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本能寺の変1582 5信長の油断 概略 №6-195 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

5信長の油断 概略 №6-195

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮
 
 1戦国時代=相互不信の時代
  2美濃
  3尾張
2 光秀の実像
 
 1信長という男
  2光秀という男
  3光秀と光慶  1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
  4先祖の教訓
  5大量殺戮
  6信長の弱点
3 光秀の苦悩
 
 1粛清の怖れ
  2志向の相違
  3光秀の老い
  4四国問題
  5自立への道
4 武田の滅亡
 
 1甲斐遠征
  2勝頼の首
  3武田効果
5 信長の油断 大要 概略
  
「事態急変」
  1 勝利の余韻 概略  4月21日
              4月24日
  2 四国出陣  概略  5月7日 1/3 2/3 3/3
              5月11日
  3 足蹴事件 概略 5月12日  1/5  2/5  3/5  4/5
                      5/5
            5月15日
            密室にて   1/3  2/3  3/3
                           ④ 概
                      ⑤ 概
  4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
              5月17日 大 概
              5月19日 大 概
              5月20日 大 概
              5月21日 大 概
  5 時は今、・・・・・。
              5月26日 大 概
              5月27日 大 概
              5月28日 大 概
              5月29日 大 概
さる程に、不慮の題目出来候て、
【注目ポイント】 目次
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正

5信長の油断 概略 №6-195

【記事一覧】【五大要因】  5 信長の油断 大要

「事態急変」

ここから、である。
事態が急激に変化して行く。
光秀は、これに翻弄された。

(1) 勝利の余韻 概略

   4月21日
   信長は、安土に凱旋した。             【重史035】
   「御威光有りがたき御代なり」
   雲上を歩むが如し

   4月24日
   小早川隆景の軍勢が、近くの高山(幸山)に着陣した。  【重史036】
   中国出陣の日は、近い。
   そもそも、出陣は、「来る秋」のはずだった。
   その時期が、大幅に、早まりそうになって来た。

   信長には、絶大な自信があった。 
   背景にあるのは、「武田効果」。
   信長は、目的意識の強い男。
   「天下布武」は、成る。
   信長は、先を急いでいた。

   光秀は、「来秋」に合わせて行動していた。
   ところが、事態が急変。
   「一左右次第、出勢すべく候」
   石谷頼辰は、土佐へ向かった。
   時間的に、余裕がなかった。
   間に合うのか、合わぬのか、・・・・・。
   光秀の心中や、如何に・・・・・。

   光秀の妹 妻木氏は、すでに亡く。          【重史007】
   
ために、信長の心の内が、よくわからない。

   これぞ、明智の一大事。
   「中国出陣」と「四国問題」。
   光秀は、同時に、二つの大きな問題に直面していた。

   「一寸先は、闇」
   何が起きるかわからぬ時代。
   光秀は、急激に、追い込まれて行く。

(2) 四国出陣 概略

  5月7日

   
1/3
   信長は、三男信孝に、四国への出陣を命じた。    【重史012】
   ①讃岐は、一国すべて、信孝に与える。
   ②阿波は、一国すべて、三好康長に与える。
   ③伊予・土佐については、信長が淡路島に着いてから決める。
   ④信孝は、三好康長の養子=後継者である。
   信長は、信孝に、讃岐と阿波 二ヶ国を与えた。①②④
   信長は、元親の「阿波南郡半国」を取り止めた。②   【重史181】
   土佐については、未定とした。③
   元親の諾否、未だ、明らかならず。
   「危うい」
   きわめて、流動的な状況になって来た。
   「信長、淡州に至って出馬の刻」
   信長は、淡路島に、西国攻めの本陣を構えるつもりだった。

   2/3
   そもそも、光秀と元親の関係は、斎藤利三から始まった。
   天正六年1578、元親は、信長と誼を通じた。   【重史179】
   元親は、頼辰・利三兄弟と義兄弟の関係になる。   【重史180】
   その縁によるものであった。
   「明智の将来は、明るい」、はず、だった・・・・・。
   天正八年1580、本願寺が降伏すると状況が一変する。 【重史219】 
   信長は、長宗我部元親に三好との和睦を命じた。    【重史152】
   三好康長は、長宗我部元親へ、挨拶状を送った。    【重史153】
   天正九年1581、信長は、元親の領地を土佐一国と阿波南半国に定め
   た。                        【重史181】
   元親は、これに承服せず。
   交渉は、暗礁に乗り上げた。

   3/3
   中国出陣の時が、迫っていた。            【重史036】
   そこに、突然、四国出陣命令。            【重史012】
   これすなわち、光秀の「油断」。
   妹(妻木氏)、亡き今。                【重史007】
   気づくのが、遅すぎた。
   光秀は、蚊帳の外。
   光秀は、信長の性格・気性を知りつくしていた。
   信長は、絶対専制君主。
   誇り高い男。
   決して、「逆らってはならぬ」のである。
   光秀は、このことを肝に銘じていた。

   信長は、西国攻めに出陣するつもりだった。     【重史012】
   本陣は、淡路島。

   ならば、その前。
   光秀が、中国へ出陣するまでに。
   頼辰が、間に合えば、全て、良し。
   光秀の経歴にキズはつかず、信長の覚えは、これまで通り。
   間に合わねば、
   元親との交渉は、失敗。
   光秀の責任問題となる。
   となれば、
   光秀は、信長の信を失い、失脚。
   明智は、没落する・・・・・。
   光秀が、何よりも怖れること。
   ここに、その可能性が出て来た・・・・・。

   信長は、忍耐強く、執念深い。           【重史167】
   根に持つタイプ。
   後で、必ず、蒸し返す。
   信長は、不意を衝く。
   恐ろしい男なのである。
   「隙」を見せてはならぬ、口実を与えてはならぬ、のである。

   そればかりに、あらず。
   光秀は、高齢だった。
   嫡男光慶は、まだ、十三歳。            【重史014】
   若すぎた。
   光秀は、明智の将来に不安を感じていた。
   光秀は、嫡男光慶を守らねばならなかった。

   正に、明智の一大事。
   光秀は、追い込まれた。
   頼みの綱は、石谷頼辰。

   斎藤利三は、土佐の問題に強い責任を感じていた。
   君臣ともに、一枚岩。
   二人は、強い絆で結ばれていた。
   利三の年齢は、40代前半ぐらい。

  5月11日
   信孝は、四国渡海の準備に入った。          【重史225】
   信孝は、阿・讃二ヶ国の国主となる。         【重史012】
   信長は、未だ、土佐の国主(くにぬし)を決めていない。
   信長は、誇り高い男。
   己の命に従わぬ者には、容赦しない。
   元親には、良くて、土佐一国。            【重史012】
   最悪、「没収」も有り得た。
   元親は、土佐を失う可能性すらあった。
   石谷頼辰は、未だ、帰らず。
   このままでは、「失敗」。
   光秀は、信長の「信」を失う。
   すなわち、信長に口実を与えることになる。
   信長は、執念深い。
   このことを、決して、忘れない。

(3) 足蹴事件  概略

 5月12日  

  1/5 概略
  この日が、信長の誕生日である。           【重史052】
  信長は、天文三年1534の生れ。
  この年、四十九歳。
  「人間五十年、下天の内をくら(比)ぶれば」      →【重史169】         
  信長は、幸若舞を好んだ。
  特に、「敦盛」の、この一節。     →【信長の人物像】 信05
  信長には、絶大な自信があった。          →1 勝利の余韻
  背景にあるのは、「武田効果」。
  信長は、目的意識の強い男。
  「五十年」を強く意識していた。
  「天下布武」は、成る。
  そのことが、信長に先を「急」がせた。
  「焦り」→「隙」=「油断」
  光秀は、これを見逃さず。
  そこを衝いた。
  それが「本能寺の変」である。
  そして、その(「天下布武」)先に、・・・・・。
  信長の「さらなる夢」があった。          →【重史008】
  ①一大艦隊を編成してシナを征服し、    「イエズス会日本年報」
  ②一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、       『日本史』
  世界は、大航海時代。
  信長の目は、海外を見ていた。
  これが、信長の志向。
  結局、信長の拡大政策は、止まず。
  戦いは、まだまだ、つづく。
  なれど、・・・・・。
  光秀は、高齢。                   →そ第7話①
  嫡男光慶は、若すぎた。               →そ第7話②
  光秀は、明智の将来が不安だった。 →3光秀と光慶 (3)光秀の嫡男
  だが、・・・・・。
  信長は、きわめて壮健。
  信忠は、申し分なき後継者。             →【 人物 】
  織田家は、安泰。
  盤石の体制となっているであろう。
  そればかりに、あらず・・・・・。

  2/5 概略
  これが、信長である (①~⑲) 。     →【重史146】 0512 4/7
  特に、以下の五つに注目!!
  一、信長は、典型的な戦国武将。② ⑥⑩⑪⑰⑲
    きわめて、猜疑心の強い男。⑱ ②⑤⑥⑪⑰⑲
    用心深く、疑い深い。
  一、信長は、忍耐強く、粘り強い。⑩ ⑤⑦⑪
    執念深く、執拗である。
  一、信長は、信念の人。⑦
    目的意識が強い。⑤ ⑦⑪⑲
  一、信長は、絶対専制君主。⑨ ③⑤⑦⑪⑲
    誇り高い男。③
  一、信長は、理性的であり判断力に優れていた。⑪ ⑭⑮⑱
    信長は、合理主義者。⑮ ⑤⑦⑪⑭        →そ第7話⑥
    無駄を嫌う。
    信長は、完璧主義者。⑭ ⑤⑦⑩⑪
    冗漫を嫌った。⑮ ⑤⑦⑪⑭
  光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。→【光秀という男】 目次

  3/5 概略
  信長は、重臣といえども、容赦しない。        →0512 5/7
  佐久間信盛を粛清した(1~19) 。    →【重史240】 【重史172】 
  石山本願寺、退城。                →【重史222】
  戦いが終われば、粛清が始まる。          →【重史163】
  佐久間信盛を見よ!!                →そ第7話⑥
  粛清は、ある日、突然、訪れる。    →【重史240】 【重史163】
  信長は、最後まで、佐久間信盛を赦さなかった。
  哀れな末路であった。         →【重史240】 【重史172】
  信盛は、吉野の山中で死んだ。           →【重史173】
  信長は、忍耐強く、執念深い。    →5月12日 2/4 【重史146】
  根に持つタイプ。
  後で、必ず、蒸し返す。
  「先年、朝倉破軍の刻」
  信長は、絶対専制君主。
  己が天下の支配者であることを強く意識していた。
  「抑も、天下を申しつくる信長」
  信長は、誇り高い男。 
  己に口答えする家臣を、決して、赦さない。
  「口答申す輩、前代に始り候」
  信長は、粛清の人。                →【重史163】
  不意を衝く。
  「常套手段」
  
恐ろしい男なのである。
  光秀は、それを怖れていた。            →【重史009】
  用が済めば、粛清される。
  役に立たねば、粛清される。
  邪魔になれば、粛清される。
  「明日は、我が身」
  このことが、脳裏から、離れない。
  
緊張の日々がつづく。

  4/5 概略
  信長は、人々の心を大いに引きつけた。  →0512 6/7 【重史235】
  1「天下布武」
  2将軍追放
  3領国拡大
  信長は、戦国乱世を終わらせようとしていた。    →【重史237】
  信長は、一般大衆に人気があった。
  
4安土城
  5大名政策
  6道路政策
  7平和の実現
  8関所政策
  事は、全て、順調に推移していた。
  否、順調に過ぎた・・・・・。
  「一寸先は、闇」
  何が起きるかわからぬ時代。
  「油断」すべからず。
  「油断」すべからず・・・・・。

  5/5 概略
  信長は、傲慢になっていた。       →0512 7/7 【重史236】
  それは、増長し・・・・・。            →【重史258】
  信長は、安土山に総見寺を建立した。
  信長は、自身を崇拝させようとしていた。
  信長、誕生の日。                 →【重史052】
  信長は、己の誕生日に、総見寺に参拝することを命じた。
  慢心、ここに極まれり。
  これすなわち、「油断」。
  フロイスは、「本能寺の変」について、以下のように、結論づけた。
  「武田効果」により、
  信長は、さらに傲慢になっていた。         →【重史259】
  光秀は、そのことを、他の誰よりもよく知っていた。
  これが、天正十年五月中頃の、信長の精神状態。
  光秀は、肝に銘じていた。
  だが、信長に縋(すが)る他、術がなかった・・・・・。
  光秀には、自負があった。
  「最後の手段」
  そして、その時が来た・・・・・。

 5月15日  
  信長は、家康に駿河・遠江を与えた。     →0515 【重史226】
  家康は、御礼のため、安土へ向かった。
  五月十五日。
  家康は、安土に到着した。
  信長は、光秀に、接待役を命じた。
  この日から、十七日までのこと。

 密室にて  

  
1/3 
  信長、家康を饗応す。               →【重史040】
  饗応役は、明智光秀。
  ここで、事件が起きた。
  信長は、絶対専制君主。              →【重史146】
  きわめて、誇り高い男。
  逆上しやすく、                  →【重史040】
  自らの命令に対して、反対意見を言われることに堪えられない性格だっ
  た。
  このことを、他の誰よりも、よく知っていたのが光秀だった。
  佐久間信盛を見よ!!               →【重史240】
  「朝倉破軍の刻」
  信盛は、それを軽んじた故、粛清された 。
  だが、光秀は、甘かった。             →【重史040】
  その一言が、信長の逆鱗に触れた。
  信長の身近に、イエズス会の関係者がいたらしい。
  おそらくは、黒奴「弥助」。            「松平家忠日記」  
  弥助は、「本能寺の変」を生き延びた。
  捕縛され、京の南蛮寺へ。
            →「イエズス会日本年報」天正十年十月二十日付

  2/3 
  だが、この事件が、世間に知られることはなかった。 →【重史041】
  フロイスは、このように見ていた (1~4) 。
  1この事件が、「本能寺の変」のきっかけになった。
  2光秀は、欲深い野心家である。
  3光秀は、天下を欲していた。
  4光秀は、計画的だった。
  以上から、次のことがわかる。
  1この事件が、「本能寺の変」の契機(引き金)になった。
  2光秀は、自立の道を選んだ。
  3結果として、光秀に天下が転がり込んで来た。
  4光秀は、計画的だった。
   中国へ出陣すれば、全てが終わる・・・・・。
   光秀は、決断した。
   さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)候て、    →【重史016】

  3/3 
  光秀は、極限状態に追い込まれていた (①~⑤) 。

  ①光秀は、粛清を怖れていた。          →5月12日 5/7
   信長は、典型的な戦国武将。          →5月12日 4/7
   猜疑心が強い。
   信長は、執念深い。            →5月12日 4/7 5/7
   根に持つタイプ。
   後で、必ず、蒸し返す。
   信長は、絶対専制君主。
   信長は、天下の支配者であることを強く意識していた。
   信長は、誇り高い男。 
   口答えする家臣を、決して、赦さない。
   信長は、合理主義者。             →5月12日 4/7
   無駄を嫌う。
   信長は、不意を衝く。             →5月12日 5/7
   粛清は、ある日、突然、訪れる。 
   恐ろしい男なのである。
   佐久間信盛を見よ!!             →5月12日 5/7
   信長は、重臣といえども容赦しない。
   信盛を粛清した。
   光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。   →5月12日 5/7
   「狡兎死して、走狗烹(煮)らる」 
   用が済めば、粛清される。
   役に立たねば、粛清される。
   邪魔になれば、粛清される。
   戦いが終われば、粛清が始まる。
   「明日は、我が身」
   このことが、脳裏から、離れない・・・・・。
   緊張の日々が、つづく。

  ②光秀には、老いの問題があった。
  
光秀は、高齢者。
  年齢は、五十九±四歳ぐらい。             →そ第77話
  生年は、大永四1524±四年ぐらい。
  嫡男光慶は、まだ、13歳。
  若すぎた。
  六年前(天正四年)の大病のこともある。  →【重史013】 そ第7話⑰
  光秀は、それ程、頑強な肉体の持ち主ではなかった・・・・・。
  光秀の最大の敵は、時間だった。            →そ第76話
  
人生の残り時間は、少ない。              →そ第77話
  光秀は、信長より、年長。               →そ第75
  信長より、先に、死ぬ。
  未熟な光慶を一人残して・・・・・。
  光秀にとって、このことが最大の悩みだった。
  相互不信の時代。                   →そ第76話
  信長は、光秀を信用していない。
  光秀もまた、信長を信用していない。
  光秀は、明智の将来が不安だった。           →そ第76話
  信長の「さらなる夢」。    【重史008】 【重史260】『日本史』
  果たして、その時、自分は生きているだろうか・・・・・。
  となれば、明智は、光慶の代。
  信長が、光慶を引き立ててくれる保証など何もない。   →そ第76話
  「役に立たぬ」となれば、明智の領地は、召し上げられる・・・・・。
  斯くなれば、明智は、再び、没落・・・・・。      →そ第76話
  光秀は、それを怖れていた。
  親ならば、当然のこと。
  光秀は、このことに、頭を悩ませていた。
  光秀は、頼辰の帰りを待った。
  時折、「自立」の二文字が脳裏を掠める。
  地獄の如き日々がつづく。

  ③中国出陣が間近に迫っていた。
  甲斐の武田は、消滅した。             →【重史170】
  信長は、浪合で、勝頼の首と対面した。       →【重史263】
  光秀も、浪合で、勝頼の首を見た。
  信長は、武田の滅亡を世に知らしめた。
  飯田にて、勝頼の首を晒す。
  敗者、斯くの如し。
  「無念」
  その形相(ぎょうそう)。
  光秀の、脳裏にこびり付く。
  信長は、勝頼の首を京へ送った。

  信長は、絶対的な武力を手に入れた。        →【重史018】
  「戦わずして、勝つ」                →そ第74話②
  信長の勢威は、絶頂に達していた。
  これすなわち、「武田効果」。     →【重史018】「武家事紀」
  我ながら驚き入る計りに候、             
  最早、この国に、信長に抗う者など、いない。
  信長の脳裏には、「勝頼の首」。          →【重史263】
  信長には、絶大な自信があった。           →そ第74話②
  「天下布武」は、成る。
  否、成す。

  中国出陣の日は、近い。               →4月24日
  信長は、出陣のタイミングを窺っていた。
  「重ねて、一左右次第、出勢すべく候」 →【重史036】「細川家文書」

  信長は、目的意識の強い男。     →4月24日 5月12日 1/5
  信長は、この年、四十九歳。             →【重史052】
  「人間五十年」                  → 【重史169】
  信長は、この「五十年」を強く意識していた。   →5月12日 1/5

  そのことが、信長に先を「急」がせた。      →5月12日 1/5
  それが、「焦り」となり、
  そこに、「隙」が生じた。
  これすなわち、「油断」。
  光秀は、これを見逃さず。
  そこを衝いた。
  それが「本能寺の変」である。

  ④四国出陣命令が発令された。

  ⑤「天下布武」が成れば、次は、「さらなる夢」。

  以上①②③④⑤のような状況下で、足蹴事件は、起きたのである。

(4) 中国出陣


(5) 時は今、・・・・・。



 ⇒ 次へつづく




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