本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 4/8 №6-031 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【光秀という男】 結論 4/8 №6-031
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1時代の風潮 2二人の個性 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【光秀という男】 結論 4/8 №6-031
天正八年1580、「本願寺、退城」 。
戦いが終われば、粛清が始まる。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史163】
信長は、合理主義者。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史168】
無駄を嫌う。
「役に立つのか、立たぬのか」
その様な目で、重臣たちを見ていた。
佐久間信盛は、大坂攻めの総指揮。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史010】
織田家の重臣筆頭者。
大身であり、家中最大の軍事力を有していた。
信長は、忍耐強く、執念深い。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史167】
根に持つタイプ。
後で、必ず、蒸し返す。
信長は、信盛をよく見ていた。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史238】
元亀三年1572、「三方ヶ原の合戦」。
天正元年1573、「朝倉破軍の刻(きざみ)」。
そして、事件が起きた。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史010】
信長は、重臣と雖も容赦しない。
信盛を「追放」
すなわち、「粛清」=排除。
信長は、粛清の人。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史163】
不意を衝く。
恐ろしい男なのである。
信盛は、非業の最期を遂げた。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史010】
十津川の湯にて、死す。 →【粛清 佐久間信盛】 【重史173】
織田家中に戦慄が走った。
特に、重臣たち。
「見せしめ」・・・・・。
そう、思ったに違いない。
光秀は、大きな衝撃を受けた。
「明日は、我が身」、である。
すなわち、
光秀には、粛清への恐怖心があった。
と、いうことになる。
のみならず、秀吉にも、勝家にも・・・・・。
当然、そうなるであろう。
これに、さらに、諸因が積み重なって行く。
それらが、積もりに積もって、
光秀は、苦悩する。
そして、
ついには、極限状態に追い込まれる。
だが、
光秀は、知っていた。
その解決方法を・・・・・。
なれど、・・・・・。
ところが、・・・・・。
光秀は、・・・・・。
それが、「本能寺の変」。
すなわち、
光秀の、粛清への恐怖心が、その一因となった、
と言える。
⇒ 次へつづく
