本能寺の変1582 【四国問題】 天正十年 目次 №5-276 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【四国問題】 天正十年1582 目次 №5-276
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
←2 光秀の実像
←3 光秀の苦悩
←4 武田の滅亡
←5 信長の油断
【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
【時は今・・・】 目次
←0521 目 0526 目 0527 目 0528 目 0529 目
本能寺への道 1 2 3 4 5
←【注目ポイント】 目次
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←【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 251028 260417
【四国問題】 天正十年1582 目次 №5-276
1月 目次
0111 信長は、元親の領地を「土佐一国」に減じた。 【重史174】
2月 目次
0201 木曾義昌が裏切った(武田→織田) 。 【重史046】
0203 信忠が、甲斐へ出陣した(先発隊)。 【重史046】
0209 信長、甲斐出陣十一ヶ条を発令。 【重史047】
3月
0305 信長、甲斐へ出陣。 【重史034】
0311 武田勝頼の最期。 【重史170】
0317 信長は、己の勢威の強大さに驚いた。 【重史018】
「路次険難、老足叶うべからざる儀に候」 【重史019】
4月
0421 信長、安土に凱旋。 【重史035】
0424 中国出陣は、「来る秋」のはずだった。 【重史036】
小早川隆景の軍勢が、近くの高山に着陣。
中国出陣の日は、近い。
光秀の心中や、如何に・・・・・。
5月
0507 信長は、三男信孝に四国への出陣を命じた。 【重史012】
信長は、信孝に、讃岐と阿波 二ヶ国を与えた。
土佐については、未定である。
間に合わねば、光秀の責任問題となる。
0511 信孝は、四国渡海の準備に入った。 【重史225】
信孝は、阿波・讃岐 二ヶ国の新たな国主となる。
信長は、未だ、土佐の国主(くにぬし)を決めていない。
元親を取り巻く状況は、悪化の一途を辿っていた。
元親は、土佐を失う可能性すらあった。
0512 この日が、信長の誕生日である。 【重史052】
「人間五十年、下天の内をくら(比)ぶれば」 【重史169】
信長には、「さらなる夢」があった。 【重史008】
これが、信長である (①~⑲) 。 【重史146】
信長は、重臣といえども、容赦しない。 【重史240】
佐久間信盛を粛清した。
信長は、大衆に強い人気があった。 【重史235】 【重史237】
信長は、傲慢になっていた。 【重史236】
0515 徳川家康が、安土に到着した。 【重史226】
05** 「足蹴事件」 目次
1/3 【重史040】
信長は、逆上しやすく、
反対意見を言われることに堪えられない性格だった。
このことを、他の、誰よりも、よく、知っていたのが光秀だった。
だが、光秀は、甘かった。
その一言が、信長の逆鱗に触れた。
信長の身近に、イエズス会の関係者がいたらしい。
おそらくは、黒奴「弥助」・・・・・ (「松平家忠日記」) 。
2/3 【重史041】
しかし、この事件が、世間に知られることはなかった。
フロイスは、このように見ていた (1~4) 。
1この事件が、「本能寺の変」のきっかけになった。
2光秀は、野心家。
3光秀は、天下を欲していた。
4光秀は、計画的だった。
誰にも、胸中を明かさず。
その機を窺っていた。
3/3
光秀は、信長を怖れていた。 →5月12日 5/7
光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。 →5月12日 5/7
用が済めば、粛清される。
役に立たねば、粛清される。
邪魔になれば、粛清される。
戦いが終われば、粛清が始まる。
明日は、我が身。
このことが、脳裏から、離れない。
そこに、「足蹴事件」が起きたのである。 「足蹴事件」1/3
信長は、傲慢になっていた。 5月12日 7/7 【重史236】
ついに、本性を現した。
=「隙」を見せた。
これすなわち、「油断」。
信長は、合理主義者。
この時は、光秀を赦した。
光秀は、役に立つ男。
「中国出陣」
「さらなる夢」
光秀は、出来る男。
キレ者である。
この瞬間を見逃さない。
光秀は、信長の心底を見た。
光秀の心は、信長から、離れた。
ならば、・・・・・。
その前に、・・・・・。
この事件が、「本能寺の変」の一因になった。 →「足蹴事件」2/3
光秀は、計画的だった。
光秀は、天下を望んだが故に、謀叛を起こしたわけではない。
05** 備中高松城 【重史227】
秀吉は、備中高松城を水攻めにしていた。
そこに、毛利の本軍が現れた。
信長は、この好機を逃さない。
信長の脳裏には、武田の最期。 →3月17日 【重史018】
信長は、毛利を滅ぼすつもりだった。
信長は、さらに、九州を平定しようとしていた。
光秀は、このことを知っていた。
ならば、
出陣の前・・・・・。
上洛の時・・・・・。
信長は、光秀に、中国出陣を命じた。
0517 訣別の日。 【重史029】
光秀は、出陣支度のため坂本城に帰った。
光秀の心は、重く沈んでいた。
一、「足蹴事件」 1/3 2/3 3/3
一、土佐 長宗我部の問題。 0111 0507 0511 0521
一、光秀の年齢、嫡男光慶のこと。 0512 3/7
光秀は、明智の将来が不安だった。 0512 3/7
光秀は、出来る男。
キレ者である。
先を、見越していた。
光秀は、粛清を怖れた。 「足蹴事件」3/3
いよいよ、現実味を帯びて来た。
信長は、典型的な戦国武将。
猜疑心が強い。
信長は、執念深い。
根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。
信長は、絶対専制君主。
天下の支配者であることを強く意識していた。
信長は、誇り高い男。
己に口答えする家臣を、決して、赦さない。
信長は、合理主義者。
無駄を嫌う。
信長は、重臣といえども、容赦しない。
佐久間信盛を見よ!!
信盛は、大坂攻めの総指揮官。
織田家の重臣筆頭者。
大身であり、家中最大の軍事力を有していた。
信長は、不意を衝く。
常套手段である。
粛清は、ある日、突然、訪れる。
恐ろしい男なのである。
光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。 「足蹴事件」3/3
それ故、今がある。
「狡兎死して、走狗烹(煮)らる」
用が済めば、粛清される。
役に立たねば、粛清される。
邪魔になれば、粛清される。
戦いが終われば、粛清が始まる。
明日は、我が身。
このことが、脳裏から、離れない。
石谷頼辰、未だ帰らず。
土佐は、僻遠の彼方。
信長は、必ず、上洛する。
光秀は、肚を決めた。
0519 信長は、家康のために能舞を興行した。 【重史228】
信長は、中国出陣を控えている。 備中高松城 【重史227】
気が立っていた。
信長の目の前に、大きな誘惑がチラついていた。
毛利の動きが気にかかる。 備中高松城 【重史227】
そこに、「隙」が生まれた。
光秀は、これを見逃さない。
信長は、「急いておる」。
0520 信長は、家康に対し、最上級の誠意を示した。 【重史229】
高雲寺御殿にて、饗応。
信長は、自らが、御膳を運び入れた。
0521 (十日前)
1/2
家康、上洛。 【重史230】
この時、信忠が、家康とともに上洛している。 【重史231】
信忠は、中国出陣を控えていた。 【重史232】
2/2
長宗我部元親が、信長の命を受け入れた。 【重史042】
石谷頼辰は、土佐にいた。
「武田滅亡」
結局、これが、決め手になった。
恐るべし、「武田効果」。
だが、残念ながら、遅すぎた。
結果、頼辰は、間に合わず。
元親の決断が、遅すぎた。
このことが、光秀を極限へと追い込み、事件を誘発する一因となっ
た。
0526 (五日前) 目次 1/8~3/8 4/8~6/8 7/8~8/8
本文 1/8~3/8 4/8~6/8 7/8~8/8
1/8
光秀は、坂本から丹波亀山城へ移った。 【重史030】
信長は、安土にいた。
信忠と家康は、京にいる。
信長は、「急いておる」。
石谷頼辰、未だ、帰らず。
中国出陣は、六月一日。
残すところは、あと三日。 そ第78話⑩
光秀は、この一事に全神経を集中させていた。 そ第78話⑩
眠れぬ夜がつづく。
2/8
中国攻めは、「天下布武」の総仕上げ。 そ第74話④
秀吉は、毛利本軍を誘き出すのがその役目。 そ第74話④
信長の華々しい勝利を御膳立てする係である。
信長は、猜疑心が強い。
秀吉は、そのことを怖れていた。
秀吉に、実子はいない。
信長の五男秀勝(於次丸)を養子にしていた。
秀吉は、狡猾な男。
万事につき、抜け目がない
その点では、光秀の上を行った。
秀吉には、これ以上の手柄が不要だった。
信長は、秀吉を救援するために、援軍を派すのではない。
安芸に攻め入るために、軍勢を派したのである。
攻め口は、複数ヶ所。
先の、甲斐攻めを見れば、そのことがよくわかる 【重史046】
光秀は、信長の指揮下にあった。
秀吉の下につくのではない。
要注意!!惑わされるべからず!!
光秀は、手柄を上げる機会を与えられたのである。
甲斐攻めにおける、滝川一益と同様のポジション。
光秀は、国替えを察知していた。
3/8
光秀は、滝川一益の上野入国を思い起こした。 そ第75話
信長は、諏訪法華寺にて滝川一益に上野一国と信濃二郡を与えた。
信長は、一益に、名誉を与え最後の花道をかざってやろうとした。
一益は、五十八歳。 →【人物】 ◎第70話 そ第70話
高齢だった。
間もなく、六十代に突入する
「年罷り寄り、遠国へ遣はされ候事」 【 重史 022】『信長公記』
光秀は、すぐ側でこれを見ていた。 そ第75話
斯くして、一益の老後は、定まった。
信長は、猜疑心が強い。 そ第75話
有力な重臣を遠隔地に配した。
光秀にも、国替えの可能性があった。
国替えもまた、その一因となり得る。
4/8
その先に、信長の「さらなる夢」があった。 そ第75話
信長の目は、海外を見ていた。 5月12日 3/7
毛利を征服して、日本六十六ヵ国の領主となった後、
一大艦隊を編成してシナを征服し、 【重史008】
信長は、歩みを止めず。 そ第75話
すなわち、天下統一後も、戦いは、つづく。
5/8
光秀は、己の老いを自覚していた。 そ第75話
気がつけば、その様な年齢になっていた。 5月12日 3/7
光秀は、高齢。 →そ第7話①
嫡男光慶は、若すぎた。 →そ第7話②
光秀は、五十九±四歳ぐらい。 →そ第77話
光慶は、13歳。 →そ第7話② 【重史014】
光秀は、信長より、先に、死ぬ。
光秀は、明智の将来が不安だった。 5月12日 3/7
光秀にとって、このことが最大の悩みだった。
6/8
信長は、不意を衝く。
佐久間信盛を見よ!! 5月12日 5/7 【重史240】
粛清は、ある日、突然、やって来る。
光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。 「足蹴事件」3/3
「狡兎死して、走狗烹(煮)らる」
用が済めば、粛清される。
役に立たねば、粛清される。
邪魔になれば、粛清される。
戦いが終われば、粛清が始まる。
明日は、我が身。
このことが、脳裏から、離れない。
光秀は、粛清を怖れていた。
光秀には、「守るべき者」たちがいた。 そ第78話⑩
光慶は、若すぎた。
その時、己は、もう、いない。
全ては、光慶のため。
子らのため。
明智のため。
7/8
そこに、起きたのが「足蹴事件」である。
0517 「足蹴事件」 1/3 2/3 3/3
信長は、絶対専制君主。 3/3
天下の支配者であることを強く意識していた。
信長は、誇り高い男。
己に口答えする家臣を、決して、赦さない。
1/3 【重史040】『日本史』
信長は、執念深い。 3/3
根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。
佐久間信盛を見よ!! 1/3 【重史240】『信長公記』
「朝倉破軍の刻」
信長は、重臣といえども、容赦しない。 3/3
このことを、誰よりも、よく、知っているのが光秀だった。 1/3
その一言が、信長の逆鱗に触れた。 1/3 【重史040】『日本史』
信長は、傲慢になっていた。 5月12日 7/7 【重史236】
ついに、本性を現した。
信長は、合理主義者。
この時は、光秀を赦した。
光秀は、出来る男。
キレ者である。
この瞬間を見逃さない。
光秀は、そこに、信長の心底を見た。
光秀の心が、信長から、離れた。
光秀は、計画的だった。
この事件が、「本能寺の変」の一因になった。 「足蹴事件」 2/3
光秀は、天下を望んだが故に、謀叛を起こしたわけではない。
8/8
光秀は、待っていた。 0517
間に合えば、・・・・・。
再び、流れが変わる。
間に合わねば、・・・・・。
これすなわち、「失敗」。
光秀の責任問題となる。
斯くなれば、最悪の状態。
その時は、必ず、来る・・・・・。
土佐は、僻遠の彼方。 0517
頼辰は、間に合わず・・・・・。
その様相が、色濃くなっていた。
「明日まで」
光秀には、先が見えていた。 そ第75話 そ第78話⑩
これすなわち、明智の危機。 そ第75話 そ第78話⑩
明智の命運は、中国出陣によって定まる。
これでは、死んでも死に切れぬ。
これを阻止するためには、中国攻めを取り止めにする他ない。
信長は、必ず、上洛する。 0517
なれど、その日が、わからない・・・・。
光秀は、最終局面に、追い詰められた。
光秀は、肚を決めた。 0517
間に合えば、
予定通り、中国へ向け出陣する・・・・・。
間に合わなければ、
最後の手段、・・・・・。
おそらく、光秀は、このような結論に辿り着いた・・・・・。
0527 (四日前) 目次 1/3~3/3
1/3
信長は、上洛を決めた。
その旨を、京都所司代 村井貞勝へ伝えた。
このことは、やがて、公家たちの知る所となる。
信長の上洛情報は、オープンだった。
信忠は、信長の上洛を知った
信忠は、京で、信長を待っていた。 【重史028】「小畠文書」
①家康は、明日(二十八日)、大坂・堺へ下向する。
信忠は、京に残る。
②信長は、「近々」、中国へ出陣する。
③信忠は、それより前に、出陣するつもりだった。
④信長は、「一両日中」に上洛する。
2/3
光秀は、丹波亀山城にいた。
光秀は、戦勝を祈願するため愛宕山に参詣した。
【重史233】『信長公記』
光秀は、山上から、京の都を見下ろすつもりだった・・・・・。
光秀は、「信長が上洛する」、との報せをうけた。 0527 1/3
「明日」か、「明後日」のうちに。 0527 1/3
光秀の出陣日は、六月一日。 0526 1/8
光秀は、典型的な戦国武将。
疑い深く、用心深い。
果たして、来るのか、来ないのか。
「一寸先は、闇」
その時になってみなければ、わからない。
これが、最後の難関だった。
光秀は、待つ。
3/3
信長の目の前に、大きな誘惑がチラついていた。 →0519
信長は、その誘惑に負けた。
信長の脳裏には、武田の最期。
→備中高松城 3月17日 【重史018】
信長は、毛利を滅ぼすつもりだった。 →備中高松城
さらに、九州をも平定しようとしていた。
これで、「天下布武」は、成る。
そこに、「隙」が生まれた。 →0519
光秀は、これを見逃さない。
信長は、「急いておる」。 →0519
信忠は、京にいる。 →0527 1/3
家康は、明日(二十八日)、大坂へ。 →0527 1/3
信長は、上洛する。 →0527 1/3 2/3
信長・信忠、父子二人が揃うことになる。
事は、光秀の思惑通りに進行していた。
秀吉は、備中高松で毛利と対峙中。 →備中高松城
石谷頼辰は、終に、間に合わなかった。
残された道は、ただ一つ。
光秀は、己の迷いをフッ切った。
光秀は、この一事に己の全てを集中する。
0528 光秀は、愛宕山西坊にて連歌会を催した。 【重史234】
「あめが下知る」
「あめか下なる」 【重史005】
「あめかしたしる」 【重史032】
〃 家康が、大坂へ向かった。 【重史028】
信忠は、京に残った。
0529 信長が、上洛した。 【重史033】
従うのは、小姓衆のみ。
信長は、「油断」した。
⇒ 次へつづく
