本能寺の変1582 【四国問題】 十 3月17日 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【四国問題】天正十年1582 3月17日
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】 【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
天正十年1582
3月17日 【重史018】 ✓ 天正10 158200317
信長は、己の勢威の強大さに驚いた。
①穴山、忠節を抽んずべきの条、朱印をなし、
②去る十一日四郎父子を討ち捕り、首到来候、
③典厩(信豊)の事、是も首到来、
④四郎の弟仁科五郎、是も首到来候、
⑤甲州の歴々の者ども、大略首を刎ね候、
⑥尾濃の浪人、土岐美濃守(頼芸)を始め、岩倉・犬山等、
⑦卅日・四十日際(きわ)に、一偏に属するの事、
我ながら驚き入る計りに候、
「武家事紀」1/2
信長は、絶対的な武力を手に入れた。 →そ第74話② ◎第66話 66
「戦わずして、勝つ」
これが、武田効果。
信長は、絶大な自信=確信を持った。 →そ第74話② ◎第66話 66
「天下布武」は、成る。
光秀は、武田の滅びゆく姿をその目で見ていた。 →◎第115話 第115話
それ故、知っている。
信長の心の内を。
中国の事。
急に、慌ただしくなって来た。
安芸の毛利。
これとて、武田に同じ。
二の舞となる。
さ程、時間はかかるまい。
「天下布武」は、成る。
ならば、・・・・・。
【参照】3光秀と光慶 (2)光秀の年齢 4光秀、最大の敵
そ第74話② 武田効果
【参照】10信長の甲斐侵攻 3信長、出陣 ◎第66話 66
信長は、わずか一月で四ヶ国を手に入れた。
「長篠効果」「本願寺効果」「武田効果」
【参照】14 信長の甲斐侵攻 5潮目の変化 ◎第115話 第115話
〃 〃 【重史019】 ✓ 天正10 158200317
信長の強大さは、瞬く間に、諸国に知れ渡った。
抗えば、滅す。
「あの武田が、・・・・・」
中国 毛利は、戦慄した。
四国 長宗我部、これに同じ。
⑧相州氏政、駿河へ在陣にて、一廉(ひとかど)馳走候、
⑨甲斐・信濃の事、城介を残し置き申し付くべき候、
⑩路次険難、老足叶うべからざる儀に候間、
⑪京都・五畿内、並に、羽柴藤吉郎方迄、残らず相触るべく候、
「武家事紀」2/2
光秀は、現役の戦国武将。
⑩老足(老人)では、ない。
光秀の生年は、大永四1524±四年ぐらい。
光秀の年齢は、五十九±四歳ぐらい。
【参照】3光秀と光慶 (2)光秀の年齢 5結論 そ第77話
【参照】11光秀の年齢 5結論 ◎第77話
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