本能寺の変1582 【重史69】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史069】 「天王寺屋会記」
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説 目次中
1時代の風潮 2光秀の年齢と嫡男光慶 3光秀という男 4光秀の苦悩
5志向の相違 +信長の油断
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史069】 そ第201話②
正月九日朝 惟任日向守殿会
「天王寺屋会記」
天正八年1580
一月九日。
光秀は、坂本城にいた。
この日、年始の茶会を催した。
堺より、津田宗及。
嫡男光慶も、登場している。
正月九日朝 惟任日向守殿会
一床にすゞはち(錫鉢)に紅梅の大枝一ツ、但、手水間にのけられ候、
一長板 八角釜 風炉
芋頭(いもかしら)水指、但、梅雪(不住庵)所持なり、
道設(草部屋)かうらい茶碗 備前水下
御振舞、 上様より拝領の生靍(つる)一種、吹物に、
鳥子皿、宗及みやげに参り候皿に入て、
酒三遍斗、 菓子 ふぉつす(小壺)のやうなるふたのある物に、
昼、御成の間にて、
床に三ぷく一ついの絵、かけて、
本膳七ツ 二膳五ツ 三膳五ツ 色々引物
金ニダミテ、
御子息(十五郎光慶)より、小袖二重給い候、数四ツ
(「天王寺屋会記」)
【引用】そ第201話②
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