本能寺の変1582 【 重史 003 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【 重史 003 】 「立入宗継文書」
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶
4光秀の苦悩 5志向の相違 +信長の油断 →
3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 250505
【 重史 003 】 ◎第54話
①禁裏御料所、山国庄の事、
②数年、宇津右近大夫(頼重)、押領仕り候を、
「立入宗継文書」
永禄十二年1569、四月十六日。 156900416
光秀が、信長の抜擢人事により、京都奉行に就任したばかりの頃である。
光秀は、山国庄の押領問題について、裁定を下した。
以下は、光秀と秀吉ら織田家重臣四名による連署状。
宛先は、禁裏御蔵職立入宗継。
おそらく、これが、最初の接触か・・・・・。
禁裏御料所、山国庄の事、
数年、宇津右近大夫(頼重)、押領仕り候を、
今度、信長、糾明を遂げ、
宇津に、違乱を停止すべくの由、申し付け、
両御代官へ、信長、朱印を以って、申し渡し候、
前々の如く、御直務として、仰せ付けられるべきの由、
御収納、相違有るべからず候、
宇津かたへも、堅く申し遣わし候、
此れらの旨、御披露有るべく候、
恐々謹言、
木下藤吉郎
四月十六日 秀吉(花押)
丹羽五郎左衛門慰
長秀(花押)
中川八郎右衛門
重政(花押)
明智十兵衛慰
光秀(花押)
立入左京亮(宗継)殿
(「立入宗継文書」)
光秀は、幕臣。
連署した四人の中で、書式上の最上位者である。
立入宗継は、朝廷の御蔵職。 【 人物 】
宗継は、京都の商人、金融業者。
大永八年1528生まれ~元和八年1622没。
代々、禁裏の御蔵職(おくらしき)をつとめた。
米・銭・物品の保管・管理・出納等がその役目である。
永禄七年1564と同十年1567、御料所の回復と御所の修繕を
依頼するため、正親町天皇の綸旨を、信長に届けている。
このことが同十一年1568の、信長の上洛へと繋がった。
宇津頼重は、丹波桑田郡の国人領主。 【 人物 】
生没年不詳。
宇津城主。
宇津荘を本拠とした(現京都市右京区京北地区)。
これまでにも、違乱停止命令が、幾度か発令されていた。
しかし、頼重は、これを無視。
そして、ここに至る。
【参照】9 光秀という男 2立入宗継の証言
◎第53話 ◎小53 ◎P53 通し 第53話 小
◎第54話 ◎小54 ◎P54 通し 第54話 小
【参照】 (1)光秀の素性 1素性
そ第53話 美濃1 「美濃国住人」 ◎第53話 第53話
そ第54話① 美濃2 立入宗継 ◎第54話 第54話
そ第54話② 美濃3 「濃州、土岐一家」 ◎第54話 第54話
そ第54話③ 美濃4 「濃州より、親類」 ◎第54話 第54話
【参照】 (3)光秀の嫡男 2-3-3
そ第11話㉛ 3 49粛清3 永禄12 光秀抜擢1 賀茂庄
そ第11話㉜ 3 50粛清3 永禄12 光秀抜擢2 山国庄
⇒ 次へつづく
