本能寺の変1582 【重史152】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史152】 「古証文」
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】 【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
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信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史152】 そ第11⑩01
①三好式部少輔の事、此方(こなた)に別心なく候、
②猶、三好山城守(康長)、申すべく候也、
「古証文」
天正八年1580、六月十二日。 158000612
六月、土佐から、使者が訪れた。
同十二日
土佐の長宗我部元親は、弟 香宗我部親泰を安土へ派した。 【 人物 】
光秀は、元親の取次・介添人。 →◎第50話④ 第50話 小
安土にいた。
【参照】光秀と長宗我部元親
長宗我部元親は、四国統一へ邁進していた。
「意気軒昂」
きわめて、士気は、高い。
元親、積年の夢。
「四国統一」
それは、着実に、近づいていた。
なれど、先は、遠い。
未だ、道半ば。
「いよ、いよ」
これから、という局面である。
元親は、阿波岩倉城を手に入れた。
徳島県美馬市脇町田上。
城主は、三好式部少輔。
三好康長の子とされるが、一族らしい。
弟 親泰が、信長に、式部少輔の服属を報告した。
信長は、四国政策を大きく転換した。 →◎第50話③ 第50話 小
信長は、元親の、これ以上の領地拡大を望んでいない。
「これまで」
そう、思ったのだろう。
「災いの芽は、摘み取らねばならぬ」、のである。
信長は、長宗我部元親に、三好との和睦を命じた。
すなわち、停戦命令。
次の書状は、信長が親泰に与えたもの。
三好式部少輔の事、此方(こなた)に別心なく候、
然して、其面に於て、相談ぜられ候旨、先々、相通ずるの段、
異儀なきの条、珍重に候、
猶以って、阿州面の事、別して、馳走専一に候、
猶、三好山城守(康長)、申すべく候也、
謹言、
六月十二日 信長(朱印)
香宗我部安芸守殿
(「古証文」「織田信長文書の研究」)
三好康長は、三好氏の新当主。 →◎第50話④ 第50話 小
信長は、康長を阿波に配置するつもりだった。
康長の願いは、没落した三好家の復興。
そこに、大きなチャンスが、舞い込んで来たわけである。
康長の生年は、不詳。
三好長慶(大永二年1522~永禄七年1564)の叔父とされるから、
それなりの、高齢者なのだろう。
河内半国の守護。
笑厳(笑岩)を号す。
【 人物 】三好康長 そ第7話⑩
【 人物 】三好長慶 そ第11話⑩
【参照】【四国問題】
天正八年1580
天正九年1581
天正十年1582
⇒ 次へつづく
