本能寺の変1582 【重史250】 「イエズス会日本年報」 №6-053 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史250】「イエズス会日本年報」 №6-053
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信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
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3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
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→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史250】 №6-053
①安土山の市は、信長の甚だ重要視する所であったから、
②(ヴァリニャーノは)セミナリヨをここに置くことを希望し、
③カザ(修道院)の最上層に、甚だ立派な広間を造った。
④オルガンティーノが・・・集めた少年武士二十五、六人
⑤有馬のセミナリヨ・・・と同一の注意・規則及び時間割
⑥当地方の人は、性質良く、才識あり、高雅にして言語洗練
⑦信長は、聖堂を非常に壮麗宏大なるものとすることを希望
⑧数回、パードレと語った。
⑨聖堂ができたらば、当城のキリシタンは増加するであろう。
「イエズス会日本年報」
天正九年1581、三月**。 1581003**
ヴァリニャーノは、安土にセミナリオ(神学校)を開校した。
安土山の市は、信長の甚だ重要視する所であったから、
ビジタドール(ヴァリニャーノ)は、
都地方に設くべきセミナリヨをここに置くことを希望し、
直にカザ(修道院)の最上層に、甚だ立派な広間を造った。
学校長は、オルガンティーノ。 →【人物】 「日本巡察記」
オルガンティーノは、1532(天文元年)、イタリアの生れ。
イエズス会に入会。
ジェノア(イタリア)→リスボン→ゴア→マラッカ→マカオ→日本(天草)。
1576(天正四年)、フロイスから、都地方長の職を受け継いだ。
而して、
パードレ(宣教師=伴天連)オルガンティーノが、この目的のために集めた
少年武士二十五、六人が、今、ここに居り、
セミナリオは、九州有馬にもあった。
現 長崎県南島原市南有馬町。
キリシタン大名有馬晴信の領地。
ビジタドールは、有馬のセミナリヨに与へたのと同一の注意・規則及び時
間割を与へた。
我等は、この学校において、有馬に劣らざる成績を挙げんことを期待して
ゐる。
ヴァリニャーノたちの日本人観。
当地方の人は、性質良く、才識あり、高雅にして言語洗練され、
宮廷に育ち何事にも優れてゐる故、更に大なることが期待さるる。
信長は、イエズス会の強力なスポンサー。
今、地所の周壁を築き終り、ここに建築すべき甚だ立派な聖堂の材料を集
めてゐる。
信長は、聖堂を非常に壮麗宏大なるものとすることを希望して、
信長は、何度も、ヴァリニャーノと語り合った。
信長の傾注ぶりが、よくわかる。
数回、パードレと語った。
全ては、信長のおかげ。
ヴァリニャーノは、そう思っていた。
この聖堂ができたらば、当城のキリシタンは増加するであろう。
(「イエズス会日本年報」)
【参照】
安土に滞在中のヴァリニャーノの主要な任務の一つは、この地で、すでに
準備が整っているセミナリオを、開校せしめることであった。
前年から、高山右近の協力によって、身分のある少年達が、神学生として
選ばれており、
巡察師は、先に、有馬の学校に与えたのと同様の注意と規則を付与し、
初代の校長にオルガンティーノを任命した。
(「日本巡察記」解題)
【引用】【京都馬揃え】【さらなる夢】
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