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本能寺の変1582 5月15日 №6-156 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

5月15日 №6-156

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮
 
 1戦国時代=相互不信の時代
  2美濃
  3尾張
2 光秀の実像
 
 1信長という男
  2光秀という男
  3光秀と光慶  1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
  4先祖の教訓
  5大量殺戮
  6信長の弱点
3 光秀の苦悩
 
 1粛清の怖れ
  2志向の相違
  3光秀の老い
  4四国問題
  5自立への道
4 武田の滅亡
 
 1甲斐遠征
  2勝頼の首
  3武田効果
5 信長の油断
  
「事態急変」
  1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
  2 四国出陣  概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
  3 足蹴事件  概略 5月12日 概 1/5  2/5  3/5  4/5
                   5/5
             5月15日
             密室にて  概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
                    概  概  概 ④ 概 ⑤ 概
  4 中国出陣
  5 時は今、・・・・・。
さる程に、不慮の題目出来候て、
【注目ポイント】 目次
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正

5月15日 №6-156

【記事一覧】【五大要因】  5 信長の油断>3 足蹴事件>
             →【四国問題】 天正十年 目次
              0515 【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3
             →【重史226】

信長は、家康に駿河・遠江を与えた。       →0515 【重史226】

  信長公、当春、東国へ御動座なされ、
  武田四郎勝頼・同太郎信勝・武田典厩、一類、歴々討ち果たし、
  御本意を達せられ、
  駿河・遠江両国、家康公へ進らせらる。

家康は、御礼のため、安土へ向かった。
信長は、家康の来訪に対し最大限の配慮を示した。

  其の御礼として、徳川家康公、幷(なら)びに、穴山梅雪(信君)、
  今度、上国候。

信長は、先の甲斐遠征の帰途、家康の領国 三河・遠江に立ち寄っている。
その時の家康の心尽くしに対する、返礼の意味もあったのかもしれない。

  一廉(ひとかど)、御馳走あるべきの由候て、
   先づ、皆道を作らせ、
   所々、御泊り々々に、国持ち・郡持ち大名衆罷り出で候て、
   及ぶ程、結構仕り候て、御振舞い仕り候へと、
   仰せ出だされ候ひしなり。

五月十四日。
家康は、番場に到着した。
安土の手前、凡そ七里28km(滋賀県米原市番場)。
丹羽長秀が、仮御殿を用意して接待にあたった。

  五月十四日、江州の内、ばんばまで、家康公・穴山梅雪、御出でなり。
  惟住五郎左衛門、
  ばんばに仮殿を立ておき、雑掌を構へ(酒肴の支度をととのえ)、
  一宿、振舞い申さるゝ。

信忠も、番場に到着した。
信忠は、暫し休息した後、そのまま安土へ向かった。

  同日に、三位中将信忠卿、御上洛なされ、
  ばんば、御立ち寄り、暫時、御休息のところ、
  惟住五郎左衛門、一献進上候なり。
  其の日、安土まで御通候ひキ。

五月十五日。
家康は、安土に到着した。
信長は、歓待した。
宿所は、大宝坊である。

  五月十五日、家康公、ばんばを御立ちなされ、安土に至りて御参着。
  御宿大宝坊然るべきの由、上意にて、

信長は、光秀に、接待役を命じた。
この日から、十七日までのこと。

  御振舞の事、惟任日向守に仰せつけられ、
  京都・堺にて珍物を調へ、生便敷(おびただしき)結構にて、
  十五日より十七日まで、三日の御事なり。
                      【重史226】『信長公記』



【参照】
【時は今・・・】 目次
 0521 目 0526  0527  0528 目 0529

本能寺への道

本能寺への道1
  そ第78話① 性格・人格・人間性の形成
  そ第78話② そのような時代
  そ第78話③ 四月二十一日 同二十四日
  そ第78話④ 事態急変 五月七日
  そ第78話⑤ 同十五日
  そ第78話⑥ 「足蹴事件」

本能寺への道2
  そ第78話⑦ 秀吉は備中に 同十七日
  そ第78話⑧ 石谷頼辰は土佐に 同二十一日
  そ第78話⑨ 土佐は僻遠の彼方 所要時間

本能寺への道3
  そ第78話⑩ 同二十六日
  そ第78話⑪ 分岐点 選択肢は二つ
  そ第78話⑫ 同二十七日

本能寺への道4
  そ第78話⑬ 同二十八日
  そ第78話⑭ 同二十九日 上洛
  そ第78話⑮ 同日 亀山 二人揃った

本能寺への道5
  そ第78話⑯ 六月一日 出陣
  そ第78話⑰ 同日 公家参集
  そ第78話⑱ 同日、夜
        光秀は、決断した。

【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次
【四国問題 概要】 天正八年 天正九年 天正十年

重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次

←【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道

その一因 目次大 概説大 目次中

3光秀と光慶
 
(1)光秀の素性
 (2)光秀の年齢
 (3)光秀の嫡男

見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】



 ⇒ 次へつづく

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