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本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性3 そ第158話④ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性3 そ第158話④ 

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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
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そ第158話④

 【参照】 ←◎第158話 ←第158話
 【参照】 2光秀の年齢と嫡男光慶 ← (1)光秀の素性 ←
   1素性  そ第53話 そ第54話① そ第54話② そ第54話③
   2争乱  そ第155話① そ第155話②
   
3下剋上 そ第156話① そ第156話② そ第157話① そ第157話②
  
      そ第158話① そ第158話② そ第158話③ そ第158話④
        
そ第158話⑤

道三の下剋上3 頼純の死 4/4

天文十六年1547、信長、初陣。 

 信長は、三河の吉良大浜に出陣した(愛知県碧南市音羽町)。
 初陣である。
 平手政秀が後見役をつとめた。
 信長、十四歳の時。

  翌年(天文十六年)、織田三郎信長、御武者始め(=初陣)として、
  平手中務丞、その時の仕立(準備して調えた)、
  くれなゐ筋のづきん、はをり、馬よろひ(鎧)の出立(いでたち)にて、
  駿河より人数入れ置き侯、三州の内、吉良大浜(=今川の属城)へ御手遣
  ひ。
  所々、放火侯て、其の日は、野陣を懸げさせられ、
  次の日、那古野に至つて御帰陣。
                      【重史058】(『信長公記』)

同じ年、頼純は、道三に殺された。

 ついに、その時が来た。
 道三は、手段を選ばない。
 頼純を毒殺した。
 享年、二十四。

 のみならず、その弟をも。

  其の後、
  土岐殿(頼武)御子、息次郎(頼純)殿・八郎殿とて、御兄弟これあり。

  忝くも、次郎殿を聟(むこ)に取り、
  宥(なだ)め申し、毒飼を仕り、殺し奉り、

  其の娘を又、御席(むしろ)直し(=後妻)にをかせられ侯へと、
  無理に進上申し侯。 

  主(ぬし)は、稲葉山に居(す)ゑ申し、
  土岐次郎殿(八郎か?)をば、山下に置き申し、
  五三日に一度づゝ参り、御縁に畏まり、
  御鷹野へ出御も無用、
  御馬などめし侯事、是れ又、勿体なく侯と申しつめ、
  籠(かご)の如くに仕り侯間、
  雨夜の紛れに忍び出で、御馬にて、尾州を心がけ御出で侯ところ、
  追い懸け、御腹めさせ侯。
                     【重史027】(『信長公記』)

 父頼武は、大永五年1525に、行方知れず(没落)。
 すでに、死去していたものと思われる。 →そ第155話②
 
 「土岐殿」とは、その頼武のこと。
 「土岐次郎殿」は、同氏の後継者の名。
  となれば、頼武→頼純→八郎、ということなのだろうか。

 同様の記述が、「春日文書」にもある。→【 重史 024】 

 【参照】道三の下剋上1 頼純の反撃 そ第156話① 「春日文書」   
 【参照】12光秀と斎藤道三 1光秀の少年時代  79 「春日文書」
 【参照】12光秀と斎藤道三 3光秀の青年時代  小 第85話
                           『信長公記』 

道三は、典型的な戦国武将。

 道三は、「国盗り」をめざしていた。
 「守護は、一人」
 それで、十分なのである。
 頼純は、娘婿。
 なれど、邪魔者。
 道三は、躊躇せず。
 その「隙」を衝いた。
 正に、下剋上の権化。
 凄まじい人物だった。 
 これが、戦国時代。
 恐ろしい時代だった。 

光秀は、その渦中にいた。

 光秀は、この一部始終を見ていた。

 頼純の家臣は、それ程、多くは、なかっただろう。 
 主君と家臣との距離が、近かったように思う。
 光秀は、「土岐の随分衆なり」。 →【重史002】 
 もしかすれば、言葉を交わすことが、あったのかもしれない。

 光秀は、この様な時代を生きていた。
 光秀は、この時、二十四±四歳。 →◎第77話 そ第77話
 未だ、独身。 →◎第72話 ◎第151話
 光秀の青年時代は、道三の下剋上の中にあった。

光秀は、牢人になった。

 光秀は、主君を失った。
 道三は、その仇。
 光秀は、越前へ逃げた・・・・・。

 光秀の雌伏時代は、ここから、始まった。
 
天文十六年1547~永禄十年1567の20年間。 

 これにらついては、後述する。



 ⇒ 次へつづく



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