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本能寺の変1582 【 重史 26 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【 重史 026】 「多聞院日記」

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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【 人物 】 
*加筆修正 

【 重史 026】 第201話

筒井へ、惟任日向守より申し来たる

                      「多聞院日記」

 多聞院英俊は歴史の証人。
 遊行上人の奈良来訪は、史実である。

 天正八年1580、二月十四日。
 多聞院英俊の日記に、そのことが書かれている。
 遊行上人は、六十三歳。
 大人数だった。
 光秀から順慶へ。
 「馳走」、とある。
 先の「遊行上人三十一祖京畿御修行記」と内容が一致する。

  十四日、
  一、遊行上人、昨日、極楽坊へ来たり、
    上人は、初めより卅六代目なり、
    此の上人は、六十三才と云々、
    人数大勢これ在り、
    筒井へ、惟任日向守より申し来たる、
    馳走と云々、
                         (「多聞院日記」)


 【引用】 第201話



 ⇒ 次へつづく


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