本能寺の変1582 【重要史料全】 250716 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重要史料全】 250716
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【 重要史料 】 【全】 【 重史一覧 】 【四国】
→【人物】 【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
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【重要史料1】 001~020
【重史001】 ◎第52話① ◎第52話② 光秀という男
殿内にあって彼は余所者であり、
『日本史』
【重史002】 ◎第53話 天正07 157900610
①美濃国住人、土岐の随分衆なり、
②名誉の大将なり、弓取りはせんじてのむへき事に候、
「立入左京亮入道隆佐記」
【重史003】 ◎第54話 永禄12 156900416
①禁裏御料所、山国庄の事、
②数年、宇津右近大夫(頼重)、押領仕り候を、
「立入宗継文書」
【重史004】 ◎第54話 元亀03 157201211
①濃州より、親類の方、申し上すなり、
②山王の敷地に、新城(坂本城)を普請せしむなり、
「兼見卿記」
【重史005】 ◎第55話 天正10 158200527
①明智光秀張行百韻 天正十年五月廿七日
②時 は今、あめか下なる五月かな、 光秀
③国々は、猶、長閑なる時、 光慶
「続群書類従」
【重史006】 ◎第8話
(四月)十八日、妻木惟向州妹、参宮、 天正07 157900418
(九月)廿五日、惟任姉(妹)妻木、在京の間、罷り 天正07 157900925
「兼見卿記」
【重史007】 ◎第8話 天正09 158100821
①惟任の妹の御ツマキ死におわんぬ、
②向州、比類なく、力を落とすなり、
「多聞院日記」
【重史008】 ◎第8話 ◎小8
①一大艦隊を編成してシナを征服し、 「イエズス会日本年報」
②一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、 『日本史』
【重史009】 ◎第14話 ◎小14
狡兎死して、走狗煮らる、 「史記」越王勾践世家
【重史010】 ◎第14話 ◎小14
佐久間殿は、信長の総司令官であり、 『日本史』
【重史011】 ◎第58話①
万人恐怖、言う莫れ、言う莫れ、 「看聞日記」
【重史012】 ◎第58話② ✓ 天正10 158200507
①今度、四国に至って差し下すに就きての条々、
②讃岐国の儀、一円、其方に申し付くべき事、
③阿波国の儀、一円、三好山城守 (康長) に申し付くべき事、
④信長、淡州に至って出馬の刻、申し出すべきの事、
「寺尾菊子氏所蔵文書」
【重史013】 ◎第7話 ◎小7
惟日、以ての外の所労に依り皈(帰)陣、在京なり、 「兼見卿記」
【重史014】 ◎第7話 ◎小7
(光秀の)長男は十三歳であった。 『日本史』
【重史015】 ◎第51話 ◎小51~小52①②
この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。 『日本史』
【重史016】 ◎第1話 ◎小
さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、 『信長公記』
【重史017】 ◎第1話 ◎小
漸(ようや)く、夜も明け方に罷りなり侯。 『信長公記』
【重史018】 ◎第115話 ✓ 天正10 158200317
我ながら驚き入る計りに候、 「武家事紀」
【重史019】 ◎第116話 ◎小116
路次険難、老足叶うべからざる儀に候間、 「武家事紀」
【重史020】 ◎第74話 ◎小74
中国備中へ、羽柴筑前守相働き、 『信長公記』
【重要史料2】 021~040
【重史021】 ◎第74話 ◎小74
①今度、間近く寄り合ひ侯事、天の与ふるところに侯間、
②中国の歴々討ち果たし、
③九州まで一篇に仰せつけらるべきの旨、
④ (惟任日向守) 先陣として、出勢すべきの旨、
『信長公記』
【重史022】 ◎第70話 ◎小70
①関東八州の御警固を申しつけ、
②老後の覚えに上野に在国仕り、
③東国の儀、御取次、彼れ是れ申しつくべきの旨、
『信長公記』
【重史023】 ◎第77話 ◎小77
①時に、明知、齢(よわい)、六十七、
②齢(よわい)、六十七、
「当代記」
【重史024】 ◎第79話 ◎小79 第79話
①祖父新左衛門慰は、京都妙覚寺法花坊主落ちにて、西村と申し、
②また、父左近大夫(道三)、代々惣領(長井氏)成るを討ち殺し、
「春日文書」
【重史025】 第200話
①惟任方、もと明智十兵衛尉といひて、
②濃州土岐一家牢人たりしか、
③越前朝倉義景を頼み申され、
④長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故、
⑤念珠(ねんごろ)にて、六寮、旧情、甚に付て、
「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
【重史026】 第201話
筒井へ、惟任日向守より申し来たる
「多聞院日記」
【重史027】
①情無く、主の頸を切り、
②毒飼を仕り、殺し奉り、
③大桑を追ひ出し侯。
④むかしは、おさだ、いまは、山しろ、
『信長公記』
【重史028】 そ第78話⑫
一両日中に、御上洛の旨候間、是に、相待ち申し候、 「小畠文書」
【重史029】 そ第78話⑦
惟任日向守、安土より坂本に至りて帰城仕り、 『信長公記』
【重史030】 そ第78話⑩
坂本を打ち立ち、丹波亀山の居城に至り参着。 『信長公記』
【重史031】 そ第78話⑫ そ第78話⑬
①廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣。
②廿八日、西坊にて連歌興行。
③ときは今、あめが下知る五月哉
④五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。
『信長公記』
【重史032】 そ第78話⑬
ときは今、あめかしたしる五月かな、 「惟任退治記」
【重史033】 そ第78話⑭
①五月廿九日、信長公、御上洛。
②御小姓衆二、三十人召し列れられ、御上洛。
③今度は、御伴これなし。
『信長公記』
【重史034】 ◎第65話
三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
『信長公記』
【重史035】 そ第78話③
四月廿一日、安土に御帰陣。 『信長公記』
【重史036】 そ第78話③
①中国進発の事、来秋たるべきの処、
②重ねて、一左右次第、出勢すべく候、
③猶、惟任日向守、申すべく候也、
「細川家文書」
【重史037】
①駿河・遠江両国、家康公へ進らせらる。
②其の御礼として、徳川家康公、幷びに、穴山梅雪、今度、上国侯。
『信長公記』
【重史038】
①五月十四日、
江州の内、ばんばまで、家康公・穴山梅雪、御出でなり。
②同日に、
三位中将信忠卿、御上洛なされ、ばんば、御立ち寄り、
『信長公記』
【重史039】 そ第78話⑤
①五月十五日、
家康公、ばんばを御立ちなされ、安土に至りて御参着。
②御振舞の事、惟任日向守に仰せつけられ、
③十五日より十七日まで、三日の御事なり。
『信長公記』
【重史040】 そ第78話⑥
①その盛大な招宴の接待役を彼(光秀)に下命した。
②これらの催し事の準備について、
③信長は、ある密室において、明智と語っていた
④反対意見を言われることに堪えられない性質であったので、
⑤信長は、立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にした
『日本史』
【重要史料3】 041~060
【重史041】 そ第78話⑥
①明智は、何らかの根拠フンダメントを作ろうと欲した
②過度の利欲と野心が募りに募り、
③それが天下の主になることを、彼に望ませるまでになった
④企てた陰謀を果たす適当な時期を、ひたすら窺っていた
『日本史』
【重史042】 そ第78話⑧ ✓ 天正10 158200521
①尚々、頼辰へ、残らず申し達し候上は、
②今度、御請け、兎角、今に到り、延引候段、
③▢御朱印に応じ、此の如き次第を以って、
④不慮、成し下し候はん事、了簡に及ばず候、
⑤海部・大西*両城の儀は、相、抱え候はて叶わず候、
⑥是れは、阿・讃競望のためには、一向にあらず候、
⑦東州、平均に属し奉り、御馬を納められ、
⑧何事も何事も、頼辰、仰せ談じらるべく候、
「石谷家文書」
【重史043】 ◎第2話
①既に、信長公、御座所、本能寺取り巻き
②是れは謀叛か、如何なる者の企てぞ
③是非に及ばず
『信長公記』
【重史044】
書中、具(つぶさ)に候へば、見る心地に候 「細川家文書」
【重史045】 そ第78話⑯
惟任、右の趣、一々、注進申し上げられ、 『信長公記』
【重史046】
①二月朔日、信州、木曾義政御身方の色を立てられ侯
②二月二日、武田四郎父子・典厩(武田信豊)、木曽謀叛の由承り、
③二月三日、信長公、諸口に出勢すべきの旨、仰せ出だされ、
④二月三日、三位中将信忠・森勝蔵・団平八、先陣として、
『信長公記』
【重史047】 公 天正10 158200209
①二月九日、信長公、信濃国に至りて御動座なさるべきについて、
②三好山城守、四国へ出陣すべきの事。
③惟任日向守、出陣の用意すべき事。
『信長公記』
【重史048】
①三月朔日、三位中将信忠卿、飯島より御人数を出だされ、
②高遠の城は、三方さがしき山城にて、
『信長公記』
【重史049】
①三月二日、払暁に、御人数寄せられ、中将信忠卿は、尾続を搦め手の
口へ取りよせられ、
②中将信忠御自身、御道具を持たせられ、先を争つて塀際へつけられ、
『信長公記』
【重史050】 ◎第6話
①仁科五郎が頸、信長公へもたせ、御進上候。
②東国・西国の誉を取られ、信長の御代を御相続、
③代々の御名誉、後胤の亀鏡に備へらるべきものなり。
『信長公記』
【重史051】 第42話 第43話
足軽衆・・・・・・・・・・・、柳澤。珍蔵主。森坊。明智。
「永禄六年諸役人附」後半部分
【重史052】 そ第156話②
①彼の生まれた五月の日に
②己の神体を拝むことを命じた。
③信長がかくの如く驕慢となり、
④祭りを行った後十九日を経て、
⑤その体は塵となり灰となって地に帰し、
「イエズス会日本年報」
【重史053】 そ第157話①
備後守、あん城より矢はぎへ懸け出で、あづき坂にて、
『信長公記』
【重史054】 そ第157話②
①内裏の四面の築地の蓋(かさ)を、
②尾張の、をた(織田)の弾正、と云ふ物(者)、
③修理して進上申すべきの由、
④料足四千貫計り、計上
「多聞院日記」
【重史055】 そ第157話②
①我が西村の小浦に一大船有り、
②何れの国より来たれるかを知らず、
③長さ、二、三尺、
④その体為るや、中は通り、外は直くして
⑤其の傍(かたわ)らに、一穴あり、
⑥妙薬(火薬)を其の中に入れ、
⑦其の一穴より火を放てば、
『鉄炮記』
【重史056】 そ第158話①
美濃国へ乱入し、五千討死の事
『信長公記』
【重史057】 そ第158話③
①吉法師殿、十三の御歳、
②古渡の御城にて、御元服。
『信長公記』
【重史058】 そ第158話④
織田三郎信長、御武者始めとして、
『信長公記』
【重史059】 そ第158話⑤
①山城道三、大合戦に打ち勝つて申し様に、
②大柿の城、近々と取り寄せ候ひき。
『信長公記』
【重史060】 そ第158話⑥
①織田備後守殿、後巻として、
②美濃国へ御乱入、
『信長公記』
【重要史料4】 061~080
【重史061】 そ第158話⑦
①織田三郎信長を、斎藤山城道三の聟に、取り結び、
②道三が息女を、尾州へ、呼び取り侯ひき。
『信長公記』
【重史062】 そ第158話⑧
①信長、十六、七、八までは、別の御遊びは御座なし。
②大うつ気とより外に申さず候。
『信長公記』
【重史063】 そ第158話⑨
①制札 熱田八ヶ村中
②藤原信長(花押)
「織田信長文書の研究」
【重史064】 そ第158話⑨
①奉寄進、御鰐口
②信心大施主、平信長
「織田信長文書の研究」
【重史065】 そ第158話⑨
平手中務は、借染にも、物毎に、花奢なる仁にて候ひし。
『信長公記』
【重史066】 そ第158話⑩
きう介与力一人、鉄━(鉄炮)に当たり死すと云々、
「言継卿記」
【重史067】 そ第201話①
ゆきよう(遊行)上人、御れいまいる、
「お湯殿の上の日記」
【重史068】 そ第201話②
年頭の御礼、旧冬より御触れにて、御免、御出仕これなし。
『信長公記』
【重史069】 そ第201話②
正月九日朝 惟任日向守殿会
「天王寺屋会記」
【重史070】 そ第201②話
正月十四日、巳の刻 安土において、
「天王寺屋会記」
【重史071】 そ第201③話
十六日、一、筒井、幷(ならび)に、当国衆、安土へ、年頭の礼に、
「多聞院日記」
【重史072】 そ第201話③
惟任日向守へ礼のため、坂本に下向、
「兼見卿記」
【重史073】 そ第201話③
廿五日、丙寅、未明、安土に下向、発足しおわんぬ、
「兼見卿記」
【重史074】 そ第201話④
ゆきやう(遊行)上人、れいほう(礼訪)、
「お湯殿の上の日記」
【重史075】 そ第201話⑤
十三日、一返(遍)上人、来るとて、極楽坊馳走と云々、
十四日、遊行上人、昨日、極楽坊へ来たる、
「多聞院日記」
【重史076】 そ第201話⑤
二月廿一日、信長公御上洛、妙覚寺に御成り。
二月廿六日、本能寺へ御座を居(す)ゑらるべきの旨にて、
『信長公記』
【重史077】 そ第152話③
①明智が悪魔及び偶像の友であり、
②デウスの教えを嫌ってゐた
「イエズス会日本年報」
【重史078】 そ第19話
①先の公方光源院義照御生害、
②其の濫觴(らんしょう=始まり)は、
『信長公記』
【重史079】 そ第20話
①二男御舎弟南都一乗院義昭、
②或る時、南都を潜(ひそか)に出御ありて、
③和田伊賀守を御憑(たの)みなされ、
『信長公記』
【重史080】 そ第20話①
①廿八日夜、一乗院覚慶 僧都廿十九才、寺を御離れおわんぬ、
②甲賀の和多(田)ヵ城へ入られおわんぬ、
「多聞院日記」
【重要史料5】 081~100
【重史081】 そ第20話②
①今度、京都様躰、是非なき次第に候、
②上杉弾正少弼殿
「上杉家文書」
【重史082】 そ第20話②
①公儀御家督、相定まり候間、先ず以って珍重に存じ候、
②其れに就きて、当国の人数も出勢あるべき由に候、
「上杉家文書」
【重史083】 そ第21話
①御入洛の儀に就いて、重ねて、御内書を成し下され候、
②上意次第、不日なりとも御供奉の儀、無二その覚悟に候、
「東京大学史料編纂所蔵」
【重史084】 そ第22話
信長参洛の事、別儀なきの由、喜び入り候、
「和田家文書」
【重史085】 そ第22話
①早々、先々、尾州へ下国の事肝要に候、
②急度、織田参洛候様、馳走、此の節に候、
③如何様にも、出勢の事、急ぎ申し度く候、
「和田家文書」
【重史086】 そ第23話
①来月二十二日、織田尾張守参陣致し、御動座御供申すべき由
②大覚寺殿、一圓(円)、虚説なり、
「多聞院日記」
【重史087】 そ第24話
①去る夜、江州矢島、引手(出勢)これあり、
②三好方、坂本まで三千計り罷り向ふと云々、
「言継卿記」
【重史088】 そ第24話
公方様御入洛につきて、織田上総、参陣御請け申すの条、
「中島文書」①②/④
【重史089】 そ第25話①
この期に至り、織上(織田上総介)違変せしめ候、
「中島文書」③-1/④
【重史090】 そ第25話②
織上、天下の嘲弄、過ぐべからず候、
「中島文書」③-2/④
【重史091】 そ第26話①
織上、当国境目へ出張候、・・・河野島へ執り入り候、
「中島文書」④-1/④
【重史092】 そ第26話②
①江州矢島の武家、左馬頭義秋、
②一昨夜、四・五人にて、若州へ御座を移さるゝと云々、
「言継卿記」
【重史093】 そ第26話②
①上意様は、矢島を御退座、若州に御動座しおわんぬ。
②若狭も、武田殿父子、取り合いに及び、乱逆と云々、
「多聞院日記」
【重史094】 そ第27話①
①出張の翌日より、風雨濃水に付きて、
②去八日未明に、織上、敗軍仕り候、
「中島文書」④-2/④
【重史095】 そ第27話②
①去る八日、越州敦賀に至り退座候、
②義景(朝倉)馳走に候、
「歴代古案」
【重史096】 そ第28話
①稲葉伊予守・氏家卜全・安東伊賀守、申し合せ侯て、
②信長公へ御身方に参ずべく侯間、
『信長公記』
【重史097】 そ第28話
①舟にて川内長島へ、龍興、退散。
②美濃国一篇に仰せ付けられ、
③尾張国小真木山より、濃州稲葉山へ御越しなり。
④井口と申すを、今度改めて、岐阜と名付けさせられ、
『信長公記』
【重史098】 そ第29話①
①永禄十 十一月日 信長(朱印)
②坂井文助殿
「坂井遺芳」
【重史099】 そ第29話①
①今度、国々本意に属するの由、
②尤も武勇の長上、天道の感応、古今無双の名将、
③綸命此の如し、これを悉(つく)せ、以って状す、
「信長文書の研究」
【重史100】 そ第29話②
①敦賀を御出で有り、
②一乗安養寺に着御なり、
「朝倉始末記」
【重要史料6】 101~120
【重史101】 そ第30話①
①彼(光秀)はもとより高貴の出ではなく、
②信長の治世の初期には、
③公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕していた
『日本史』
【重史102】 そ第30話①
細川ノ兵部太夫が中間にてありしを、
「多聞院日記」
【重史103】 ◎第30話
①入洛の儀につきて、
②信長、厳重に言上、
③先ず、濃州に至り御座を移さるべきの由申すの間、
「上杉家文書」
【重史104】
①此比、諸国知行之高帳之事、
②五十四万石 十八郡 美濃国
③五十七万石 八郡 尾張国
④五十六万石 十三郡 伊勢国
「当代記」
【重史105】 そ第11話㉔
①三好三人衆、・・・公方様、六条に御座侯を取詰め、
②六条に楯籠る御人数、細川典厩・・・、明智十兵衛
『信長公記』
【重史106】 そ第11話㉔
三好日向守・同下野・・・今日、悉く本國寺を取り詰め
「言継卿記」
【重史107】 そ第11話㉔
①是れは、後巻かつら川表の事。
②細川兵部大輔・三好左京大夫・池田筑後・・・懸け向かひ、
『信長公記』
【重史108】 そ第11話㉔
①内待所簀子(すのこ=縁側)にて遠見、
②三人衆以下、申の刻、敗軍、
「言継卿記」
【重史109】 そ第11話㉕
①其の節、以て外の大雪なり。
②信長、馬上十騎・・・御伴なく、六条へ懸け入り給ふ。
『信長公記』
【重史110】 そ第11話㉕
①池田せいひん、今度の手柄の様体聞こしめし及ばれ、
②御褒美、是非に及ばず。
『信長公記』
【重史111】 そ第11話㉕
①一月十日・・・、濃州より、織田弾正忠上洛、
②十二日・・・、八万人ばかりと云々、
「言継卿記」
【重史112】 そ第11話㉞
度々、申し遣わすと雖も、明智、返事無しの由
「言継卿記」
【重史113】 そ第11話㉞
阿弥陀寺敷地指図、幷(ならび)に、方々、寄進分、
「阿弥陀寺文書」
【重史114】 そ第11話㉟
①明智市尉、来たる、
②愛洲薬、又、所望の間、
「言継卿記」
【重史115】 そ第11話㉟
勢州に於て、千石知行、
「言継卿記」
【重史116】 そ第11話㉟
①九月五日、せんくわうの御十三年にて候、
②とく川、ちそう(馳走)いたし候やうに、
「言継卿記」
【重史117】 そ第11話㊱
明智市慰に、近所にて行き合うの間、
「言継卿記」
【重史118】 そ第11話㊱
①極暑の時分、老足、奇特なり、
②山上は、老足、大儀たるべくの間、
「言継卿記」
【重史119】 そ第11話㊲
①只今、下山の間、麓に相待つべし、
②然れば、老足と云ひ、極暑と云ひ、
③三川の調わざる時は、信長、一、二萬疋は、進上すべきの由、
④日乗上人・明智十兵衛方へ、申上の間、
「言継卿記」
【重史120】 そ第11話㉛
城州、賀茂庄の内、先々より、落し来り候田畠、
「織田信長文書の研究」
【重要史料7】 121~140
【重史121】 そ第11話㊳ 永禄13 157000126
①奉公衆方へ、年頭の礼に罷り向かう、
②明智十兵衛、濃州へ下向と云々、
「言継卿記」
【重史122】 第143話 永禄06 1563005**
光源院殿御代、当参衆、並びに、足軽衆以下覚え、
「永禄六年諸役人附」前半部分
【重史123】 第35話 永禄11 156800914~26
①十四日に、濃州西庄、立正寺へさしつかはされ、
②廿六(誤)日、御渡海なされ、三井寺極楽院に御陣を懸けられ、
③廿八(誤)日、信長東福寺(東寺の誤り)へ御陣を移され、
④公方様、同日に清水へ御動座。
『信長公記』
【重史124】 第35話 永禄11 156800926
①今日、武家(義昭)、清水寺まで御座を移さると云々、
②織田弾正忠信長、東寺まで進発と云々、
「言継卿記」
【重史125】 そ第11話㊴ 永禄12 156900713
①奉公衆、石谷兵部少輔、牢人、
②小笠原又六、下向、四里北に居らるゝのところへ、
③杉原与七郎、近所に於いて、生害なり、
「言継卿記」
【重史126】 そ第11話② 天正 8 158000802
①抑も、大坂は、凡そ、日本一の境地なり。
②五畿七道こゝに集まり、売買利潤、富貴の湊なり。
③家門長久の処に、思はず、天魔の所為来りて、
④爰に大坂立ち初めて以来、四十九年の春秋を送る事、
『信長公記』
【重史127】 そ第11話㊶ 永禄12 156900826
あさかの城、木下藤吉郎、先懸いたし、攻められ候て、
『信長公記』
【重史128】 そ第11話㊷ 永禄12 156900828
①是れより、わきわき(脇々)の小城へは、御手遣もなく、
②国司父子、楯籠られ候大河内の城と(取)り詰め、
③其上、四方、しゝ垣二重三重結はせられ、諸口の通路をとめ、
『信長公記』
【重史129】 そ第11話㊸ 永禄12 156901004
①俄かに、走入り侯の者、既に、端々、餓死に及ぶに付いて、
②信長公の御二男、お茶箋へ家督を譲り申さるゝ御堅約にて、
③国司父子は、笠木・坂ないと申す所へ退城候ひしなり。
『信長公記』
【重史130】 そ第11話㊹ 永禄12 156901004
①国中城々破却の御奉行、万方へ仰せ付けらる。
②当国の諸関、御免除の上、向後、関銭召し置くべからず
『信長公記』
【重史131】 そ第11話㊹ 永禄12 156901006
①六日に、内宮・外宮・浅間山に御参詣なされ、
②御茶箋公、大河内城主として、津田掃部を相添へ置かれ
『信長公記』
【重史132】 そ第11話㊺ 永禄12 156901011
①勢州表、一国平均に仰せ付けられたる様躰、
②公方様へ仰せ上げられ、
『信長公記』
【重史133】 そ第11話㊺ 永禄12 156901013
①のふなかのほりて
②御しゆりみまいまいらせ候とてまいり
③なかはしにて、てんはいの御さか月たふ。
「御湯殿上の日記」
【重史134】 そ第11話㊺ 永禄12 156901016
上意(義昭)とせりあいて、下りおわんぬと、
「多聞院日記」
【重史135】 第31話 永禄11 156800725
①此の上は、織田上総介信長を偏に憑み入られたきの趣、
②濃州西庄立正寺に至りて、公方様御成り。
③末席に鳥日千貫積ませられ、
『信長公記』
【重史136】 第34話 永禄11 156800907
①九月七日に公方様へ御暇を申され、
②尾・濃・勢・三、四ヶ国の軍兵を引卒し
③わきわき、数ヶ所の御敵城へは、御手遣いもなく、箕作山へ、
④十三日に、観音寺山乗つ取り、御上り候。
『信長公記』
【重史137】 そ第11話㉖ 永禄12 156900227
①二月廿七日、辰の一点、御鍬初めこれあり。
②細川殿御屋敷に藤戸石とて往古よりの大石候。
③笛、大鼓、つゞみを以て囃し立て、
④信長、御下知なされ、即時に、庭上へ御引付け候。
『信長公記』
【重史138】 そ第11話㉖ 永禄12 156900127
①一月二十七日、
②光源院御古城また御再興、
③織田弾正忠信長、奉行せしめ御普請これあり、
「言継卿記」
【重史139】 そ第11話㉖ 永禄12 156900303
①細川右馬頭庭の藤戸石、
②織弾(信長)、三・四千人にてこれを引き、
③笛鼓にて、これを囃し、
「言継卿記」
【重史140】 そ第11話㉗ 永禄12 156900313
①司祭が都に到着して三日を経、
②和田殿は、司祭が信長の許へ伺候する準備整えた。
③信長は、邸の奥に入っていて、音楽を聞いていた。
④信長は、贈物を見た後、ビロードの帽子だけを受理した。
⑤幾千里もの遠国から、はるばる日本に来た異国人たちを、
『日本史』
【重要史料8】 141~160
【重史141】 そ第11話㉘ 永禄12 1569003**
①信長は、建築作業に従事しており、
②濠橋の上で待った。
③彼は、約二時間、ゆったりした気分で、彼と語らった。
④どれくらいの道のりがあるのか
⑤かくも遠隔の国から日本に渡ってきたのか
⑥信長は、仏僧の方を指さし、憤激して言った。
⑦予は、幾度も、彼らを殺害し、殲滅しようと思っていたが、
『日本史』
【重史142】 そ第11話㉙ 永禄12 156900414
①通常二万五千人が働き、少ない時でも、一万五千人を数えた
②彼は多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場に引かしめた。
③信長は、ほとんどつねに、座るために虎皮を腰に巻き、
④一兵士が、戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、
⑤信長は、一同の面前で、手ずから彼の首を刎ねた。
⑥少なくとも、二、三年はかかると思われたものを、
⑦彼は、ほとんどすべてを七十日間で完成した。
『日本史』
【重史143】 そ第11話㉙ 永禄12 156900414
四月十四日、武家、勘解由小路室町え御座を移さると云々、
「言継卿記」
【重史144】 そ第11話㉙ 永禄12 156900421
①御前へ、信長、召し出だされ、
②忝くも、三献の上、公儀御酌にて御盃、
『信長公記』
【重史145】 そ第11話㉙ 永禄12 156900421
①御盃頂戴、御太刀・御馬進上、
②各(おのおの)、涙ども落すなり、
③御門外までこれを送られ、東の磊上に御成り、
④粟田口へ入るまで御遠見なり、
「言継卿記」
【重史146】 そ第11話㉚ 永禄12 156900421
①彼は、中くらいの背丈で、華奢な体軀であり、
②髯は少なく、はなはだ声は快調で、
③名誉心に富み、正義において厳格であった。
④自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。
⑤酒を飲まず、食を節し、
⑥人々は彼に絶対君主に対するように服従した。
⑦彼は、戦運が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。
⑧迷信的慣習の軽蔑者であった。
⑨霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。
⑩何ぴとも武器を携えて彼の前に罷り出ることを許さなかった。
『日本史』
【重史147】 そ第11話㉑ 永禄10 1567004**
①織田上総介平信長、伊勢の国を取んとし給ふ、
②滝川左近大夫将監一益を大将として、勢州北方へ向かる、
③信長、始めて、桑名表へ発向し給ふに、
④神戸長(おとな)、山路弾正正忠が城、高岡を取り巻き給ふ時、
⑤信長、勢を打ち入れ、岐阜へ帰り給ふ、
「勢州兵乱記」
【重史148】 そ第11話㉒ 永禄11 1568002**
①永禄十一年二月、信長、又、勢州へ発向、
②神戸へ、使者を以って、神戸蔵人大夫と無事に成る、
③信長の三男、三七殿、拾三歳の時、養子に遣わさる、
「勢州兵乱記」
【重史149】 そ第11話㉓ 永禄11 1568002**
①北伊勢八郡、信長の御手に入り、
②工藤分は、上野殿与力に定まり、
③関分は、三七殿与力に定まる、
④北方諸侍分は、滝川家与力に定まる、
「勢州兵乱記」
【重史150】 そ第11㉕02 永禄12 156900114
①御袖判(義昭) 殿中御掟
②御部屋衆・定詰衆・同朋以下、
③公家衆・御供衆・申次は、
④惣番衆面々、
⑤公事篇の
⑥奉行衆の
⑦弾正忠判(信長)
「仁和寺文書」
【重史151】 そ第11㉕02 永禄12 156900116
①追加
②請取り沙汰、停止の事、
③直訴訟、停止の事、
④訴訟の輩在らば、奉行人を以って言上致すべき事、
⑤弾正忠判
「仁和寺文書」
【重史152】 そ第11⑩01 ✓ 天正08 158000612
①三好式部少輔の事、此方(こなた)に別心なく候、
②猶、三好山城守(康長)、申すべく候也、
「古証文」「織田信長文書の研究」
【重史153】 そ第11⑩01 ✓ 天正08 158000614
①爾来(じらい=以来)、申し承らず候、
②仍って、阿刕(あしゅう=阿州)表の儀に就きて、
③信長より、朱印を以って、申され候、
「古証文」「織田信長文書の研究」
【重史154】 そ第11⑩01 公 天正08 158000626
①土佐国補佐せしめ候長宗我部土佐守、
②惟任日向守、執奏にて、
③御鷹十六聯、幷(ならび)に砂糖三千斤、進上。
『信長公記』
【重史155】 そ第11⑩03 天正08 158000714
①右府信長、御上洛の由、申すの間、
②山科に至り罷り出で、数刻相待つ、
③御迎え、各、無用の由、仰せなり、
「兼見卿記」
【重史156】 そ第11⑩03 天正08 158000723
①聊(いささ)かも難渋せしむれば、成敗を加ふべき者なり、
②天正八年七月廿三日 光秀 加茂ノ庄惣中
「明智光秀史料で読む戦国史」
【重史157】 そ第11⑩03 天正08 1580007**
①定 宮田市場
②一、喧嘩・口論・押買・狼藉、停止の事、
③違犯の輩においては、速やかに巌科に処すべきもの也、
「亀岡市史」
【重史158】 そ第11話⑪ 天正08 158000804
①飯川治部入道(秋共)、書状到来、
②今度、丹後国、長岡兵部(細川藤孝)大輔に仰せ付けらるゝ也、
③鎧(よろい)借用の事、
「兼見卿記」
【重史159】 そ第11話⑪ 天正08 158000813
①其国(丹後)に至り、早々、参着候由、尤も以って然るべく候、
②様子に於ては、惟任かたより、具(つぶさ)に申し越し候、
「細川家文書」
【重史160】 そ第11話⑪ 天正08 158000815
十五日、壬子(みずのえね)、右府信長、大坂表へ御出陣、「兼見卿記」
【重要史料9】 161~180
【重史161】 そ第11話⑪ ✓✓ 公 天正08 158000815
①信長公、京より、宇治の橋を御覧じ、
②御舟にて、直ちに、大坂へ御成り。
『信長公記』
【重史162】 そ第11話⑪ ✓✓✓ 天正08 158000817
①禁制 丹後国江尻村
②一、当手軍勢甲乙人乱妨狼藉の事、
③天正八年八月十七日 日向守(花) 与一郎(花) 兵部大輔(花)
「成相寺文書」
【重史163】 ◎第11話 1~2/19 信✓公 天正08 1580008**
①爰(ここ)にて、佐久間右衛門かたへ、御折檻の条、
②御自筆にて、仰せ遣はさるゝ趣、
『信長公記』
【重史164】 ◎第11話 3~4/19 信光公 天正08 1580008**
①丹波国、日向守が働き、天下の面目をほどこし侯。
②次に、羽柴藤吉郎(秀吉)、数ヶ国比類なし。
③池田勝三郎、小身といひしも、
④柴田修理亮、右の働き聞及び、
『信長公記』
【重史165】 ◎第11話 5~6/19 信光公 天正08 1580008**
①五ヶ年、一度も申し越さざるの儀、油断・曲事の事。
②然るところ、(信長に)一旦の届けこれなく、
『信長公記』
【重史166】 ◎第12話 7~10/19 信✓公 天正08 1580008**
①信長家中にては、進退各別に候か。
②三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、
③少分の者ども候へども、七ケ国の与力。
『信長公記』
【重史167】 ◎第12話 11~12/19 信光公 天正08 1580008**
①先年、朝倉破軍の刻(きざみ)、
②時にあたつて、信長、面目を失ふ。
③甚九郎、覚悟の条々、
④書き並べ候へば、筆にも墨にも述べがたき事。
『信長公記』
【重史168】 ◎第13話 13~15/19 信光公 天正08 1580008**
①大まはしに、つもり候へば(大略を言えば)、
②父子とも、武篇道たらはず候によつて、かくの如き事。
③自分の侍相拘へず、領中を徒(あだ)になし(所領を無駄にして)、
④錦の中にしまはり(針)をたてたる上をさくる様なる
『信長公記』
【重史169】 ◎第4話 公 永禄03 15600519
①人間五十年、
②下天の内をくら(比)ぶれば、
③夢幻の如くなり、
④一度生を得て、滅せぬ者の有るべきか、
『信長公記』
【重史170】 ◎第112話 公 天正10 15600519
①三月十一日、武田四郎父子、簾中、一門、
②こがつこ(駒飼)の山中へ引籠らるゝの由、
③三月十一日、巳の刻、各、相伴、討死なり。
④四郎父子の頸、滝川左近かたより、三位中将信忠卿へ、
⑤関可平次・桑原助六両人にもたせ、信長公へ御進上候。
『信長公記』
【重史171】 ✓ 永禄13 157000123
①印文 義昭宝 黒印
②天下の儀、何様にも、信長に任せ置かるのゝ上は、
③誰々に寄よらず、上意を得るに及ばず、
④分別次第に、成敗をなすべきの事、
「成簣堂文庫所蔵文書」
【重史172】 公 天正08 1580008**
①抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、
②口答申す輩(ともがら)、前代に始り候条、
『信長公記』
【重史173】 ✓ 天正09 158100819
①佐久間(信盛)、十津川の湯にて、死ぬにつき、
②惟任日向守、郡山城普請見舞として、
「多聞院日記」
【重史174】 ✓ 天正10 158200111
①空然(石谷光政) 人々御中
②尚々、御朱印の趣も、元親御ため、然るべく候、
③始末、然るべく様に、万事、御異見、尤もに、存じ候、
「石谷家文書」
【重史175】 ◎第65話 ✓ 天正10 158200305
①三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
②翌日、仁科五郎が頸もたせ参り候を、ろくの渡りにて御覧じ、
『信長公記』
【重史176】 ◎第65話 ✓ 天正10 158200305
①路地中、数千騎、惟任向州、多人数の由、
②日向守、殊更(ことさら)、人数多く、奇麗の由、
「兼見卿記」
【重史177】 ◎第66話 ✓ 天正10 158200307
①三月七日、三位中将信忠卿、上諏訪より甲府に至りて御入国。
②武田四郎勝頼一門・親類・家老の者、尋ね捜して悉く御成敗。
③駿・甲・信・上野、四ケ国の諸侍、
④帰参の御礼、門前、市をなすなり。
『信長公記』
【重史178】 公 天正09 158101117
①羽柴筑前・池田勝九郎両人、淡路島へ人数打ち越し、
②姫路に至りて、羽柴筑前守、帰陣。
③淡路島、物主(ものぬし)、未だ仰せつけられず候なり、
『信長公記』
【重史179】 ✓ 天正06 157801026
①惟任日向守に対する書状、披見せしめ候、
②阿州面(おもて)に在陣、尤(もっと)もに候、
③次に、字(あざな)の儀、信を遣はし候、
④即ち、信親、然るべく候、
「土佐国蠧簡集」
【重史180】 ✓ 天正06 157801026
①御奏者は、明智殿なり、
②明智殿御内、齋藤内蔵助は、元親卿には小舅になるなり、
③則ち、信と云う御字を給わる、
④これに依り、信親と云しなり、
⑤此の由緒を以って、
⑥四国の儀は、元親、手柄次第に、切り取り候へと、
⑦御朱印頂戴したり、
「元親記」
【重要史料10】 181~200
【重史181】 ✓ 天正09 1581*****
①元親儀を、信長卿へ、或る人、さゝへ(妨害)申す、
②連々、天下のあだにも罷り成るべし、
③信長卿、御朱印の面、御違却有りて、
④予州・讃州、上表申し、
⑤阿波南郡半国、本国に相添え遣はさるべし
「元親記」
【重史182】 公 天正03 157500406
①四月六日、信長、京都より直ちに南方へ御馬を出だされ、
②四月八日、三好笑岩(康長)楯籠る高屋へ取り懸け、
③四月十四日、大坂へ取り寄り、作毛を悉く薙ぎ捨て、
④御人数、十万余騎のつもりなり。
⑤都鄙の貴賤、皆耳目を驚かすばかりなり。
『信長公記』
【重史183】 ✓ 天正03 157500412
①同卯月十二日朝、友閑 長谷川宗仁
②一、小長板ニふとん・しがらき、二ツ置く、
「天王寺屋会記」
⇒ 次へつづく
