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本能寺の変1582 密室にて 3/3③ №6-168 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

密室にて 3/3③ №6-168

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮
 
 1戦国時代=相互不信の時代
  2美濃
  3尾張
2 光秀の実像
 
 1信長という男
  2光秀という男
  3光秀と光慶  1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
  4先祖の教訓
  5大量殺戮
  6信長の弱点
3 光秀の苦悩
 
 1粛清の怖れ
  2志向の相違
  3光秀の老い
  4四国問題
  5自立への道
4 武田の滅亡
 
 1甲斐遠征
  2勝頼の首
  3武田効果
5 信長の油断
  
「事態急変」
  1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
  2 四国出陣  概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
  3 足蹴事件  概略 5月12日 概 1/5  2/5  3/5  4/5
                   5/5
             5月15日
             密室にて  概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
                    概  概  概 ④ 概 ⑤ 概
  4 中国出陣
  5 時は今、・・・・・。
さる程に、不慮の題目出来候て、 【重史016】
【注目ポイント】 目次
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正

密室にて 3/3③ №6-168

【記事一覧】【五大要因】  5 信長の油断>3 足蹴事件>
             →【四国問題】 天正十年 目次
              【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3
             →【重史170】 【重史263】 【重史018】
              【重史036】 【重史052】 【重史169】

光秀は、極限状態に追い込まれていた (①~⑤) 。

③中国出陣が間近に迫っていた。

 甲斐の武田は、消滅した。              →【重史170】

  三月十一日、武田四郎父子、簾中(れんちゅう)、一門、
  こがつこ(駒飼*)の山中へ引籠らるゝの由、
  滝川左近(一益)、承り、

  (中略)

  四郎父子の頸、
  滝川左近かたより、
  三位中将信忠卿へ、御目に懸けられ候のところに、
  関可平次・桑原助六両人にもたせ、
  信長公へ、御進上候。
                           (『信長公記』)

 信長は、浪合で、勝頼の首と対面した。        →【重史263】

  (三月)十四日、平谷(同平谷村)を打ち越え、なみあひに御陣取り。
  爰にて、武田四郎父子の頸、関与兵衛・桑原介六、もたせ参り、
  御目に懸けられ候。

  則ち、矢部善七郎に、仰せつけられ、飯田へ持たせ遣はさる。

 光秀も、浪合で、勝頼の首を見た。
 光秀は、信長に同行している。

 これが、武田の最期。
 信長に逆らった者の末路。
 「哀れなものよ」
 時は、滔々と流れていく。

 信長は、武田の滅亡を世に知らしめた。
 
飯田にて、勝頼の首を晒す。

  十五日、午の刻より雨つよく降り、
  其の日、飯田に御陣を懸けさせられ、
  四郎父子の頸、飯田に懸け置かれ、上下見物仕り候。

  十六日、御逗留。

 敗者、斯くの如し。
 「無念」
 その形相(ぎょうそう)。
 光秀の、脳裏にこびり付く。

 信長は、勝頼の首を京へ送った。
 「獄門に懸けよ」
 使者は、長谷川宗仁。

  武田四郎・同太郎、武田典厩・仁科五郎、
  四人の首、長谷川宗仁に仰せつけられ、
  京都へ上せ、獄門に懸けらるべきの由候て、御上京候なり。
                          (『信長公記』)

 信長は、絶対的な武力を手に入れた。         →【重史018】
 「戦わずして、勝つ」                →そ第74話②
 信長の勢威は、絶頂に達していた。

 これすなわち、「武田効果」。            →【重史018】
 最早、風前の灯火。
 信長は、容赦しない。
 毛利は、武田と同じ道を歩むことになる。

  北は越後境、東はうすいが峠・川中島等、信州中に一所も残らず、
  侘言せしめ、落着候、
  西上野、同前に候、 

  此の如く、卅日・四十日際に一偏に属するの事、
  我ながら驚き入る計りに候、
                (「武家事紀」「織田信長文書の研究」)

 最早、この国に、信長に抗う者など、いない。

 信長の脳裏には、「勝頼の首」。           →【重史263】

 信長には、絶大な自信があった。            →そ第74話②
 武田滅亡 → 「武田効果」 → 毛利滅亡
 さすれば・・・・・、
 「天下布武」は、成る。
 否、成す。

 となれば、羽柴秀吉・・・・・。 

 中国出陣の日は、近い。                →4月24日
 秀吉から、注進あった。
 「小早川隆景、幸山城に入る」

 なれど・・・・・、
 信長は、動かず。
 「引きつけよ」
 次の報せを待つ。
 
 信長は、出陣のタイミングを窺っていた。

  中国進発の事、来秋たるべきの処、
  今度、小早川、備前児嶋より敗北せしめ、備中高山に楯籠るの間、
  羽柴藤吉郎、出陣せしめ取巻くの由、注進候、
  重ねて、一左右次第、出勢すべく候、
  由断なく、用意専一に候、
                     【重史036】(「細川家文書」)

 信長は、目的意識の強い男。      →4月24日 5月12日 1/5
 
性急・短気。
 
先を急いでいた。

 信長は、この年、四十九歳。              →【重史052】
 「人間五十年」                   → 【重史169】
 信長は、この「五十年」を強く意識していた。    →5月12日 1/5
 それまでに、・・・・・。

 そのことが、信長に先を「急」がせた。       →5月12日 1/5
 それが、「焦り」となり、
 そこに、「隙」が生じた。
 これすなわち、「油断」
 「前を見れば、後ろは見えず」

 光秀は、これを見逃さず。
 そこを衝いた。
 それが「本能寺の変」である。



【参照】
【時は今・・・】 目次
 0521 目 0526  0527  0528 目 0529

本能寺への道

本能寺への道1
  そ第78話① 性格・人格・人間性の形成
  そ第78話② そのような時代
  そ第78話③ 四月二十一日 同二十四日
  そ第78話④ 事態急変 五月七日
  そ第78話⑤ 同十五日
  そ第78話⑥ 「足蹴事件」

本能寺への道2
  そ第78話⑦ 秀吉は備中に 同十七日
  そ第78話⑧ 石谷頼辰は土佐に 同二十一日
  そ第78話⑨ 土佐は僻遠の彼方 所要時間

本能寺への道3
  そ第78話⑩ 同二十六日
  そ第78話⑪ 分岐点 選択肢は二つ
  そ第78話⑫ 同二十七日

本能寺への道4
  そ第78話⑬ 同二十八日
  そ第78話⑭ 同二十九日 上洛
  そ第78話⑮ 同日 亀山 二人揃った

本能寺への道5
  そ第78話⑯ 六月一日 出陣
  そ第78話⑰ 同日 公家参集
  そ第78話⑱ 同日、夜
        光秀は、決断した。

【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次
【四国問題 概要】 天正八年 天正九年 天正十年

重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次

←【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道

その一因 目次大 概説大 目次中

3光秀と光慶
 
(1)光秀の素性
 (2)光秀の年齢
 (3)光秀の嫡男

見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】



 ⇒ 次へつづく

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