本能寺の変1582 【重史164】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史164】 『信長公記』
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】 【信長の人物像】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史164】 ◎第11話 3~4/19
①丹波国、日向守が働き、天下の面目をほどこし候。
②次に、羽柴藤吉郎(秀吉)、数ヶ国比類なし。
③池田勝三郎、小身といひしも、
④柴田修理亮、右の働き聞及び、
『信長公記』
天正八年1580、八月**日。 1580008**
【重史163】 1~2/19 【重史164】 3~4/19 【重史165】 5~6/19
光秀は、出来る男。
キレ者である。
信長は、光秀を褒め称えた。
信長は、光秀の積極的な姿勢を誰よりも高く評価していた。
織田家は、急拡大・急成長を続けていた。
その先駆けとなったのが明智光秀。
謂わば、光秀は織田家中の牽引者。
すなわち、出世頭だった。
信長は、光秀と信盛を比較した。
3 一、丹波国、日向守が働き、天下の面目をほどこし候。
次に、羽柴秀吉。
これに同じ。
出来る男である。
次に、羽柴藤吉郎(秀吉)、数ヶ国比類なし。
【参照】そ第11話⑥ 3 24本願寺退城 天正08 秀吉台頭 播但因
秀吉は、光秀をマークしていた。
この頃は、まだ、光秀の方が、一歩、先んじていた。
「追いつき、追い越せ」
秀吉は、光秀をライバル視。
猛追していた。
同じ穴の狢(ムジナ)。
「同類」
油断できぬ相手。
信長は、絶対専制君主。
この二人を競わせた。
すなわち、競争の原理。
自ずと、そうなったのであろう。
結果としては、導入したことになる。
組織の活性化。
後につづく者たちが、次々に、現れた。
当然、そうなる。
池田恒興、然り。
然うして、池田勝三郎、小身といひしも、
程なく、花熊申し付け(花隈城を攻略した)、
是れ又、天下の覚えを取る。
【参照】そ第11話⑦ 3 25本願寺退城 天正08 花隈落城 兄弟
それに引き換え、信盛は、・・・・・。
爰(ここ)を以て、我が心を発し、
一廉(ひとかど)の働き、これあるべき事。
光秀は、家臣らの手本だった。
信長は、光秀を基準にして、家臣らを評価した。
光秀は、実に、好ましい存在だった。
織田家中に、大きな刺激を与えた。
柴田勝家は、その活躍を見て発奮した。
越前を領していながら、天下の評判を気に懸けて。
見事、加賀の攻略を成し遂げた。
4 一、柴田修理亮、右の働き聞及び、一国を存知ながら、
天下の取沙汰(評判)、迷惑に付きて(気に懸けて)、
此の春、賀州に至りて、一国平均に申し付くる事。
(『信長公記』)
【参照】そ第11話⑥ 3 24本願寺退城 天正08 秀吉台頭 播但因
北国では、柴田勝家が、能登・加賀二ヶ国を平定している。
【参照】4 光秀の苦悩 4粛清の怖れ 第10~15話 ◎小 小
◎第10話① ◎小10① 第10話① 小 伽藍炎上
✓ 第10話② 小 塙直政
◎第11話 ◎小11 第11話 小 折檻状①~⑥/⑲
◎第12話 ◎小12 第12話 小
◎第13話 ◎小13 第13話 小
◎第14話 ◎小14 第14話 小
◎第15話 ◎小15 第15話 小
【参照】 (3)光秀の嫡男 2-3-3粛清 の怖れ
そ第11話⑬ 3 31佐久間信盛1 油断 ◎11 11
そ第11話⑭ 3 32佐久間信盛2 油断 再編 柴田方式 ◎11 11
そ第11話⑮ 3 33佐久間信盛3 油断 経歴1 ◎11 11
そ第11話⑯ 3 34佐久間信盛4 油断 経歴2 ◎11 11
そ第11話⑰ 3 35佐久間信盛5 油断 経歴3 ◎11 11
⇒ 次へつづく
