して
  ⑩(信長は)パードレに出発の許可を与へた。
                       「イエズス会日本年報」

【重史255】                 公 天正09 158100715
  ①安土御殿主(天主)、 幷(ならび)に惣見寺に、
  ②挑灯(ちょうちん)、余多(あまた)つらせられ、
  ③手々(てんで)に、続松(たいまつ)とぼし申され、
  ④山下かゞやき、水に移(映)りて、
  ⑤面白き有様、見物群集に候なり。
                            『信長公記』

【重史256】
  ①これら東洋に於ける征服事業により、
  ②主への奉仕及び多数の人々の改宗に役立つところ大である
  ③征服事業は、霊的な面ばかりでなく、
  ④陛下の王国の世俗的な進展にとって益する。
  ⑤征服事業の内、最大のものの一つは・・・シナを征服すること
  ⑥閣下と相談することが出来れば大変嬉しく思う。
  ⑦イエズス会が主や陛下に対して忠誠を尽くすべきところから、
               「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」

【重史257】
  ①私は日本に三年近く滞在して、今年当地に戻って来た
  ②日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の一つである
  ③国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うから
  ④日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。
  ⑤日本は、・・・最も国土が不毛且つ貧しい
  ⑥国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練をつんでいる
  ⑦(日本は)征服が可能な国土ではない
  ⑧シナに於いて・・・日本は・・・非常に益することになる
  ⑨日本の地を極めて重視する必要がある。
               「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」

【重史258】
  ①その宮殿に隣接し、城を離れた城を離れたる山に上に
  ②全日本の領主信長はこの寺院を建立し、総見寺と名附けた。
  ③尊崇する者の受くべき功徳と利益はつぎの如し。
  ④第一に、富者ここに来りて崇敬すれば、
  ⑤第二に、生命は延びて八十歳に至り、
  ⑥今は盲目の極に達し、
  ⑦これによって己を崇拝させんためであった。
  ⑧信長は己自らが神体であり、生きたる神仏である。
  ⑨或人がボンサンと称する石を携え来た時、
                       「イエズス会日本年報」

【重史259】
  
①当一五八二年の三月八日(天正十年二月十四日)夜の十時に、
  ②天は東の方が甚だ明るく、
  ③(信長が)甲斐国の王に対する戦争に出たことは、
  ④戦争は好結果を収め、
  ⑤王とその子を殺し、甚だ大なる国四ヵ国を占領した。
  ⑥絶えず懸念した敵に打ち克ったのであるが故、
  ⑦この勝利によって一層傲慢となった。
                       「イエズス会日本年報」

【重史260】                      W【重史008】
  
①毛利を平定し、
  ②日本六十六ヵ国の絶対君主になった暁には、
  ③一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、
  ④諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。
                             『日本史』

【重要史料14】 261~280

【重史261】                 公 天正10 158200313
  ①三月十三日、信長公、岩村より禰羽根まで御陣を移さる。
  ②信長公御返書の趣、
  ③武田四郎勝頼・武田太郎信勝・武田・・・悉く、討ち果たし、
  ④駿・甲・信、滞りなく一篇に仰せつけられ候間、
                            『信長公記』

【重史262】                 公 元亀03 157211222
  ①是れは遠州表の事。
  ②武田信玄、遠州二股の城取り巻くの由、注進これあり。
  ③信長公御家老の衆、佐久間右衛門・平手甚左衛門・水野下野守
  ④大将として、御人数、遠州浜松に至り参陣のところに、
  ⑤家康も浜松の城より御人数を出だされ、
  ⑥身方ヶ原にて足軽ども取り合ひ、
  ⑦家康公・・・身方ヶ原のきし道の一騎打ちを退かせられ候
  ⑧(家康)浜松の城堅固に御拘(かか)へなさる。
  ⑨信玄は、勝利を得、人数打ち入れ候なり。
                            『信長公記』

【重史263】                 公 天正10 158200314
  ①十四日、平谷(同平谷村)を打ち越え、なみあひに御陣取り。
  ②爰にて、武田四郎父子の頸・・・、御目に懸けられ候。
  ③十五日、四郎父子の頸、飯田に懸け置かれ上下見物仕り候。
                            『信長公記』


     現在進行中!!




 ⇒ 次へつづく

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