本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第24話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 2(1)光秀の素性6 そ第24話
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2(1)光秀の素性 6転機 そ第24話
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1素性 そ第53話 そ第54話① そ第54話② そ第54話③
2争乱 そ第155話① そ第155話②
3下剋上 そ第156話① そ第156話② そ第157話① そ第157話②
そ第158話① そ第158話② そ第158話③ そ第158話④
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4没落 そ第200話① そ第200話② そ第200話③
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そ第201話⑤
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そ第152話③ そ第152話④ そ第152話⑤ そ第152話⑥
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6転機 そ第19話 そ第20話① そ第20話② そ第21話
そ第22話 そ第23話 そ第24話 そ第25話
永禄九年3 美濃の斎藤
ここで、状況が変わった。
同年(永禄九年)、八月。
有為転変は、世の習い。
時代は、激動していた。 →◎第24話 第24話
三好三人衆が坂本に進出した。
矢島御所を狙った。
義昭は、先手を打った。
辛うじて、これを撃退。
四日、壬戌(みずのえいぬ)、天晴、村雨晴陰、
去る夜、江州矢島、引手(出勢)これあり、
夜討ちに、三好方、坂本まで三千計り罷り向ふと云々、
計略に依り、具足以下、済々(多くの者が)これを捨て、
卅人計り討たるゝと云々、
【重史087】(「言継卿記」)
義昭は、六角承禎の離反を知った。
六角氏は、三人衆と通じていた。
矢島は、手薄。
「急がねばならぬ」
義昭は、我が身の危機を察知した。
武田信玄がこれらを見ていた。
以下の書状は、斎藤龍興の重臣四人が連署の上、武田信玄の重臣と思われ
る人物へ送ったものである。
当時の状況がよくわかる (「中島文書」永禄九年閏八月十八日付①~④) 。
斎藤氏と武田氏は、良好な関係にあった。
書き出し部分である。
去々月(七月)、此方(斎藤氏)使僧帰路の節、
尊書幷(ならびに)貴国(武田)家老両人より芳問、
何れも以って拝披致し候、
条々、御懇(ねんご)ろの趣、本望の至りに候、
それ以来、則ち、太守(武田信玄)へ、
龍興申し展(の)べらるゝべく候と雖も、
遠山かたへ始末迎送せられ、彼方誓紙已下相固め、
御左右(知らせ)の旨たるべく候条、
内々、待ち入り存じ候、
但し、その先に及ばず、申さるべく候歟、
是れまた、御指南次第に候、
両所へ愚報、恐れながら御伝達預かるべく候、
【重史088】(「中島文書」①/④)
義昭は、美濃と尾張の和睦を進めた。
すべては、上洛のため。
双方が、望んだからではない。
一、濃・尾間のこと、先書に申し入る如く候、
公方様御入洛につきて、織田上総(信長)、参陣御請け申すの条、
尾州に対し此方矢留の儀、同心せしむれば忠節たるべきの由、
仰せ出だされ候、
斎藤氏は、信長を信用していない。
親の代から、敵同士。
他に、言葉はない。
(信長の)参陣一向不実に存じ候と雖も、
信長もまた、斎藤氏を信用していない。
「相互不信」
これが、この時代の風潮だった。
一手違えれば、そこは地獄。
「消滅」
これが、戦国時代。
斎藤氏は、和睦を受け入れた。
義昭の顔を立てた。
不承不承の体である。
肯(がえん)ぜずに(あえて)、申すは、
濃州として、相妨げ、御入洛の条、已(すで)に越度に非ずの通りに
申し成すべく、巧(わざ)と分別せしめ候、
若し又、治定に於いては、公儀御為、然るべしと存じ候、
旁(かたがた)以って悉(ことごと)く御下知に任すの由、
細川藤孝は、そのために奔走していた。
美濃・尾張間の調整。
苦労の末、ようやく、ここまで漕ぎ着けた。
細川兵部大輔(藤孝)殿に、返すがえし申し候間の事、
【重史088】(「中島文書」②/④)
にもかかわらず・・・・・。
⇒ 次へつづく
