本能寺の変1582 【重史237】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史237】 「イエズス会日本年報」
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信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
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1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
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*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史237】
①安土山・・・に・・・非常に立派なる城と宮殿とを建築した。
②主なる領主に妻子と共に同所に居住・・・することを命じた。
③都より安土山まで・・・に平坦な道を造り、両側に木を植え、
④絶えず戦争のあったこの諸国を・・・漸次平和に帰せしめた。
⑤高い税を・・・一切免除し・・・一般人民の心を収攬した。
「イエズス会日本年報」
天正十年1582、五月**。 1582005**
信長は、戦国の世を終わらせようとしていた。
そのための「天下布武」。
信長は、一般大衆の心を大いに引きつけた。
人気があるのである。
フロイスは、それを見ていた。
①安土城について。
彼(信長)は近江国の安土山と称し、都より十四レグワ(≒70km)の所に
甚だ驚くべくまた非常に立派なる城と宮殿とを建築した。
この宮殿と七階を有する城の壮麗なることは、
彼が大いに誇ったところである。
その下には新たに市を建てたたが、日に月に栄え、
今は長さ1レグワ(≒5km)に達した。
②大名政策について。
而して征服した諸国を一層安全ならしむるため、
主なる領主に妻子と共に同所に居住し、広大なる邸宅を建築すること
を命じた。
③道路政策について。
都より安土山までは、すでに述べたとほり、十四レグアあるが、
この間に平坦な道を造り、両側に木を植え、非常に大きな橋を架け、
足を濡らさずして通行さるるやうにした。
またその征服した諸国にかくのごとき道路をできるだけ造り、
④戦国乱世を平和な世に。
絶えず戦争のあったこの諸国を、
その知恵と努力とによって漸次(ぜんじ)平和に帰せしめた。
⑤関所政策について。
また、彼の統治前には道路において高い税を課し、
1レグワごとにこれを納めしめたが、
彼は一切免除し少しも払はしめなかったので、
一般人民の心を収攬した。
(「イエズス会日本年報」天正十年十月二十一日付)
【参照】【四国問題】
天正八年1580
天正九年1581
天正十年1582
【参照】【四国問題 概要】
天正八年1580
天正九年1581
天正十年1582
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