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本能寺の変1582 【信長という男】 4/5 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【信長という男】 4/5

はじめに ←目次 
【重要史料】  【重史一覧】
 
【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
 【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
 
【信長という男】 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 結論 【重史146】
 【5月26日】 【5月27日】 【5月28日】 【5月29日】 ← 
重要 ◎目次 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】
 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正

【信長という男】 4/5

                        1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 結論

⑩信長は、忍耐強い。
 粘り強い→しつこい=執拗→執念深い。


  彼は、戦運が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。

⑪信長は、理性的であり判断力に優れていた。
 フロイスが、そう言っている。
 正に、つけ入る「隙」のない男。
 歴史上、空前絶後の人物だった。

  彼は、善き理性と明晰な判断力を有し、

 そして、このことが、信長の過度な合理主義へと繋がっていく。
                 →【粛清 佐久間信盛】 【重史240】

⑫信長は、神仏を信用していない。
 尊崇は、している。
 だが、信じてはいない。

  神および仏のいっさいの礼拝、尊崇、
  ならびにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。

  形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、
  顕位に就いて後は尊大にすべての偶像を見下げ、
  若干の点、禅宗の見解に従い、
  霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。

⑬信長は、清潔な人だった。
 潔癖主義者的な人物だったのだろう。

  彼は自邸においてきわめて清潔であり、

⑭信長は、完璧主義者。

  自己のあらゆることをすこぶる丹念に仕上げ、
                       【重史146】『日本史』

なかなか、気難しい性格である。
この様な信長の期待に、見事に、応えたのが、光秀と秀吉の二人だった。



 ⇒ 次へつづく

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