本能寺の変1582 5月12日 5/5 №6-155 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
5月12日 5/5 №6-155
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
3 足蹴事件 概略 5月12日 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 概
密室にて 概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概 ⑤ 概
4 中国出陣
5 時は今、・・・・・。
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
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*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
5月12日 5/5 №6-155
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0512 1/7 2/7 3/7 4/7 5/7 6/7 7/7
→【重史236】 【重史258】 【重史052】 【重史259】
〈読み方 コツ〉
かなりの長文になります。
先ずは、太字部分からお読みください。
余裕のある方は、全文へ。
信長は、傲慢になっていた。 →0512 7/7 【重史236】
フロイスが、証人である。
余程、強い印象を受けたのだろう。
「傲慢」「驕慢」を多用している。
彼(信長)は日本の王侯大身を悉(ことごと)く軽蔑したにかかはらず、
我等(イエズス会の宣教師)に対しては常に好意を示し、
異郷の人であるため同情を表した。
また我等に対し反対者の讒言と偽りの証言が屢々(しばしば)行わるる
が、
パードレ(宣教師)の行状がよくその真なることを知ってゐ故、
彼の生存中は少しも妨害を受くることなく、
その領内においてデウスの教を説き聖堂を建つることを許すと言った。
彼(信長)は数回説教を聴き、彼に説いた道理に力あることを悟ったやう
であるが、
傲慢であるためデウスの御恵の光を受くることができなかった。
(中略)
彼は万物の創造主の力強き御手より受けたる大いなる恩恵を感謝して
謙遜することなく、
かへって益々傲慢となり、
日本全国の領主と称し、
日本の古老の言によれば、
五十余ヵ国よりかつて見、また読みたることなき甚深なる尊敬を
受くるに満足せず、
ネブカドネザル(新バビロニアの王)の驕慢に倣ひ、
死すべき人間にあらず、神にして不滅のものなるが如く、
尊敬せられんことを希望した。
(「イエズス会日本年報」天正十年十月二十日付)
それは、増長し・・・・・。 →【重史258】
「今は盲目の極に達し」、とある。
信長は、安土山に総見寺を建立した。
而してこの嫌忌すべき希望を達せんために、
その宮殿に隣接し、城を離れた城を離れたる山に上に寺院を建築するこ
とを命じ、
この寺院につぎの如く記してその名誉心の欲するところを表した。
これをわが国語に翻訳すればつぎのとほりである。
当日本の大国において、遠方より望む者に喜悦と満足を与ふる安土山城
の山に、
全日本の領主信長はこの寺院を建立し、総見寺と名附けた。
これを大いに尊崇する者の受くべき功徳と利益はつぎの如し。
第一に、
富者ここに来りて崇敬すれば、益々富を集め、
下賤にして憫なる(哀れな)貧者ここに来りて崇敬すれば、この寺院に来
りたる功徳によって富者となるべく、
子女及び後継者なき者家系を続くるために来れば、直に子孫を得、寿を
長じ、平和と安楽を得べし。
第二に、
生命は延びて八十歳に至り、
疾病は癒え、希望、健康及び平安を得べし。
毎月予が誕生の日を聖日とし、この寺院に来るべし。
これを信ずる者は必ず彼に約束するところのものを得べく、
これを信ぜざる邪悪の人は、現世においても来世においても亡ぶるに至
るべし。
信長は、自身を崇拝させようとしていた。
聖職者フロイスの目には、そう写っていた。
「本能寺の変」
その僅か五ヶ月後の報告である。
生々しい。
前に述べたる如く、信長は政治を始めて以来常に神仏の崇拝を意としな
かったが、
今は盲目の極に達し、悪魔に勧められて大いに尊崇された偶像を諸国よ
り安土の寺院に持来った。
ただしこれを崇拝させるためでなく、これによって己を崇拝させんため
であった。
日本においては神の宮には通常神体と称する石がある。
神体は神の心また本質といふことであるが、
安土山の寺院には神体はなく、
信長は己自らが神体であり、生きたる神仏である。
世界には他の主はなく、彼の上に万物の創造主もないと言ひ、
地上において崇拝されんことを望んだ。
家臣等もまた信長自身に対するほか崇拝すべきものはないと明言し、
同所に集めた偶像に劣らざる崇拝を致さんことを望んだ。
或人がボンサンと称する石を携え来た時、
彼は寺院の最も高き所、諸仏の上に壁龕(へきがん)を造らせ、ここにそ
の石を置いた。
(「イエズス会日本年報」天正十年十月二十日付)
信長、誕生の日。 →【重史052】
信長は、己の誕生日に、総見寺に参拝することを命じた。
而して領内の諸国に布告し、市町村においては男女貴賤悉(ことごと)く
彼の生まれた五月の日にかの寺院に来って同所に収めた己の神体を拝む
ことを命じた。
諸国より集まった人数は非常に多く、ほとんど信ぜられざるもので
あった。
慢心、ここに極まれり。
信長がかくの如く驕慢となり、
これすなわち、「油断」。
結果的に、そうなる。
フロイスは、宣教師=神職者。
その立場から、「本能寺の変」について、以下のように、結論づけた。
世界の創造主また贖主であるデウスのみに帰すべきものを奪はんとした
ため、
デウスはかくの如く大衆の集まるを見て得たる歓喜を長く享楽させ給は
ず、
安土山においてこの祭りを行った後十九日を経て、
その体は塵となり灰となって地に帰し、
その霊魂は地獄に葬られた‥‥(略)。
(「イエズス会日本年報」天正十年十月二十日付)
「武田効果」により、
信長は、さらに傲慢になっていた。 →【重史259】
光秀は、そのことを、他の誰よりもよく知っていた。
光秀は、信長の甲斐出陣に同行して(三月五日~四月二十一日)以来、帰陣後も、この日まで、連日のように、信長の側近くにあった。
当一五八二年の三月八日(天正十年二月十四日)夜の十時に、
天は東の方が甚だ明るく、信長の城の最高の塔の上方は甚だ赤く見え、
我等に非常な恐怖を起こしたが、これは朝まで続いた。
赤さは甚だ低く、二十レグワ(≒5×20km)の所よりは見ることができまい
と思はれたが、その後聞いたところによれば、豊後においてもこれが見
えたといふことである。
信長がこの驚くべき兆(きざ)しにかかはらず、怖るることなく甲斐国の
王に対する戦争に出たことは、我等カザ(教会)に居る者の驚いたところ
である。
同地には世子がまづ赴き、
信長はその後に行ったのであるが、
戦争は好結果を収め、
王とその子を殺し、甚だ大なる国四ヵ国を占領した。
彼は常に大いに苦しめられ、絶えず懸念した敵に打ち克ったのであるが
故、
この勝利によって一層傲慢となった。
(「イエズス会日本年報」天正十年十月二十日付)
これが、天正十年五月中頃の、信長の精神状態。
信長は、感情が高ぶっていた。
心の余裕を失っていた。
すなわち、精神的なバランスを欠いていた・・・・・。
光秀は、肝に銘じていた。
信長は、誇り高い男。
逆らってはならぬ・・・・・、
逆らってはならぬ・・・・・、
のである。
だが、信長に縋(すが)る他、術がなかった・・・・・。
光秀は、切羽詰まっていた。
「土佐の一件」・・・・・。
どうすることも出来なかった。
光秀には、自負があった。
信長に仕えて十五年。
これまで、
一度たりとも、失敗はなかった。
一度たりとも、期待を裏切ることはなかった。
正に、完全無欠。
パーフェクト。
見事である。
信長の夢「天下布武」。
光秀は、生命を賭して、信長を支えた。
数多の戦場。
輝かしき、手柄・勲功。
信長のために、大いに、貢献した。
「織田家中、随一」
そう、言っても過言ではあるまい。
その光秀の、初めての・・・・・。
「それに免じて」
との思いがあったのだろう。
淡い期待をもって・・・・・。
「最後の手段」
そうする他なかったのである。
そして、その時が来た・・・・・。
【参照】
【時は今・・・】 目次
0521 目 0526 目 0527 目 0528 目 0529 目
本能寺への道 1 2 3 4 5
本能寺への道1
そ第78話① 性格・人格・人間性の形成
そ第78話② そのような時代
そ第78話③ 四月二十一日 同二十四日
そ第78話④ 事態急変 五月七日
そ第78話⑤ 同十五日
そ第78話⑥ 「足蹴事件」
本能寺への道2
そ第78話⑦ 秀吉は備中に 同十七日
そ第78話⑧ 石谷頼辰は土佐に 同二十一日
そ第78話⑨ 土佐は僻遠の彼方 所要時間
本能寺への道3
そ第78話⑩ 同二十六日
そ第78話⑪ 分岐点 選択肢は二つ
そ第78話⑫ 同二十七日
本能寺への道4
そ第78話⑬ 同二十八日
そ第78話⑭ 同二十九日 上洛
そ第78話⑮ 同日 亀山 二人揃った
本能寺への道5
そ第78話⑯ 六月一日 出陣
そ第78話⑰ 同日 公家参集
そ第78話⑱ 同日、夜
光秀は、決断した。
【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次
【四国問題 概要】 天正八年 天正九年 天正十年
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←テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
←その一因 目次大 概説大 目次中
←3光秀と光慶
(1)光秀の素性
(2)光秀の年齢
(3)光秀の嫡男
←見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
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←【ここがポイント!!】
⇒ 次へつづく
