本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 5/x №6-037 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【光秀という男】 結論 5/x №6-037
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1時代の風潮 2二人の個性 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断
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【光秀という男】 目次
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【光秀という男】 結論 5/x №6-037
天正九年年1581、「京都馬揃え」 。
信長は、これを光秀に命じた。
正月廿三日、惟任日向守に仰せ付けられ、
京都にて、御馬揃へなさるべきの間、
各(おのおの)及ぶ程に結構を尽し、罷り出づべきの旨、
御朱印を以て、御分国に御触れこれあり。
【重史191】『信長公記』
イエズス会の巡察師ヴァリニャーノが、上洛。
信長に、拝謁した。
二月廿三日、きりしたん(切支丹)国より黒坊主参り候。
年の齢(よわい)廿六、七と見えたり。
惣の身(全身)の黒き事、牛の如し。
彼の男、健やかに器量(立派な体格)なり。
しかも、強力十の人に勝(すぐ)れたり。
伴天連、召し列れ参り、御礼申し上ぐ。
誠に御威光を以て、古今承り及ばざる三国(日本・中国・インド)の名物、
か様に希有の物ども、細々拝見、有りがたき御事なり。
【重史242】『信長公記』
この時、九州にいたルイス・フロイスも、これに同行している。
→【重史014】 【人物】
フロイスとの出会いについては、以下を参照。
【重史140】 永禄12 156900313
①司祭が都に到着して三日を経、
②和田殿は、司祭が信長の許へ伺候する準備整えた。
③信長は、邸の奥に入っていて、音楽を聞いていた。
④信長は、贈物を見た後、ビロードの帽子だけを受理した。
⑤幾千里もの遠国から、はるばる日本に来た異国人たちを、
『日本史』
【重史141】 永禄12 1569003**
①信長は、建築作業に従事しており、
②濠橋の上で待った。
③彼は、約二時間、ゆったりした気分で、彼と語らった。
④どれくらいの道のりがあるのか
⑤かくも遠隔の国から日本に渡ってきたのか
⑥信長は、仏僧の方を指さし、憤激して言った。
⑦予は、幾度も、彼らを殺害し、殲滅しようと思っていたが、
『日本史』
【重史142】 そ第11話㉙ 永禄12 156900414
①通常二万五千人が働き、少ない時でも、一万五千人を数えた
②彼は多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場に引かしめた。
③信長は、ほとんどつねに、座るために虎皮を腰に巻き、
④一兵士が、戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、
⑤信長は、一同の面前で、手ずから彼の首を刎ねた。
⑥少なくとも、二、三年はかかると思われたものを、
⑦彼は、ほとんどすべてを七十日間で完成した。
『日本史』
信長は、きわめて、好意的だった。
ヴァリニャーノ一行を大いに歓待した。
フロイスは、この時の会見について、
「長時間種々のことについて語った」
「信長としては非常な好意であった」
「諸人皆驚いた」
と、本国に報告している。
(天正九年四月十四日付「イエズス会日本年報」上124P)
信長は、東アジアにおける彼らの行動に大きな関心を持っていた。
「どれくらいの道のりがあるのか」
「かくも遠隔の国から日本に渡ってきたのか」
・・・・・。
そして、
このことが、信長の「さらなる夢」へと繋がっていく。
⇒ 次へつづく
