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本能寺の変1582 【重史134】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史134】 「多聞院日記」 

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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】 
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 ✓=チェック済
 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 

【重史134】 そ第11話㊺

上意(義昭)とせりあいて、下りおわんぬと、

                      「多聞院日記」


 永禄十二年1569、十月十六日。
           156901016

 義昭との間に、問題が起きた。
 十月十六日
 この直後に、問題が勃発した。
 信長と義昭の間に、何か揉め事があったらしい。
 「口論」
 おそらくは、北畠氏に関すること・・・・・。

  一、信長、十二日に上洛、
    十六日に、上意(義昭)とせりあいて、下りおわんぬと、
               (「多聞院日記」永禄十二年十月十九日条)

 信長は、北畠氏を勝手に乗っ取ってしまった。
 「永禄六年諸役人附」の末尾部分「外様衆 大名在国衆」の中に、
 具教・具房(長男)・具藤(二男)、三人の名が見える。

  北畠中納言(具教) 伊勢国司
  同少将(具房)  伊勢国司
  長野若狭守(具藤) 伊勢
 
 北畠氏は、幕府を支える大名の一人。
 信長は、勝手に、それを乗っ取ってしまった。
 と、いうことになる。

 義昭と信長の間に、亀裂が生じた。
 初めは、小さなものだった。
 だが、それは、やがて、大きな事件へと繋がっていく・・・・・。


 【引用】 そ第11話㊺



 ⇒ 次へつづく

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