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本能寺の変1582 【重史141】 『日本史』 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史141】 『日本史』 

はじめに ←目次 
【重要史料】  【重史一覧】
 
【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
 【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
 【信長という男】
1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 【重史146】
 【5月26日】 【5月27日】 【5月28日】 【5月29日】 ← 
重要 ◎目次 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】
 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 251218 

【重史141】

①信長は、建築作業に従事しており、

②濠橋の上で待った。

③彼は、約二時間、ゆったりした気分で、彼と語らった。

④どれくらいの道のりがあるのか

⑤かくも遠隔の国から日本に渡ってきたのか

⑥信長は、仏僧の方を指さし、憤激して言った。

⑦予は、幾度も、彼らを殺害し、殲滅しようと思っていたが、

                        『日本史』


 永禄十二年1569、三月**日。
            1569003**

  和田惟政は、次の機会を窺っていた。
  前回は、会話不成立。         →【重史140】 そ第11話㉗
  意思の疎通が出来ず。
  失敗だった。
  
   (和田惟政は)信長に対し、彼(フロイス)のことを話し、
   彼を引見するよう説得すべく毎日機会を窺った。

   信長は、和田殿に対して、愛着の念を抱いていたので、
   ついに、司祭を再度連れて来るように、そうすれば彼を引見しよう
   と、述べるに至った。
                            (『日本史』)

  信長は、再び、フロイスに会った。
  信長は、普請現場にいた。
  「濠橋の上で」
  「板に腰をかけ」
  フロイスを引見。
  言葉を交わした。
  興味深かったのだろう。
  「約二時間」
  「ゆったりした気分で」、とある。
  「懇談」した、と言うべきか。
  様変わりである。

   信長は、建築作業に従事しており、遠方から司祭が来るのを見ると、
   濠橋の上で待った。
   同所では、六、七千以上の人が働いていた。
   司祭が遠くから信長に敬意を表した後、
   彼は司祭を呼び、橋上の板に腰をかけ、陽があたるから帽子をかぶる
   ようにと言った。
   そこで、彼は、約二時間、ゆったりした気分で、留まって、彼と語ら
   った。
                            (『日本史』)

  信長は、フロイスに強い関心を示した。
  信長は、尋ねた。
  以下、質疑の数々。
  これでは、二時間もアッという間。

   彼は、ただちに質問した。

   年齢は、幾つか。

   ポルトガルとインドから日本に来て、どれくらいになるか。

   どれだけの期間、勉強をしたか。

   親族は、ポルトガルで、ふたたび汝と会いたく思っているかどうか。

   ヨーロッパやインドから、毎年、書簡を受け取るか。

   どれくらいの道のりがあるのか。

   日本に留まっているつもりかどうか、と。

   そしてこれらあまり重要でない前置きの質問をした後、
                            (『日本史』)

  話は、布教活動のことへ。

   当国で、デウスの教えが弘まらなかった時には、インドへ帰るかどう
   か、と訊ねた。

   これに対して、司祭は、ただ一人の信者しかいなくても、いずれかの
   司祭がその者のために、生涯その地に留まるであろうと答えた。
                            (『日本史』)

  そして、教会(南蛮寺)のこと。
  イエズス会は、仏僧たちに迫害されていた。

   次いで彼は、何ゆえ、都に我らの修道会の家がないのか、と質問し
   た。

   そこでロレンソ修道士は、
   穀物が発芽するに際しては、棘が非常に多く、たちまちそれを窒息
   せしめた。
   すなわち、仏僧たちは、
   ある名望ある人物がキリシタンになると認めるや、
   さっそく司祭たちを追放し、デウスの教えの宣布を阻止する手段を
   尽くした。
   それゆえ、キリシタンになりたい者は多いが、この妨害に接して延期
   するのである。

   ところで、ここにイエズス会の家が一軒あったが、
   五年前に、司祭は不当にも理由なく同所から放逐されたのだ、
   と答えた。
                            (『日本史』)

   信長は、 伴天連たちの勇気に感嘆した。
  これこそ、信長の好むところ。
  信長は、大いに気に入った。

   さらに、彼は、伴天連はいかなる動機から、かくも遠隔の国から日本
   に渡ってきたのかと訊ねた。

   司祭は、
   日本に、この救いの道を教えることにより、
   世界の創造主で、人類の救い主なるデウスの御旨に添いたいという望
   みのほか、司祭たちにはなんの考えもなく、なんらの現世的な利益を
   求めることもなく、これを行なおうとするのであり、

   この理由から、
   彼らは、困苦を喜んで引き受け、長い航海に伴う、いとも大いなる恐
   るべき危険に、身を委ねるのである、と返事した。
                            (『日本史』)

  信長は、仏僧たちに、悪感情を抱いていた。
  「憤激」、「欺瞞」、「欺き」、「偽り」、「虚言」、「傲慢」、
  「僭越」、「すべて殺害」、「殲滅」等々。
  激烈な言葉がつづく。
  叡山焼討は、二年後のこと(元亀二年1571) 。
  この時、すでに、その下地が出来上がっていた。

   そこの全群衆は、信長がいとも真剣に聞き訊ね、伴天連が答弁してい
   る光景を、固唾をのんで見守っていた。
   信長は、尋常ならぬ大声の持ち主であったから、声を高め、手で仏僧
   の方を指さし、憤激して言った。

   「あそこにいる欺瞞者どもは、汝ら伴天連たちのごとき者ではない。
    彼らは、民衆を欺き、己を偽り、虚言を好み、
    傲慢で僭越のほど、はなはだしいものがある。
    予は、すでに、幾度も、彼らをすべて殺害し、殲滅しようと思っ
    ていたが、
    人民に動揺を与えぬため、また彼ら(人民)に同情しておればこそ、
    予を煩わせはするが、彼らを放任しているのである」と。
                            (『日本史』)


 【引用】【信長という男】 2/5
      そ第11話㉘

 【参照】光秀と光慶 (3)光秀の嫡男
     そ第11話㉔ 永禄12 本國寺1 明智十兵衛 史公◎11 11
     そ第11㉕01 永禄12 本國寺2 信長上洛  史公◎11 11
     そ第11㉕02 永禄12 殿中御掟      史✓◎11 11
     そ第11話㉖ 永禄12 義昭御所 藤戸石  史公◎11 11
     そ第11話㉗ 永禄12 フロイス1 初接触  史 ◎11 11
     そ第11話㉘ 永禄12 フロイス2 普請現場 史 ◎11 11
     そ第11話㉙ 永禄12 フロイス3 正義感  史 ◎11 11
     そ第11話㉚ 永禄12 フロイス4 人物像  史 ◎11 11



 ⇒ 次へつづく

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