本能寺の変1582 本能寺への道4 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
本能寺への道4
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 目次中 一、光秀の年齢と嫡男光慶
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【 重要史料 】 【 人物 】
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*加筆修正
そ第78話⑬
同、二十八日
光秀は、連歌会を催した。
これが、「愛宕百韻」。
史料は、以下①~③の三つ。
①【 重史 005 】 「続群書類従」
時は今、あめか下なる五月哉 光秀
②【 重史 031】 『信長公記』
ときは今、あめが下知る五月哉 光秀
③【 重史 032】 「惟任退治記」
ときは今、あめかしたしる五月かな、
①の意。
今は、五月。
地上の全てが、雨の下にある。
私は、間もなく、出陣します。
戦いに勝利して、天下統一の願いが叶いますように。
解釈上からも、根拠の点からも、①の方が理に適っている。
故に、これが、正しい。
すなわち、史実。
そう、考える。
②③の意。
五月である。
今こそ、源氏=土岐=明智が、天下を奪い取る時。
光秀は、連歌の席で、心底を、打ち明けた、・・・云々。
③の著者、大村由己は、確信犯。
「今、これを思惟すれば」
「則ち、誠に、謀反の先兆なり」
「何人か、兼ねて、これを悟らんや」
明らかに、史実の捏造。
すなわち、ファンタジー。
物語、創作もの。
その張本人である。
同日、家康は、京から大坂へ。
同日、信長は、上洛せず。
同日、石谷頼辰、未だ、帰還せず。
そ第78話⑭
同二十九日。
信長が、上洛した。
午後、遅かったという。
従うのは、小姓衆のみ。
信長は、中国へ出陣するつもりだった。
信長は、「家康」に配慮した。
家康は、暗殺されるのを怖れていた (『日本史』「本城惣右衛門覚書」) 。
信長は、京に、軍勢を入れなかった。
安土に、待機させていた。
信長は、親衛隊(馬廻衆)を伴っていなかった。
すなわち、自身を警固する軍勢がいなかった。
これすなわち、信長の「油断」。
「一世一代の不覚」
光秀は、こうなることを予知していた。
家康は、暗殺を怖れていた。
信長は、家康の心中を察している。
光秀は、道中で、目にしていた。
駿河・遠江・三河は、家康の領地。
甲斐からの帰路、そこを、通った時のこと。
信長は、軍勢を、率いていなかった (①②) 。
①『信長公記』 天正十年1582、三月二十八・二十九日条。
②『信長公記』 天正十年1582、四月十六日条。
そ第78話⑮
同日
光秀は、亀山にいた。
次々に、報せが、入って来た。
光秀は、信長を凝視していた。
この山の向こうに、信長は、いる。
亀山から、東へ四里16km。
信忠は、大坂へは、向かわず。
京に、残った。
家康は、早朝、大坂へ向かった。
京には、いない。
光秀は、これを見逃さなかった。
二人、揃った・・・・・。
軍勢は、いない・・・・・。
光秀は、石谷頼辰に見切りをつけた。
頼辰は、ついに、間に合わなかった。
「万事休す」
全てが、終わった。
光秀は、己の心中を、まだ、誰にも明かしていない。
「これぞ、天佑」
「またとなき、好機」
それに、気づく者は、誰一人として、いない。
【参照】その一因 一、光秀の年齢 2光秀の年齢 6人格形成
そ第78話⑬ そ小78⑬ テ第78話 ◎第78話 第78話
そ第78話⑭ そ小78⑭ テ第78話 ◎第78話 第78話
そ第78話⑮ そ小78⑮ テ第78話 ◎第78話 第78話
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