本能寺の変1582 見えてきたもの 目次大 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
見えてきたもの 目次大
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*進捗状況 +240607
「本能寺の変」の「原因・動機」は、一つだけではない。
以下、それらを、1~5に大別する。
そこから、見えて来たもの。
さらに、一歩、近づいた!!
それが、「本能寺の変」の「原因・動機」である。
只今、進行中!!
ご期待下さい。!!
1 時代の風潮
2 光秀という男
3 光秀の苦悩
4 志向の相違
5 信長の油断
さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、
天正十年六月二日、未明。
世間の誰もが予期せぬことであった。
さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、
六月朔日、夜に入り、丹波国亀山にて、惟任日向守光秀、逆心を企て、
明智左馬助(秀満)・明智次右衛門(光忠)・藤田伝五(行政)・斎藤内蔵
(利三)、是れ等として談合を相究め、
信長を討ち果たし、天下の主となるべき調儀を究め、・・・・・・。
(『信長公記』)
【 重史 016】
⇒ 次へつづく
NEW!!
目次 が更新されました。
これで、全体像がよくわかる!!
毎日更新!!
原因・動機の究明は、この一歩から!!
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「本能寺の変」
原因・動機は、この中にあり!!
ご注目下さい!!
テーマ別 目次 が更新されました。
視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!
見えてきたもの 目次 が更新されました。
これで、さらに、一歩、近づいた!!
ご期待ください!!
