本能寺の変1582 【重史180】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史180】 「元親記」
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】 【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
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信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 250718
【重史180】
①御奏者は、明智殿なり、
②明智殿御内、齋藤内蔵助は、元親卿には小舅になるなり、
③則ち、信と云う御字を給わる、
④これに依り、信親と云しなり、
⑤此の由緒を以って、
⑥四国の儀は、元親、手柄次第に、切り取り候へと、
⑦御朱印頂戴したり、
「元親記」
天正六年1578、十月二十六。 157801026
信長と長宗我部元親の交流が始まった。 →【人物】
この年から、である。
光秀の仲介による。
斎藤利三は、光秀の家臣。 →【人物】
その実兄が、石谷頼辰である。 →【人物】
頼辰は、幕府奉公衆 石谷光政の養子となる。 →【人物】
元親の妻は、石谷光政の娘。
その嫡男が、信親である。
利三は、元親の小舅なり。
石谷頼辰、同。
信長卿、御上洛以前より、通じらるゝなり、
御奏者は、明智殿なり、
また、明智殿御内、齋藤内蔵助は、元親卿には小舅になるなり、
信長は、元親の嫡男に、「信」の一字を与えた。
明智殿、御取り合いを以って、
元親卿の嫡子 弥三郎、実名の御契約を致す、
此の時、元親よりの使者に、賀見因幡守と云う者、罷り上る、
進物は、長光の御太刀、御馬代金金子十枚、大鷹二連なり、
則ち、信と云う御字を給わる、
これに依り、信親と云しなり、
その御祝儀として、
信長卿より、左文字の御太刀、鞘は梨地、金具分は後藤仕るなり、
御馬一疋、栗毛、拝領有り、
「四国の儀は、元親、手柄次第に、切り取り候へ」
この時は・・・・・、である。
信長は、目を瞑った。
信長は、典型的な戦国武将。 →【信長の人物像】 信02
猜疑心が強い。
「隙」のない男なのである。
すなわち、未来永劫にあらず、ということ。
状況が変われば、方針も変わる。
これが、世の常、人の常。
当然の事、である。
ましてや、時は、戦国時代。
それが、いつまでも、つづくことなど、有り得ない。
元親は、信長の承認を得た。
此の由緒を以って、
四国の儀は、元親、手柄次第に、切り取り候へと、御朱印頂戴したり、
(「元親記」)
なれど、・・・・・。
元親とて、信長と同じく、典型的な戦国武将。
疑い深く、用心深い。
元親には、先が見えていた。
これが出来たからこそ、ここまで来れたのである。
したがって、
それが、いつまでも、つづくなどとは、思ってもいない。
これもまた、当然の事。
「早くて、三年」
「否、四年」
・・・・・。
「ならば、今の内」
「急がねばならぬ」
おそらく、これ位のスパンで、見ていたのではないだろうか。
本願寺の勢いが、最高潮に達していた。
戦いは、先行きが見えず。
長期戦なると思われた。
信長には、余裕がなかった。
正に、「渡りに船」。
好都合であった。
以下、対本願寺戦、当時の戦況。
天正四年1576 一月 丹波 波多野秀治、謀叛。 「兼見卿記」
光秀、大敗。
〃 五月 摂津 天王寺砦の戦い。 『信長公記』
〃 〃 原田直政、戦死、大敗。 →そ第7話⑩
〃 〃 光秀、絶対絶命。 →そ第7話⑪
〃 〃 信長、鉄砲傷、勝利。 →そ第7話⑬
〃 〃 光秀、病に倒れる。 →そ第7話⑰
〃 七月 毛利水軍、襲来。 『信長公記』
〃 〃 織田水軍、壊滅。
天正五年1577 二月 紀伊 雑賀出陣。 →そ第7話㉑『信長公記』
〃 〃 光秀復活。 →そ第7話㉒『信長公記』
〃 三月 雑賀降伏。 →そ第7話㉓『信長公記』
〃 八月 奈良 松永久秀、謀叛。 『信長公記』
〃 九月 加賀 上杉謙信、南下。 「歴代古案」
〃 〃 手取川の戦い。
〃 〃 織田軍(柴田勝家)、大敗。
〃 〃 光秀、奈良へ。 「多聞院日記」
〃 十月 奈良 松永久秀、焼死。 『信長公記』
〃 〃 秀吉、播磨へ。 『信長公記』
天正六年1578 二月 播磨 別所長治、謀叛。 『信長公記』
〃 四月 毛利軍、上月城を包囲。 『信長公記』
〃 〃 光秀、播磨へ。 『信長公記』
〃 五月 信忠、播磨へ。 『信長公記』
〃 六月 光秀、秀吉・村重を収容。『信長公記』
〃 〃 信長は上月城を見捨てた。『信長公記』
〃 十月二十日 荒木村重、謀叛。 『信長公記』
元親は、四国制覇を目指していた。
阿波の三好は、共通の敵。
両者の利害は、完全に一致した。
信長は、元親の四国統一戦を承認した。
光秀の手柄である。
「明智の将来は、明るい」、はず、だった・・・・・。
【引用】
【参照】【四国問題】
【重史179】 ✓ 天正06 157801026
①惟任日向守に対する書状、披見せしめ候、
②阿州面(おもて)に在陣、尤(もっと)もに候、
③次に、字(あざな)の儀、信を遣はし候、
④即ち、信親、然るべく候、
「土佐国蠧簡集」
⇒ 次へつづく
