見出し画像

本能寺の変1582 【重史161】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史161】 『信長公記』 

はじめに ←目次 ←【重要史料】 【重史一覧】 ←  
重要 ◎目次 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】 
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 

【重史161】 そ第11話⑪

①信長公、京より、宇治の橋を御覧じ、

②御舟にて、直ちに、大坂へ御成り。                      

                       『信長公記』


 天正八年1580、八月十五日。
             158000815

  信長は、途中、宇治橋を検分した。
  そして、舟で、大坂へ。

   八月十二日(十五日の誤り)、
   信長公、京より、宇治の橋を御覧じ、
   御舟にて、直ちに、大坂へ御成り。
                           (『信長公記』)


 【引用】 そ第11話⑪



 ⇒ 次へつづく

いいなと思ったら応援しよう!