本能寺の変158 【重史010】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史010】『日本史』
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
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1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】 【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 251026
【重史010】
①佐久間殿は、信長の総司令官であり、
②もっとも高位で、富み、かつ強力な殿であった。
③彼は・・・戦いにおいてあまり活躍せぬばかりか、
④むしろいくぶん怠慢でもあったので、
⑤彼が身分の高いこと・・・有力であることを考慮せず、
⑥いつかは必要とする人物であることを考えることなく、
⑦信長は・・・彼をその息子(正勝)とともに追放してしまい、
『日本史』
天正八年1580、八月**。 1580108**
フロイスの佐久間信盛評である。
この頃、フロイスは九州にいた。 →経歴 ◎第7話 第7話
畿内方面には、盟友オルガンティーノがいる。
信盛は、大坂攻めの総指揮官。
織田家の重臣筆頭者。
大身であり、家中最大の軍事力を有していた。
名実ともに、織田家臣団のナンバー1だった。
佐久間(信盛)殿は、信長の総司令官であり、彼が政庁において有する
もっとも高位で、富み、かつ強力な殿であった。
にもかかわらず、・・・・・。
ところで彼はその性格から戦いにおいてあまり活躍せぬばかりか、
むしろいくぶん怠慢でもあったので、
信長は、合理主義者。
無駄を嫌う。
重臣筆頭者といえども容赦しない。
「虎視眈々」
そのタイミングを窺っていた。
そして、事件が起きた。
「要らぬ」
すなわち、排除。
信長は彼が身分の高いことやその親族が有力であることを考慮せず、
また彼が将来いつかは必要とする人物であることを考えることなく、
彼をその息子(正勝)とともに追放してしまい、
信盛は、非業の最期を遂げた。
信盛は流謫(るたく)中に死去するに至った。
(『日本史』)
【引用】【粛清 佐久間信盛】
【四国問題】 天正十年1582 五月十二日
そ第7話⑥
◎第14話 第14話
【参照】【四国問題】
天正八年1580
天正九年1581
天正十年1582
【参照】【四国問題 概要】
天正八年1580
天正九年1581
天正十年1582
⇒ 次へつづく
