本能寺の変1582 【重要史料8】 141~160 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重要史料8】 141~160
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】 【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重要史料8】 141~160
【重史141】 そ第11話㉘ 永禄12 1569003**
①信長は、建築作業に従事しており、
②濠橋の上で待った。
③彼は、約二時間、ゆったりした気分で、彼と語らった。
④どれくらいの道のりがあるのか
⑤かくも遠隔の国から日本に渡ってきたのか
⑥信長は、仏僧の方を指さし、憤激して言った。
⑦予は、幾度も、彼らを殺害し、殲滅しようと思っていたが、
『日本史』
【重史142】 そ第11話㉙ 永禄12 156900414
①通常二万五千人が働き、少ない時でも、一万五千人を数えた
②彼は多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場に引かしめた。
③信長は、ほとんどつねに、座るために虎皮を腰に巻き、
④一兵士が、戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、
⑤信長は、一同の面前で、手ずから彼の首を刎ねた。
⑥少なくとも、二、三年はかかると思われたものを、
⑦彼は、ほとんどすべてを七十日間で完成した。
『日本史』
【重史143】 そ第11話㉙ 永禄12 156900414
四月十四日、武家、勘解由小路室町え御座を移さると云々、
「言継卿記」
【重史144】 そ第11話㉙ 永禄12 156900421
①御前へ、信長、召し出だされ、
②忝くも、三献の上、公儀御酌にて御盃、
『信長公記』
【重史145】 そ第11話㉙ 永禄12 156900421
①御盃頂戴、御太刀・御馬進上、
②各(おのおの)、涙ども落すなり、
③御門外までこれを送られ、東の磊上に御成り、
④粟田口へ入るまで御遠見なり、
「言継卿記」
【重史146】 そ第11話㉚ 永禄12 156900421
①彼は、中くらいの背丈で、華奢な体軀であり、
②髯は少なく、はなはだ声は快調で、
③名誉心に富み、正義において厳格であった。
④自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。
⑤酒を飲まず、食を節し、
⑥人々は彼に絶対君主に対するように服従した。
⑦彼は、戦運が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。
⑧迷信的慣習の軽蔑者であった。
⑨霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。
⑩何ぴとも武器を携えて彼の前に罷り出ることを許さなかった。
『日本史』
【重史147】 そ第11話㉑ 永禄10 1567004**
①織田上総介平信長、伊勢の国を取んとし給ふ、
②滝川左近大夫将監一益を大将として、勢州北方へ向かる、
③信長、始めて、桑名表へ発向し給ふに、
④神戸長(おとな)、山路弾正正忠が城、高岡を取り巻き給ふ時、
⑤信長、勢を打ち入れ、岐阜へ帰り給ふ、
「勢州兵乱記」
【重史148】 そ第11話㉒ 永禄11 1568002**
①永禄十一年二月、信長、又、勢州へ発向、
②神戸へ、使者を以って、神戸蔵人大夫と無事に成る、
③信長の三男、三七殿、拾三歳の時、養子に遣わさる、
「勢州兵乱記」
【重史149】 そ第11話㉓ 永禄11 1568002**
①北伊勢八郡、信長の御手に入り、
②工藤分は、上野殿与力に定まり、
③関分は、三七殿与力に定まる、
④北方諸侍分は、滝川家与力に定まる、
「勢州兵乱記」
【重史150】 そ第11㉕02 永禄12 156900114
①御袖判(義昭) 殿中御掟
②御部屋衆・定詰衆・同朋以下、
③公家衆・御供衆・申次は、
④惣番衆面々、
⑤公事篇の
⑥奉行衆の
⑦弾正忠判(信長)
「仁和寺文書」
【重史151】 そ第11㉕02 永禄12 156900116
①追加
②請取り沙汰、停止の事、
③直訴訟、停止の事、
④訴訟の輩在らば、奉行人を以って言上致すべき事、
⑤弾正忠判
「仁和寺文書」
【重史152】 そ第11⑩01 天正08 158000612
①三好式部少輔の事、此方(こなた)に別心なく候、
②猶、三好山城守(康長)、申すべく候也、
「古証文」「織田信長文書の研究」
【重史153】 そ第11⑩01 天正08 158000614
①爾来(じらい=以来)、申し承らず候、
②仍って、阿刕(あしゅう=阿州)表の儀に就きて、
③信長より、朱印を以って、申され候、
「古証文」「織田信長文書の研究」
【重史154】 そ第11⑩01 天正08 158000626
①土佐国補佐せしめ候長宗我部土佐守、
②惟任日向守、執奏にて、
③御鷹十六聯、幷(ならび)に砂糖三千斤、進上。
『信長公記』
【重史155】 そ第11⑩03 天正08 158000714
①右府信長、御上洛の由、申すの間、
②山科に至り罷り出で、数刻相待つ、
③御迎え、各、無用の由、仰せなり、
「兼見卿記」
【重史156】 そ第11⑩03 天正08 158000723
①聊(いささ)かも難渋せしむれば、成敗を加ふべき者なり、
②天正八年七月廿三日 光秀 加茂ノ庄惣中
「明智光秀史料で読む戦国史」
【重史157】 そ第11⑩03 天正08 1580007**
①定 宮田市場
②一、喧嘩・口論・押買・狼藉、停止の事、
③違犯の輩においては、速やかに巌科に処すべきもの也、
「亀岡市史」
【重史158】 そ第11話⑪ 天正08 158000804
①飯川治部入道(秋共)、書状到来、
②今度、丹後国、長岡兵部(細川藤孝)大輔に仰せ付けらるゝ也、
③鎧(よろい)借用の事、
「兼見卿記」
【重史159】 そ第11話⑪ 天正08 158000813
①其国(丹後)に至り、早々、参着候由、尤も以って然るべく候、
②様子に於ては、惟任かたより、具(つぶさ)に申し越し候、
「細川家文書」
【重史160】 そ第11話⑪ 天正08 158000815
十五日、壬子(みずのえね)、右府信長、大坂表へ御出陣、「兼見卿記」
⇒ 次へつづく
