本能寺の変1582 【重史245】 『信長公記』 №6-042 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史245】 『信長公記』 №6-042
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*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史245】 №6-042
①然れば、隣国の群集、晴れがましきに付けて、爰を肝要と、
②我れ劣らじと、あらゆる程の結構、生便敷(おびただしく)、
③数百人の事なれば、一々には、しる(記)し得ず。
④辰の刻より未の刻(8時頃~14時頃)まで、めさせられ、
⑤駿馬(しゅんめ)の集まり、記しがたし。
『信長公記』
天正九年1581、二月二十八日。 158100228
近隣諸国の大小名も、参加していた。
彼らの出で立ちもまた、華やかなものだった。
然れば、
隣国の群集、晴れがましきに付けて、爰を肝要と、
思ひ々々の頭巾、出で立ちは、我れ劣らじと、
あらゆる程の結構、生便敷(おびただしく)、
各、手を尽し、
面々の衣装、
下には過半、紅梅・紅筋、
上着は薄絵、唐縫物、金欄、唐綾、狂文(=様々な文様)の小袖、
側次(そばつぎ=羽織)、袴同前、各、腰簑付けられたり。
或ひは、きんへい(金幣)、或ひは紅の糸、
縫物を切りさき(=指物や幟の一つ)にして、付けられたるもあり。
馬具、押懸(=馬に懸ける飾り緒)、鞦(しりがい=馬の尻にかける組緒)、
三尺縄(=手綱)、
各、上品の紅の糸を以て総房にくませられ、
又、金襴緞子を以てつゝませて、総房にきんへい、紅の糸を付けたるも
あり。
又、五色の糸にてくませたる鞦もあり。
蹈皮(たび)、草鞋(わらじ)等に至るまで、皆、五色の糸にて作らせ、
太刀は、過半のし付なり。
生便敷(おびただしき)したて、結構と申すは、中々おろかなり。
数百人の事なれば、一々には、しる(記)し得ず。
馬揃えは、辰の刻から未の刻(8時頃~14時頃)まで行われた。
初めは、一与(くみ=組)に十五騎つゞと、仰せ出だされ候へども、
ひろき御馬場にて、三与四くみづつ、一手になり、
入りちがへ々々々々々、透間(すきま)なく、
馬に行き当たり候はぬ様に、埒(らち)を右より左へ乗りまはし、
辰の刻より未の刻まで、めさせられ、
駿馬(しゅんめ)の集まり、記しがたし。
信長は、幾度も、馬を乗り変えた。
勿論、御料(=信長が飼っている)の御馬、細々(再々)めしかヘさせられ、
誠に、飛鳥なんどの如くなり。
関東より祗侯の矢代勝介、是れにも御馬乗らさせらる。
(『信長公記』)
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